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(4)

 薄く覚醒し、また眠り込む。それを何度か繰り返しながら、ゆっくりと目が覚めていった。

 白い光が窓から差し込んでいる。

 のっそりと体を起こす。時計を見ると十時ちょうどだった。

(あれ? たしか朝イチでハローワークに行こうって……)

 あぁ、なにやってんだよ。

 布団から這い出て、カーテンの隙間から外を覗く。雨の跡はどこにもなく、よく晴れた濃い青が目に眩しい。

(早く起きて行動するはずだったのに……)

 深い息を吐いて立ち上がる。引き戸を静かに開く。家の中はしんとして、階段を降りると踏み板の軋む音が響く。ひんやりとしたリビングに入ると、テーブルの上に目玉焼きとソーセージ、簡単な野菜がラップされ、横にお袋の走り書きがあった。

『朝ごはんできています。お昼は冷蔵庫の中の物を適当に。帰りは四時半ごろ』

 冷蔵庫を開けてみると、昨日食べきれなかった刺身が醤油漬けになっていた。それを丼にして、目玉焼きも一緒に平らげる。五分とかからず飯を終え、テレビの前のソファへ席を移す。

(早く起きて行動するはずだったのに、いきなり予定を狂わせてしまった)

 リモコンに手を伸ばす。

(もう十時半だ。これからどうやって挽回するんだ)

 意味もなくチャンネルを変えていく。芸能ニュース、海外ドラマ、外交問題……。

(今からでもハローワークに行くべきだ)

 そう思いながらも動き出す気になれない。きっとタイミングを外してしまったせいだ。

 テレビを消して部屋を見まわす。なんとか気持ちを立て直さないと。

 ソファから立ち上がり、リビングを四角くまわる。キッチンをのぞく。

(なにかないかな)

 気分を変えるきっかけを探して家の中を歩く。二階へ上がり、昨日は覗いただけだった自分の部屋へ入ってみる。馴染みのない大きな本棚と照明。向きの変えられた机。引き出しを開けてみるが、中は空っぽだった。本棚に目を向けると、ぶ厚い事典やなにかの全集が並んでいる。ガラス戸を開けると古い紙の匂いがして、一冊開いてみると茶ばんだページに植物のイラストと解説があった。飛ばし飛ばしめくってみるが、まるで面白くない。

 本を戻し、もういちど部屋を見まわしてみるが、面白そうなものなど、なにもない。

 部屋を出て、隣りの和室を開く。使ったままの布団、壁際のタンスと座卓、それしかない。押し入れを開けてみても、季節外れの服が仕舞ってあるだけだ。

(なにかないのか)

 一階へ戻り、風呂場やトイレ、玄関、両親の部屋まで見てまわる。家中まわっても、面白いものなどなにもない。またリビングへ戻ってくる。

 なにかないのか。なにか気分を変えられそうなもの。

 携帯を取り出し、しかし画面を見ただけで閉じる。メールも電話もきていない。誰かに連絡したいわけでもない。部屋の隅のパソコンに目がいくが、あれは違う気がする。そこまではしたくない。ほんの少し、ちょっとひと息つく程度でいいんだ。ほんの少しだけ気分を上向きにしてくれるような、そんな些細なものでいい。それだけで俺は動けるんだ。なにかないのか。

 ソファからぐるぐると周りを見まわす。早く出かけなきゃいけないんだ。リズムをつかみ損ねてしまったこの気持ちを、うまく切り替えて早く出かけないと。なにかないのか。なにか少し楽しい気分になれて、気持ちを上向きにできるような、そんな些細なもの……。ダメだ、なにも思いつかない。もうこのまま出かけるしかないのか。

 ひざに手をやり、思いきってソファから立ち上がる。レースカーテンの向こうはよく晴れた青い空で、それを見た瞬間、ドスンとソファに落ちた。

(なんだ、これ)

 腐った泥が、口から溢れるかと思った。

(光を浴びたくない)

 なぜだかわからない。光の中に出ていくことが、とてつもなく苦しく思える。顔に日光があたることを想像しただけで、内蔵が口から飛び出しそうになる。

 ダメだ、やっぱり出かけられない。

(なんだよ、頑張るって決めたのに。一刻もはやく仕事を見つけなきゃいけないのに)

 なんとか気分を変えようと、もういちどテレビをつける。チャンネルを変えていくが、どれも面白くない。また家の中をうろつき回る。気を引くものなど、なにひとつない。やっぱりこのまま出かけて……、しかしカーテン越しの空を見ただけで、気分が悪くなる。やっぱり無理だ。どうして今日は、こんなにいい天気なんだ。

 立ったり座ったりを繰り返す。何度もうろついては戻ってくる。

 どうしたらいいんだ。さっきからずっと同じことを繰り返している。こんなの時間の無駄だ。

(考えろ、なにかないのか)

 目を閉じ、ソファの後ろに頭をもたれかける。なにかないか。今日を立て直せるきっかけのようなもの。なにか、なにかないのか……。

 遠くから物音が聞こえた気がして目を開ける。

 一六時〇五分

「え?!」

 一六時〇五分。時計が狂ったのか? しかし部屋の雰囲気は確かに変わっている。カーテンに白く当たっていた光は穏やかな色味になり、差し込こむ向きも変わっている。テレビをつけると確かに夕方の番組をやっている。

 なんで? いま寝てたのか? なんでこんな、もう夕方じゃん。せっかく月曜だったのに。お袋ももうすぐ帰ってくる。一日中寝てました、なんて言えないぞ。

 ピンポーン

 とっさにテレビの音を消す。

(誰だ? お袋がもう帰ってきたのか?)

 ピンポーン

(お袋じゃない。誰だ。出たくない。誰にも会いたくない)

 ピンポーン

(なんだよ、早く帰れよ。どうせ、セールスかなんかだろ、誰もいないってば)

 少しの沈黙の後、スライドドアが閉まる音と、続いてエンジンのかかる音。遠ざかっていく。音が消えてからさらに六十を数える。音をたてないようドアを開き、耳を澄ます。なにも聞こえない。そっと廊下へ顔を出すが、やはりなんの気配もない。

(もう誰もいない)

 そう思いながら、そろそろと玄関まで進む。こうまでする必要なんかない。もし誰かが残っていたら、かえって気づかれてしまう。それなのに、確認せずにいられない。そっと玄関を開ける。

 やっぱり誰もいない。

 やっと安心する。なんでこんなに神経質になっているんだ。

 ドアを閉めようとして、玄関脇のポストに目立つ色の紙が挟み込まれているのに気づいた。宅配の不在通知。

(ああ、アパートから送った荷物だ)

 それなら出ればよかった。変なことに臆病になって、バカみたいだ。

 通知票にはドライバーの携帯番号が印刷してあり、いま電話すれば戻ってきてくれるかもしれない。でも居留守を使ったこともバレてしまうだろう。

 今はなにも見なかったことにしよう。少し時間を置いて、それから連絡しよう。

 不在通知をポストに残したまま居間に戻ると、音を消したテレビがCMを流している。そうだ、もうすぐお袋が帰ってくるんだった。

 家中の明かりをつけて回る。テレビの音を大きめにする。少しでも活動的な雰囲気にしておきたい。一日昼寝してた、なんて言ったらどんな顔されるか。小言も、変な心配もされたくない。

 朝に食べた食器が、テーブルの上にそのままになっていることに気づき、急いで水に浸けたとき、玄関を開ける音がした。お袋が帰ってきた。

「ただいま。これ、あなたのよ」

「おかえり。不在通知、俺の荷物かな」

「出かけてたの?」

「いや--、」

 顔が引きつったのがわかって背を向ける。

「今日は家にいたんだけどさ。気がつかなかったな。二階にいたときかも」

 ふうん、とお袋は荷物を解きはじめる。

「電話しちゃいなさい」

「すぐかける。そこ置いといて」

 そのまま二階へ上がり、夕食まで部屋にこもっていた。一緒にいるとボロが出そうで、夕食もさっさと食べ終えて、また二階に上がってしまう。一緒にいたらどんな話になるかわかったものじゃない。とはいえ、なにもない和室ではできることもない。携帯でささやかなゲームと不自由なネット巡りをして時間を潰す。さっきの荷物を受け取っていれば、中にパソコンやマンガが入っていたのに。

 自由にならない携帯でのネット巡りを諦め、布団を広げる。

 もう寝てしまおう。明日こそは仕事を探しに行かなくちゃいけないんだ。寝てしまえば、両親との思わぬ邂逅も避けられる。

 そのまま風呂にも入らずに、電気を消した。


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