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(1)


 空というものは、都心から離れるほどに青く澄んでいくものだろうに、春霞というのか、まだ日の高くある空は青の前面に白い濁りを漂わせ、はるか先まで続いている。

 大学へ通ったアパートを昼すぎに引き払い、バイクにまたがってから三時間。都心から続くローカル私線に沿って走ってきた。

 尻にジリジリとした痛みが広がっている。斜め掛けしたショルダーバッグも重くなってきた。けれど、そんなことよりも、これから一年ぶりに会う両親になんと言って詫びればいいのか、そのほうがずっと心に重かった。

 大学までいかせてもらいながら、就職できなかった息子を親父たちはどう思っているだろう。腹を立てているだろうか。それとも落胆しているだろうか。これから家へ戻り、顔を合わせたとき、なんと言われ、どう答えればいいのか。なにも思いつかないまま、とうとうここまで来てしまった。

 ベッドタウンの外縁となる道を、バイクでノロノロと進んでいく。さっきまで右手側を並走していた線路は、いまは堤防のような盛り土のうえに上がり、左手側には一戸建てのレンガ塀や生け垣が続いている。

 線路の盛り土と住宅の壁に挟まれた、一段低くなった道路はレコードの溝のようで、陽もあまり当たらない。

 ゆるいカーブが切れ、コンクリート塀の陰からマンションが一棟見えてくる。戸建てばかりがならぶこの住宅地で唯一背の高い建物だが、そうはいっても六階までしかなく、外壁もだいぶ汚れて古びれている。あのマンションの向かいはもう駅だ。私鉄川島鉄道の終着『森林公園駅』。その名のとおり、北口から出れば森林公園や青少年キャンプ場へとつながり、一方の南口からは高台をゆるく這い上がるようにベッドタウンが広がっている。あの駅前マンション手前のT字路を曲がって、少し坂を登れば、すぐにわが家『恐竜ハウス』に着いてしまう。

 息苦しい。

 肺の中に石が詰まっていくようだ。就職先が見つからず、実家に戻りたいと伝えたとき、親父はただ「わかった」と言っただけだった。だが、面と向かえば、それで済むはずがない。

 なんて言われるだろう……。

 どう答えればいい……。

 答えるべき言葉が見つからない。それでもバイクは進んでいく。曲がるべき角が近づいてくる。答えのないまま、両親の前に立つ瞬間が迫ってくる。

(ダメだ)

 T字路をそのまま通りすぎる。

 このままじゃダメだ。いちど気持ちを立て直さないと、そうしないと家に向かえない。

 駅前の小さなロータリーに入ってバイクを止める。メットを外し、目を閉じたまま、長く息を吐く。ゆっくり顔を上げると、走ってきた道路と並行して線路が東へと、長く続いている。

 都心から延びてきたレールは、終着駅の小さな駅舎を通り抜け、背後で幾度か枝分かれしながら扇状に広がっている。駅に隣接する敷地は、整備基地を兼ねた広い車庫だ。普段は一日の運行を終えた車両を朝まで眠らせておく場所だが、大きな点検整備が入った夜は、広い敷地を水銀灯の光が一晩中照らすことになる。

 自販機で缶コーヒーを買い、バイクに寄りかかる。背中に傾きはじめた陽光を感じる。こんな小休止を何度も挟んで、すでに一時間も余計に時間がかかっている。コーヒーを飲みながら、用もなく携帯を取り出す。


 3/12(日) 15:15


 大学の卒業証書を受け取ってから、まだ一日しかたっていない。なのに、もう何年も昔のことのように、断片的な場面しか思い出せない。むしろ四年前の、入学したばかりの日々のほうが鮮明に覚えている。

 知らない町。初めての一人暮らし。コンビニを見つけ、本屋を見つけた。初めて入ったスーパーでは、卵も牛乳もすぐにはみつからなかった。携帯に表示させた床屋がどこにも見当たらず、ずいぶんと歩き回った。同じところで何度も道を間違えた。入学前から決めていた写真サークルは、入ってみると人間関係でギクシャクとしていて、なんとなく双方から話を聞いていたら、勝手にうまくまとまってくれた。本屋でバイトをして、貯めた金で免許を取り、バイクも買って撮影旅行へ行った。写真部の部長を任され、友人の部屋で飲み明かし、そして、長くはなかったけれど、彼女がいた時期もあった……。

(本当に、あったのか?)

 目の前で終着駅が静かに陽光を浴びている。さみしい駅前には人の姿もない。向かいに立つマンションは、一階部分に小さなスーパーが入っていて、いかにも退屈そうな雰囲気だ。

 なんだか、昨日までの生活が現実ではなかったように感じる。夢の中のできごとだったような、なにかの物語を読んでいたかのような、それとも知らない誰かの記憶を見ていたような……。

 大学まで進学して、卒業後はどこかで働いていくものだと思っていた。楽しい毎日はずっと楽しく続いていくと思っていた。

 世界はどこで変わってしまったんだろう。楽しかった毎日は、いつから淀んだ日々に変わってしまったんだ。冬から? 秋から? よく思い出せない。


 就職支援ガイダンスが始まったのは大学三年になって間もない、五月の連休明けだった。「どんな仕事をしたいのか、よく考えるように」そう言われたけれど、迷わず広告や出版の会社を希望した。撮影旅行で撮った写真が、わりと大きなコンテストで入賞したこともあったし、学園祭用に作った写真集もいい出来だった。写真を撮ることも、それをどう見せるか考えることも楽しかった。大学は二流だけど、浪人も留年もしていない。友達も多いし、サークルの部長だって務めた。バイトもずっとおなじところでがんばってきたんだ。行動力にも、忍耐力にも、そしてなによりコミュニケーションに自信があった。いまの自分の、どこにもやましいところはないのだから、誠実に、堂々と、ありのままの自分を見せよう。そして信頼さえしてもらえれば、大手は無理でもそれなりのところに正社員で――。

 二十の会社にエントリーを送り、合同説明会やプレセミナーにもできる限り参加した。なんども顔を出すうち、いくつかの企業の担当者には顔を覚えてもらえ、打ち解けた会話もできるようになった。どの企業からも「ぜひ来年の一次選考に来てください」と言われ、いつ面接になってもいいようにシミュレーションを繰り返した。就職難だ、超氷河期だと、もう十年も騒がれているけれど、どうやら自分には関係なさそうだ、そう思っていた。

 長い春休みが明け、大学四年になった初日。さっそくの就職ガイダンスがあった。数百人が詰め込まれた大教室で久しぶりの友人と言葉を交わしていると、キーンとハウリングが響いて、そして就職支援課の職員が一回目の内定率を告げた。四月一日付の内々定は全体の五パーセント、去年の三分の一だ、と。

 ワイワイとしていた教室がいっきに静まり返った。職員は社会情勢がどうのと話し、支援課はいつでも相談にのると言い、全員が就職できるよう大学も協力するから、引き続き全力で就職活動に取り組んでほしいと締めくくり、俺たちは言葉もないまま、まわりと顔を見合わせた。


 グラスベルのメロディが響いて、我に返る。顔を上げると、フェンスの向こうでアナウンスが流れ、電車がホームへと入ってくるところだった。

(ダメだ、前向きにいかなくちゃ)

 缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱へ放り込む。

 気持ちを切り替えろ。

 強く息を吐く。太陽にはオレンジが混ざりはじめ、落ちる影も面積を増した。

 とにかく家まで行こう。

 メットを被り、キーを差し込む。エンジンをスタート。いちど排気を吹き上げ、落ち着くのを待つ。

 嫌な話になっても仕方がない。就職できなかった自分が悪いんだ。

 レバーを何度か握り、クラッチの具合を確かめる。スタンドを蹴りあげると、収縮する金属バネがたわんで音をたてる。

 メットの位置がしっくりこない。一度はずして、肩と首を回してかぶりなおす。左右にゆすって位置を決める。もういちど息を吐く。スロットルを開き、ゆっくりとクラッチをつなぐ。バイクがゆるりと動き出す。ロータリーの出口。足をつけた完全な一時停止。左右を確かめる。なにも発進を邪魔するものが無い。エンジンを三回、空吹かし、ゆっくりと道路へ出る。

 すぐ目の前にT字路がある。曲がるとそこから、ゆるい上り坂が始まる。

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