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(11)

 アラーム。七時。音を止めて上半身を起こす。

 眠い。布団のうえに座ったまま、両手で顔を覆う。深夜の集まりから帰ったのは三時近かった。さすがに寝不足だ。指先でグリグリとまぶたを回す。

 行ってよかった。楽しい時間だった。俺は場違いなヤツになっていなかっただろうか。また行ってもいいのかな。あのリカという子が誘ってくれてよかった。

『辛そうな人を見ると、つい……』

 そうだな。顔には出さないようにしていたけれど、昨日の面接はやっぱり辛かったんだ。あの会社はどうなるんだろう。気にはなるけど、考えても仕方がない。いまはいい連絡が来ると信じよう。そのためにも、きちんとした生活をしなければ。

 手で頬を叩き、ゆっくり目を開ける。今日はちゃんと起きられた。このまま生活リズムを立て直すんだ。もうひとつの会社にも履歴書を送らなきゃいけない。やらなきゃいけないことはたくさんある。

 窓に目を向けると外からの光は弱々しく、雲に透けて太陽が丸く見える。今日は一日曇りのようだ。

 階段を降りたところで、ちょうど親父と出くわした。

「お、なんだ、今日は起きてきたのか」

「え?」

 親父はそのままリビングへ入って行く。なんだよ、朝から嫌味かよ。後からリビングに入ると、今度はお袋が近寄ってくる。

「和也、なんだか顔色悪いんじゃない?」

「べつに、なんともないけど」

「夕べあんな遅く……」

 お袋は言いかけてそのまま口を閉じた。なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないか。

 食卓では親父が先に食事を始めている。二人とも様子が変だ。なにか言いたいことでもあるのか? どうせ、ちゃんと起きろとか、早く就職しろとか、そんなことだろう。そんなの言われなくたってわかってるっていうのに。

 食卓を素通りして、テレビの前のソファに腰をおろす。テレビが各地の朝の風景を伝えている。親父が話しかけてきた。

「なあ、和也。週末どこか行かないか。久しぶりに家族で出かけるのもいいだろう」

 なんだよ、場所を変えてまで説教したいのかよ。

「どこか行きたいところないか?」

「べつにないよ」

「買い物でもいいし、海でも山でもいいぞ。なにか必要な物とかないのか」

 しつこいな、そんなにいろいろと文句があるのかよ。

「いまは思いつかないよ。後で考えておく」

 なんだよ、せっかく今日はがんばろうって思っているのに、なんでそんな追いつめるようなこと言うんだ。俺だって早く就職しなきゃって思ってるさ。けれど、雇ってくれるかどうかは向こう次第じゃないか。俺にはどうしようもないじゃないか。

「和也、具合悪いの? 朝ごはんは?」

「なんともないって!」

 適当にテレビのチャンネルを変え、手元にあった新聞をバサバサとめくっていく。

 うるさいんだよ、朝から。

 紙面を斜めに読み飛ばしていく。昨日だってあんな思いして、それでも今日もがんばろうって思っているのに、なんだっていうんだ。

 親父たちはそれ以上なにも言わず出かけていった。静かになったところで食卓に着く。イライラと朝食を詰め込む。

 仕事ならちゃんと探してるじゃないか。もっとなにをしろって言うんだよ。

 テレビはいつの間にかニュースともバラエティともつかない番組に変わっている。

 今日だっていろいろとやることがあるんだ。履歴書を作って郵送しなきゃいけない。それに貼るための証明写真も撮りに行かなくちゃ。それから……なんだっけ。なにかあった気がするけど……。とにかく、まずは履歴書を書きあげなくちゃいけないんだ。それから写真を撮って郵送しなくちゃ。

 食器を下げたとき、水切りかごのなかにコーヒーカップが見えた。そうだ、コーヒーを淹れよう。せっかくだからマシンじゃなく、手で。少し時間がかかっても、それでやる気が出るほうがいい。

 お湯を沸かし、その間に豆を挽く。ゆっくりとお湯を通して、サーバーに褐色の液体を溜めていく。

 コーヒーを飲む間だけテレビを見ようとしたが、どのチャンネルもつまらない。なにか面白い番組ないのかよ。何度も繰り返す通販番組をひとしきり眺めてから、もう一度新聞を開く。

『世界的に小麦価格が高騰』そうなのか。

『深海調査で未知の生物を発見』へぇー。

『新開発の防犯グッズ』ふぅん。

『お仕事探しなら業界最大手――』あ、履歴書、書くんだった。

 あーくそっ。

 ソファに倒れこんで顔をうずめる。

 履歴書、書かなくちゃ。手書きは大変なんだよなぁ。

 片目だけソファから浮かせて、リモコンに手を伸ばす。顔写真も必要だ。去年撮ったやつじゃ古いよなぁ。どこかで撮らないと。

 手なぐさみにチャンネルを変えていくと、古い時代劇が映った。暗い行燈の横で、侍が町娘の話を聞いている。

(あれ、この役者って、去年死んだんだっけ……?)

 ソファに突っ伏したまま、ぼんやりと画面を眺め、ふっと気がつくと、侍と町人が食い処で最後の洒落合いを演じている。

(あれ? 終わっちゃった? いつの間に……)

 そう思った意識が、また溶けていく。


 目が覚めたのは、ちょうど昼のバラエティが終わるところだった。握っていたはずのリモコンが床に転がっている。身体を起こす。曇り空のせいで部屋がどんよりと暗い。

「なにやってるんだ……」

 また午前中をつぶしてしまった。今日はすっきり目が覚めたのに。履歴書作らなきゃいけなかったのに。それなのに、また……。

 テレビから陽気な音楽が流れ、一時ちょうどのトーク番組に飛び出してきた司会者が『午後も張り切ってまいりましょう』と、溌剌とした声を上げる。

 そうだ、まだ昼が過ぎたばかりじゃないか。まだいろいろとできる。履歴書もこれからだって書ける。いや、先に証明写真を撮ってきたらどうだ。写真があれば、書くのはいつでもできる。そうだ、そうしよう。

 二階へ上がり、部屋の隅に寄せた段ボールからスーツを取り出す。弱く折り目がついてしまったが、着ているうちに消えるだろう。ネクタイを締めると、やはり気持ちが引き締まる。よし、行こう!

 外は雲が厚く、春から冬の寒さに戻っている。写真館はなんだか嫌な感じがして、市内のショッピングモールへ向かう。入り口の案内図で撮影コーナーを探す。平日午後の店内は人が少なく、すれ違う人たちがみな、じろりと俺のことを見ていく。フロアのいちばん端、ほとんど使われない階段の側に撮影ボックスがあった。あたりを見回し、すばやく機械に入ってカーテンを閉める。こんな時間にこんな格好で写真を撮っていたらどう思われるか。

 表示通りにボタンを押し、急いで撮影を済ませる。プリントを待つ時間がもどかしい。早くここを離れたい。人が来やしないか、気になってしかたがない。ようやく出てきた写真を確認もせず、足早に立ち去る。バイクに戻ってから写りを確かめる。うん、こんなもんだろう。

 よし、これは意味のある行動だ。これで、今日はもう無駄な一日じゃなくなった。こうやって意味のあることを続けていけばいいんだ。いっそのこと、履歴書もどこかで書いてしまおうか。家に戻ったら、またぼうっとしてしまうかもしれない。たしか少し先にコンビニと、二階が喫茶店になった店舗があったはずだ。そこで書いてしまおう。

 コンビニでノリとハサミを買い、階段を二階へと上がる。喫茶店はガラガラだった。カウンターの中で暇そうにしていた店員が立ち上がる。クリームイエローの壁と観葉植物の鉢がいくつか置かれ、壁の一方は大きな窓になって、外が見渡せる。

 カフェオレを注文して窓際に座る。外は雲が厚みを増し、この様子では雨になりそうだ。さっさと書き上げて、降り出す前に帰ろう。

 昨日と同じように、新旧の用紙を並べ、住所と学歴欄だけを変えて書き写す。写真を貼り、ハローワークの紹介状と簡単な書状を添えて封をする。

 拍子抜けするほど簡単に終わってしまった。これなら朝のうちにさっさと済ませればよかった。この程度のことが、どうしてあんなに面倒だったんだ。

 窓の外へ目を向けると、空はだいぶ暗く、風も出てきた。早く投函して帰ったほうがいい。まだ温かさの残るカフェオレを飲み干して店を出る。

 バイクまで戻ったとき、メールが着信した。表示された送信元を見て、心臓が縮み上がった。


 『TGテクノス』


 昨日の会社からだ。落ち着こうと深呼吸を繰り返し、それからゆっくり本文を開く。



 拝啓

 先日は弊社まで………………、………………。

 ……、…………不採用…………、……………………。

 ………………………………、…………。



 反射的にポケットへ突っ込む。心臓が鳴る。顔が熱い。視界が揺れる。もう一度、ゆっくりと携帯を取り出す。手が、震えている。



 拝啓

 先日は弊社までご足労いただき、ありがとうございました。

 早速ですが、貴殿の応募書類および適正試験の結果を慎重に検討したところ、今回は不採用との結論に至りました。

 弊社への深いご理解をいただいているところ、このようなご連絡は大変――



 ダメだった。ダメだった。ダメだった。ダメだった。ダメだった。ダメだった。ダメだった。やっぱりダメだった。やっぱり、やっぱり、やっぱりダメだった。どうしてダメだった? なにが悪かった? どこが悪かった? ほんとにタダ働きだったのか? それとも俺が悪かったのか? どこが、なにがいけなかった?

 視界が揺れる。目の前が白く霞みがかって、チカチカと眩しく明滅する。

 なにが悪かったんだ。どこをどうすればよかったんだ。震える指が携帯を操作している。あの面接で即断できるほど俺には見込みがないのか? それとも本当に採用する気がなかったのか? 頭の中にコールが響く。やっぱりタダ働きさせられただけなのか?

「はい、TGテクノスです」

 相手の声に息をのんだ。

「TGテクノスですが、もしもし」

 俺は、どうして、電話なんかかけてしまったんだ。

「もしもし、どちら様でしょうか」

「す、鈴木と申します。昨日、め、面接を受けた者ですが……、社長か、人事担当の方を、お、お願いできますか」

「ただいま取り込み中でございます。どのようなご用件でしょうか」

「あの、ふ、不採用との連絡を、受けたのですが、その、差し支えなければ、私のどこが悪かったのか、教えていただくことは、できないでしょうか」

 少しの間が空いた。

「えー、たいへん優秀な方なので、当社にはもったいないと判断した、とのことです」

「なにか私に、わ、悪いところがあったのでしょうか。あの、今後の参考までに、どうか、教えていただけないでしょうか」

「いえ、たいへん優秀な方だから、ということです」

「優秀ならっ、どうして採用してもらえないんですかっ」

「鈴木さんのように優秀な方でしたら、もっと適した会社が見つかると思います。ぜひそちらで力を発揮してください」

 一方的に切られた電話を見つめる。わからない。いつも同じ結末だ。どうすればいいんだ。どうしたら違う結末にたどり着くんだ。どこをどうすれば、なにが変わるんだ。

 グルグルと渦巻く意識のまま、バイクにまたがろうとして、握っていたものに気付いた。あぁ、履歴書、出すんだった。その時、もう一度メールが着信した。獲物を捕まえるようなスピードで携帯を開く。



 やった、ついに就職決まった。小さい編集プロダクションだけど、それでもよかった。

 そっちはうまくいってるか?



 少し前を、自転車に乗った子どもが横切って行く。まだ不慣れな様子で、ふらつきながら懸命にペダルを踏んでいる。顔がこちらに向くと、片足をついて立ち止まった。どうしたんだ。全身を強張らせ、引きつった表情でこちらを見ている。

「あっ!?」

 全力でブレーキを握り、むりやりハンドルを切る。車体がつんのめる。タイヤが横滑りし、前輪が縁石にぶつかる。体が前へ飛びだしそうになる。後輪が浮き上がってからどしんと落ち、身体が跳ねる。倒れかかる車体を、どうにか足を出して支える。バッと顔を上げると、子どもは怯えたまま立ちすくみ、目が合ってあわてて逃げていく。その頭上で歩行者信号が点滅を始める。いまになってアドレナリンが噴き出す。

(危なかった。いつの間に運転を?)

 信号が変わり、白いセダンが迷惑そうにすり抜けていく。とにかくバイクを寄せなきゃ。動かそうとしてぐらり傾く。見ると前輪がパンクし、ホイールも歪んでいる。力任せに歩道へ押し上げ、辺りを確認する。家まであと五分ほどのところだった。どうやってここまで運転してきたのか覚えていない。持っていたはずの封筒も見当たらない。なんとなくポストに落としたような気もするが、自信はなかった。


 雨が降り始めたのは、ちょうど家にたどり着いたころだった。バイクなら五分の距離が、押すと一時間以上もかかり、親父もおふくろも、とうに帰っていた。

「あら、お帰りなさい。バイクの音、聞こえなかったけど」

「ぶつけた。押して帰ってきた」

「ちょっと、大丈夫。怪我は?」

「どうした、大丈夫か?」

「大丈夫。ちょっとぼんやり走ってて、子どもにぶつかりそうになって」

「怪我させたのか!?」

「大丈夫。当たってない。避けようとして縁石にぶつかった」

「なにやってるんだ。ぶつかってたら、とんでもないところだろう!」

「だから、大丈夫だったんだってば!」

「今回は大丈夫だっただけだ。運転するなら常に注意しなきゃだめだ」

「わかってるよ、そんなこと」

「事故を起こせば、就職も取り消されるんだぞ」

「っ、うるさいな!! それなら不採用だって連絡が来たよ!」

 親父の声が止まる。お袋が口元を隠す。

「そ、そうか。それは、残念だったな」

 なんだよ、そっちが動揺してどうすんだよ。

「まぁ、その、なんだ、落ち込むことはない。べつに大きな会社じゃなくたっていいんだ。決まるまで三つ、四つ、かかったっていいじゃないか」

「なに言ってんだよ!」

 思わず大声を上げた。

「いまどき三つ四つで、どこに就職できるって? なにもわかってない。二百以上応募して、それでも内定なんか出なかったんだぞ!」

「二百?! ……って、そんなに落ちてるのか? 大学も出ているのに、なんでそんなことになるんだ」

「だからそういう時代なんだよ!」

「それなら好き嫌い言っている場合じゃないだろう。どんな会社でも手当たりしだいにあたっていくしかないだろう」

「だからそうしてるさ! 手当たりしだいやってるさ! そうしたら今度は節操がないって言われるんだ、ふざけんじゃねえよ!」

「……」

 親父は驚いた表情のまま口をパクパクとさせて、それからおふくろと顔を見合わせた。なにかがこみ上げそうになった。だっと二階へ駆け上がる。

「ちょっと、和也?!」

「うるせえ!!」

 くそっ、人の気も知らないで。

 和室の戸を乱暴に叩きつける。くそっ、なんでこの部屋には鍵がないんだよ!

 戸を殴りつけ、膝蹴りを加える。ふざけんなよ! 三つ、四つかかってもいい? バカかよ、そんなんで就職できたら苦労しねえよ。

 振り向き、襖に拳を叩きつける。骨材が折れ、穴があく。衝撃で外れ、倒れかかってくるのを押し返して、また殴りつける。

 好き嫌い言うな? ふざけんなよ! そんなの、してるわけないだろ! 畜生、ほんとになにもわかってない。とっくに諦めたんだ。諦めて、どんな仕事でも我慢しようって、早く安心させなくちゃって……、それなのに俺は、どこからもいらないって……、くそっ、くそっ!

 涙で見えなくなった視界に、不採用のメール画面が浮かぶ。それから怯えた子どもの顔。迷惑そうなセダン。沈む夕日、群青の川原、棚の並ぶ倉庫、どうせ雇う気なんかないんでしょ。節操がないよ。ダメなところ教えてくれる。そっちはうまくいってるか。

「ふざっけんなよっ!!」

 力いっぱいの蹴りを繰り出すと、足が襖を突き抜けた。乱暴に引き抜くと、折れた骨材がふくらはぎを傷つけた。痛みなど無かった。敷きっぱなしの布団をかき抱き、奥歯を噛みしめる。窓から乗り出して叫び声を上げそうな自分を必死に抑える。涙が布団に吸い取られていく。そうして爪を立てて丸まっているうちに、激しい感情は引いていき、二回、三回と大きく息をついてから顔を上げた。

「人の気も……知らないで……」

 呟いたとき、階段を上がってくる音がした。なんだよ、まだ文句があるのかよ。

 涙を拭き、布団を放り出す。壁に寄り掛かり、ふてぶてしい態度を見せつける。ノックに続いて、

「和也、いい?」

聞こえたのはお袋の声だった。

「なんだよ!」

 怒気をこめたつもりの声は揺らいで、思わず顔を横向ける。静かに戸が開き、お袋は部屋へは入らずに、破壊された襖をちょっと見やってから言った。

「お父さんに古い新聞見せてあげたわ」

 だからなんだ。

「ちょうど和也みたいな大学生のことが載ってたの。お父さん、あんまり新聞とか読まない人だから。百社応募しても決まらないって、ほとんど書類で落ちて、面接までいけたのは十社ぐらいしかないって、書いてあってね」

 そうだよ、そんなヤツがたくさんいるんだよ。そんなこと当たり前なんだよ。

「お父さん、びっくりしてた。こんなに酷いのかって。信じられないって。だけど、そう言えば自分の会社も、もう何年も新人採ってない、って」

「だからなんだよ!」

「お父さんも反省してた。和也のこと――」

「そうかよ! わかったから、もう向こう行けよ!」

「……」

 お袋はそのまま、静かに降りていった。


 夕方に降り出した雨が続いている。また今夜も眠れない。お袋が言っていた。「お父さんも反省してる」なんて。

 だからなんだ。反省しているからなんだっていうんだ。あの会社だってふざけてる。優秀だから採用しない? 馬鹿にしてる。やっぱり初めから採用する気なんかなかったんだ。タダ働きさせるために呼びつけたんだ。佐々木の奴、就職決まったのか。なんであいつが編プロなんだ。だったら、俺も諦めずに夢にしがみついていたほうがよかったじゃないか。そうしたら、あいつじゃなくて俺が採用されていたんじゃ……なんて、それは都合良すぎだけど、でもいろいろなところに応募したって結局ダメじゃないか。やっぱり希望を通していたほうが就職できたんじゃないのか? いや、仕事を選んでたら就職なんかできるわけない。でも、佐々木は採用されたじゃないか。信念を貫いているほうがやっぱり評価されるんだ。でも、求人そのものが無かったじゃないか。

 いつまでも降り続く雨と重なるように、答えのない問いがいつまでも降ってくる。わからない。どれだけ考えてもわからない。考えた答えは次の問いに否定され、その答えは前の問いに否定される。どれだけ考えてもわからない。いつまでも終わらない。降り続く雨のように……。雨……そういえば……。

 予感があった。カーテンの隙間からのぞいてみる。

 やっぱり。

 街路灯の下、そこにじっと立ち尽くす少女がいる。長い黒髪と少しきつい目元、やっぱりあれは北川リカだ。

 この前と同じように右手に傘を持ち、左手は制服のポケットに突っ込んで、じっとティラノサウルスを見上げている。よく見ると、リカはなにかを堪えているように見える。悔しそうな、泣き出しそうな、それでもあの力強い目を、ぐっと恐竜に向けている。なぜ、そんな顔で恐竜を見ているんだ。

 リカがおもむろにポケットから手を出した。広げた手のひらで、なにかがキラリと光を反射させる。リカはそれを数回、手のひらで転がすようにしてからぎゅっと握り締め、またポケットのなかへ突っ込むと、もう一度恐竜を、さっきまでの泣きそうな顔ではなく、優しく、けれどどこか寂しげな顔で見上げて、雨のなかを歩いていった。


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