(10)
音の無い住宅地を、早足で駅へと向かう。夜闇に沈む駅前マンションを目指す。昨日よりさらに遅い。間に合うだろうか。
T字路でひと呼吸してから、静かに歩み出る。二十メートル先のマンション敷地。シャッターの降りたミニスーパーの前。
いた。
五つの影がたむろしている。ホッとした後、足が止まる。話しかけていいんだろうか。
『平気だと思います。智の知り合いなんだし』
そうだ、リカという子が言っていた。きっと大丈夫。
「こ、こんばんは」
緊張で揺らいだ声に、全員がいっせいに振り返る。
「あ、鈴木さん。やっぱり来たんですね。いらっしゃいませ」
前田智が即座に声を返してくれる。三人の男子は黙ってこちらを見ている。北川リカも黙ったまま、それでも表情が少し緩んでいるように見えた。
「なんか、寝付けなくてさ、邪魔しないから、ここにいてもいいかな?」
「もちろん」
前田智がさっさと応える。
「さっき、リカと話してたんですよ。断られちゃったけど、来たらいいのにって。ね、リカ」
「え、ええ」
「だから遠慮なんていらないですよ。一緒にお話しましょう」
男どもが仕方ないなという風に肩をすくめ、背の高い一人が話しかけてきた。
「恐竜ハウスの人だって、智から聞いたんすけど」
「そうです」
「大学生っすか?」
「このあいだ卒業したんだけど、就職できなくて……。こっちに戻ってきたけど、やっぱりうまくいきそうにない」
まずいことを聞いたという顔と、コイツも落ちこぼれかと警戒が薄らいだ顔。小柄な男子が話をつなぐ。
「大学は楽しいって聞くけど、ホントですか?」
「楽しかったよ。バイトとサークルばっかりやってて忙しかったけどね」
「サークルって、なにやってたの?」
前田智も重ねて質問してくる。
「写真部」
「写真? え、どんなの撮るの?」
「自由に好きなの撮るのさ。犬の写真ばっかの奴とか、山の写真専門の奴とかいた。俺は風景に自分のバイクを入れて撮るのが多かった。こんなの」
携帯を取り出し、待ち受けの画面を見せる。
「おー、かっこいい」
登ってくる朝日をバックに、バイクのシルエットが浮かんでいる。
「このバイクなに?」
「DSTのニーゴー。すっげーバイトしてさ、ひたすら貯金して、やっと買ったんだ」
「これアメリカンっすよね? オレ乗ったことないんだけど、どんなカンジなの?」
「乗ってて楽だよ。スピードは出ないから、仲間においていかれそうになるけどね」
「あたしもアメリカン好き。レーサーは腕も腰も疲れちゃう」
「前田さん、バイク好きなの?」
「うん、好き」
「女の子なのに、意外だ」
「エンジンの音がね、好きなんだ。どこにでも行けるし。ね、リカ」
「へぇー、北川さんも好きなんだ」
「いえ、私はべつに」
肩すかしをくった俺の前で、
「だけど、ヘルメットで髪が崩れちゃうのが困るんだよねぇ」
前田智は肩までの柔らかそうな髪に手を入れて、毛先を散らしている。
「前田さん、髪の毛きれいにしてるもんね」
そう言うと前田智は、えへへと嬉しそうに笑ってから、
「ねぇ、あたしのことは智って呼んでくださいよ。あたしも和也さんって呼んでいいですか?」
「わかった」
「私もリカでいいです」
北川リカが急に割り込んでくる。
「ここのみんなはそう呼ぶので。『北川』と呼ばれると落ち着かないというか……」
「わかったよ。リカちゃん」
「“ちゃん”もいらないです。人形みたいだから。それより他に写真はないんですか?」
「パソコンには何百枚もあるんだけど、いまは……、これだけ」
携帯に写真フォルダを表示させ、そのままリカに手渡す。みんながリカの手元をのぞき込む。白黒かと思うほどの灰色の霧がたちこめる峠道に、赤くテールランプが浮かぶ写真。誰かが「へぇー」と声を上げた。リカが写真を切り替えると、今度は真っ青な空を背景に、見上げるようにアップになったタンポポと、その後ろでバイクのハンドルバーが銀色に光っている。その次は、富士山をバックにして草原に停めたバイクを撮ったもの。リカが写真を切り替えるたびに小さく歓声が上がる。もやのかかった湖と、その桟橋にバイクを停めた一枚。大きく背中の開いた後ろ姿の女性が、気だるげにシートに寄り掛かっている一枚。タンクの上に子猫がちょこんと座っている写真には、リカと智がそろって嬌声を上げた。背の高い男子が言った。
「ねぇ、さっきの写真くんないすか? トプ画に使っちゃダメ?」
「ああ、いいよ」
「あ、あたしもほしい」
写真を送信してやると、みんなその場で設定を始め、表示させた画面を見せてくる。智と北川リカは一枚の写真を左右で分けて、お揃いにしている。みんな気のいい奴らじゃないか。ひとり、リーダーっぽい奴だけが話に入ろうとせず、退屈そうにしているけど。自分の撮った写真を人に見せるのもずいぶんと久しぶりだった。
ひとしきり携帯を見せ合うと、わずかな沈黙が訪れた。そろそろ帰ろうか、と智が言い、各々が立ち上がった。いちばん小柄な男子がバイクにキーを刺した。簡単な言葉を交わして場が崩れていく。
三人の男子は連れ立って、我が家とは反対の方向へ歩いていく。北川リカは目の前のマンションに住んでいるらしく、玄関ホールへと入っていった。
前田智と一緒に帰りながら、みんなのことを教えてもらう。話に乗ってこなかったリーダーっぽい奴がアキ、背の高いお調子者な感じのユウジ、小柄で顔立ちの整ったカオルだけは一年で、あとは全員高二。それもあと数日たてば学年が上がる。
「もっと遊びたかったなぁ」
と智は言った。家の前で携帯の番号を交換し、「今度カズくんのバイク乗せて」と、智は家の中へ入っていった。
玄関を開け、靴を脱いでいるとお袋が寝室から出てきた。静かに出かけたつもりだったが、気づかれていた。
「こんな遅く、どこ行っていたの?」
「眠れなくて、ちょっと散歩。そしたら知り合いに会ってさ、話してた」
「こんな時間に?」
「ん、うん」
お袋はまだなにか言いたそうだったが、それ以上は言わなかった。
和室へ戻って布団に入る。みんないい奴らだった。迷惑な不良たちではなかった。俺の写真を褒めてくれた。誰ひとり異世界の住人などではなかったし、世界はゼリーに置き換わってもいなかった。
今は世界の存在を疑ったことのほうが信じられなかった。




