野火
野火
なにもない頭に、じんわりと自分が戻ってきた。ぼんやりとした意識の中、再び眠りに落ちないように何とか立ち上がる。
目のやにをこすりながら、傍らの椀に手を伸ばす。中身を一息に流し込んで、せっかく温めたお湯はすっかり冷めきっていた。
快適すぎる安楽椅子が悪いんだと、内心ごちながら頬を叩く。
窓の外は西日で赤く染まっているから、そろそろいかないとまずいだろう。獣くさい外套をかぶり、頬を叩いて気合を入れ、寒い屋外へ向かう。差すような寒さが、襲ってくるが、さぼるわけにもいかない。すこし早足になりながらいつもの見回りをはじめた。
家の周り、開けた平野から茂みの奥へ、森の奥を覗き込むように見回していると木々の間の小さな光に気が付いた。遠くでちらちらと灯りが揺れている。寝ぼけ目でもう一度見直して、眠気はどこかに吹き飛んだ。予想外の事態に心臓が暴れ出している。
一度深呼吸をする。ここでの見張りなんて形だけ、7年間なにもなかったから、これもただの見間違いに違いないと思い込もうとして。しかし、灯りは依然として揺れている。それに近づいてきてはいないか?
人目はばかっての悪だくみか、それとも隣国が攻めてきたのか、なんにせよ息を殺して木陰から様子をうかがうことにする。灯りは森の奥だから直接確かめにはいけない。
10秒、20秒、……何分たっただろう。灯りは間違いなくこちらに来ている。しかし、光が強すぎるためか木々に巧妙に隠れながら向かっているためか灯りを持つ人の姿はよく見えない。
心臓は体全体を痙攣させるほどに鳴り、落ち着こうとしているのに武者震いと荒い息遣いは止まない。危なげな手つきで苦労して腰の鉈をさやから出す。
できるだけ不審な明かりから目線をそらさないようにしていたのだが、不思議なことが起こった。突然灯りが消えた。上下左右を見渡しても見つからない。
なんなんだ?疑問は思考を何秒も止めてしまって、慌てて周りをくまなく見ていると、なにか違和感を感じた。しかし、それが何かわからない。視界の中、あの木にこの木に、その茂みと目に入る一つ一つを確かめるように伺い、もどかしい気持ちと心臓を落ち着かせようとゆっくり呼吸をしながら、汗ばんだ手のひらで鉈の柄を握りなおした。
…ジジジジッと聞こえたかと思うと、突然体が痛みに包まれた。
痛い。痺れるような、刺すような痛みに抗うように、我が身をかき抱くように力を込めて、自分を見ても何のことはない外套姿、異常は見て取れない。しかし、痛みは耐えがたく、ややあって平衡感覚を失って、脚の骨が失せたかのように地面に倒れこんだ。断続的な痙攣を繰り返す中、視界は黒地の白い閃光で埋まって、目が見えない。体をかきむしるが痛みが消えない。
ほどなくして、樹々の陰から火の塊が這うように現れた。それはふらふらとあてもなくさまよい、伸び縮みするようにうごめいては、自分の身体を千切り飛ばすように火種をまき散らしている。その火の塊の形は、不出来な人形のようにも見えて、もちろん今では恰幅の良い男の面影はもうない。
まき散らされた火は、容易く成長して、樹々を駆け上って、選別必要ないと平等に広がった。
たった一点から広がる波紋の様に、膨れ上がった炎は、穏やかな片田舎を地獄に変えた。