ミクロフィアの神話
当時の書き方のままですので、空白の使い方が見にくいかと思いますが、ご容赦ください。
君には誰も触れられない
だから君を守っていけるのは俺だけだって
だから俺は此処に居るって、そう信じていた
それは、たったひとつ
俺の世界に色を落とした希望
*
――神は願いと魔法によって世界を作って神の国へと舞い戻り、天使と共になん時も人類を見張る始祖である。
人は神の残した魔法の力で世界は栄え、人々は穏やかに暮らしていた。
だが久遠の時を経て悪が蔓延り始める。魔法によって力を誇示し始めた人々が争いをおこし、地上は血で汚れた。
それを見た一人の天使が涙を流す。
祈りを忘れて嘆くその天使を見た神は嘆いた天使を地へ使いに落とし、その力で浄化した。
与えた魔法を取り上げ、元素の見方を忘れさせ、自然を呼び覚まし、生命を呼び戻した。
それでも争いを繰り返す人々に、神は感情を呼び起こさせ、最後に慈悲を与えた。
そうして六度目の使いを出し終えた神は言った。
――七人目の天使が嘆いた時は再生ではなく崩壊である。一から世界を練り直す――
そう天使達に告げ、今もなおこの世界を見続けている。
……これがミクロフィアに伝わる神話。
二十五代の現皇帝は、こんな狂った事を言うのは神にあらず。己こそ神であると大聖皇帝を名乗り始めた。
世界の崩壊を止めるため、神を捉える手段を考案している。その一端こそが神魔法教会であり、世界最高の魔法学を持っている……
「――って、どっちが狂ってんだか」
「これラタ! また叱られちまうよ!!」
「でもおばさん、神様とか言う割に、俺たちの生活レベル低いんでつい愚痴を」
「まったく……厄介事おこさないどくれよ」
「はいはい」
ここは、そんな神様とやらに次いで偉い皇帝陛下のいる帝都の近く、クロウェアの軍施設。といっても対した権限のない廃れた場所で、手先の器用さを見込まれて雑用を始めたのは最近のこと。
孤児の俺でも聞かされる世界神話だけど、俺は信じちゃいない。信心深くなるには環境が悪かったし、神様に助けて貰ったこともなければあったこともない。そう捻くれるには十分な環境で育った。
それでも、最近はその神話が頭から離れない。
なんでかって……間違いなく、つい先日から起きていることが原因なんだけど。
「ラタ、積荷下ろし終わったら“天使様”の御進物を頼むよ」
「はいよ、っと。御進物ね……」
――今まさに神話の中に出てきた“七人目の天使”って子が、この施設にいるから。
*
“天使様”とやらが来たのは二週間前。この施設の軍が小さな村で見つけたらしい。
なんで二週間もうちにいるかって、そりゃ偉い人の考えてることだ。手柄がどうこうやってんだろうけど、面倒くさいから考えた事もない。
しかし敬ってるっつーより、怖がっているという感じだ。
薄気味悪いって、誰も世話をしたがらなくて下っ端の俺にが食事運んだりしてんだけど……大の大人がそんなに警戒するなんてさ、どんな大層なお人かと思った。
初めて食事持っていった時、見事にその考えは変わったけどね。
金の巻き毛に細身で小柄。綺麗な子だなってくらいの、その辺にいる女と変わりなく見えた。
『――アンタが天使様?』
『……違うよ。僕はエル。エルティミアだよ』
よろしくね、と困ったように、それでも綺麗に笑った。
外観がどうこうってより、内面をあったかくしてくれるような笑顔。
――笑えよ。笑顔に一目惚れだよ。
でもまあ、捕まったって言うからにはどんな凄い力使えるのかと思って聞いてみたら、そんなの持ってないときた。
なら軍の連中はどこをみて判断したか?
それは、彼女の持つ、青緑の目。
人には無い色らしい、神話世界の色。
そんだけ。変な力使うわけでもなきゃ威圧感もない。今だって寝てるはずだ。雑用がてら彼女の部屋の前を通り――
「エルー、朝飯持ってくるから起きろよ。たまには早起きしろー」
……返事、なし。
こんな寝坊なもんなのか、天使様ってのは。
「エルー飯が」
「……ル、……」
「エル?」
「リデル……」
またその名前。
「エル、起きろよ。飯持ってくるから」
少し乱暴に扉を叩いて、返事を聞く前に部屋から離れた。
*
リデル。
最近よく聞く名前。まさか神様の名前じゃないだろう。
男か。男だろうな……
「ラタ!! ぼーっとしてないで、ほれ天使様の御進物」
「え、ああすいません……」
渡されたトレーにはいつもどおり水と、ハーブだけだ。いくら天使でも腹くらい減るだろ。
そう思っていつも果物やパンをくすねては一緒に持っていく。
部屋の前まで行くと、さっきの寝言が聞こえない事を確認する。我ながら女々しいとは思うけど、そこは仕方がない。
「起きてる?」
「うん、起きた。おはようラタ」
「おはよ、入るよ? 朝飯……」
「ありがとう、置いておいてくれるかな」
扉を開けると俺にはエルの背中が見えた。
初めて見たけど、小柄で白い背中。そこに小さい羽みたいな痣があった。
……。なんで、痣が見えるんだ? 痣って肌にできるもんだ、とそこまで考えて……
「どうしたの、ラタ」
着替え中だということに気がついた。
どうした、と言いながらこちらを振り返るエルに、俺の方が真っ赤になる。
「ごめん!!」
がたがたとトレーを持ったままで扉を占める。水は溢れていない、セーフ。
わざとじゃないってエルならわかってくれそうだけど。扉のすぐむこうから声が聞こえた。
「ラタ? どうしたの、入っておいでよ」
「あ……うん。ごめんエル」
「大丈夫だよ。僕はまだ女の子じゃないから」
「ああそ……え?」
……え? いや、そりゃ確かに胸はないなって思ってたけど……その顔で、男……?
「……何それ」
「男の子でもないんだけどね」
扉越しに聞こえる、少し寂しそうな声。
「どう見ても女の子だと思う、けど」
「うん、でも違うみたい。ここの人にも、天使には性別なんかないからって」
また出た、天使。
「その、生まれた時から天使って言われてたのか?」
「うん。でも羽は抜けちゃって、痕だけ残ってる。もう飛べないのは寂しいんだけど、目立っちゃいけなかったからちょうどいいのかもね」
「……隠してたの?」
「そうじゃないけど、リデルハートや、村の人たちは僕を天使っていわなかったから。今はラタもだね」
……リデルハート。聴きたく無かった名前が完全に出てきた。
「あの、さ。エル」
「うん」
「最近よく寝言で呼んでるよな。……その、友達? リデル、って人」
「何て言うのかな。……でもね、凄く大事な、大切な約束した人だよ」
『二年。この村で二年耐えて、エル。必ず帰ってくるから。それまでにもし、エルに何かあったら必ず助けに行く。約束』
『うん。待っているよ、リデル。頼もしいね、君は約束破らないから』
『あと一つ約束』
『なに?』
『出来ればでいい……二年たったら――』
「……そう、約束したんだよ。必ずって。……必ず、くるって」
「エル?」
扉越しに弱くなるエルティアナの声に、正直びっくりした。いつもふわふわと頼りない感じはあったけど、こんな――悲しそうな、彼女は。
慌てて扉をあけると、俯いて服を握りしめるエルがいた。
「エル……」
「最後に会ってから二年たった。……もう、忘れてるかもしれない」
「……」
「僕の所に来ないかもしれない。村からも離れてしまった」
「エル」
「……」
「――忘れちゃえばいい」
きょとん、とこっちを向くエルティミア。天使様がこんな間抜けな顔するのか?
「え……」
「いや、あの。忘れちゃえは酷いかもしれないけど。俺が、近いうちにここから出してやるからさ」
「でも、ラタ」
「大丈夫、意外と頼れるんだぜ? 俺も。その、エルのために俺も考える。だからそんな暗い顔すんなって」
「……うん」
「その……エルの目、晴れた空の色だろ。絶対綺麗に映えるし……俺、エルの目好きだし笑ってる方が好き、だし……」
エルがまた俯いている。ちょっと赤い。
やばいって、俺まで赤くなってくるじゃん!! 恥ずかしいの俺のほうなんだけど。これって告白に入るんだよな、たぶん。
「ありがとうラタ。僕も、君の目好きだよ。太陽の色してる」
「ただの赤茶だけど。覚えてて、エル。そいつがいなくたって、俺はエルを幸せにするから。絶対に守るから」
約束した、今。
だからそんな顔しないで、笑ってくれ。
「ラタ」
「うん」
「僕は君と会えて本当に良かった」
そう言って向けられた笑顔。
初めて会った時から、変わらない彼女の笑顔。優しい光でもって心をあったかくする……気づけば、俺はそれを何より愛しいと思ってた。
俺はこの笑顔と約束を守るためならきっと、何でもする。
そう思っている時だった。
ジリリリリリリリリリリリッ
けたたましく鳴り響く警報。外を見れば警備兵が裏へ走って行くのが見えた。
「ラタ、これ」
「警備兵が動いてる。侵入者かな」
「……」
「様子をみてくる。安心して」
エルティミアの顔にも不安が浮かんでいるのを見て、こんなときこそ強くなきゃね、なんて思った。
*
にわかに騒然となった施設の様子からして、間違いなく侵入者だ。ここは軍の施設だから、軍に――皇帝に不満を抱いてる奴らの的にもなる。
それかと思ったけど、それならこれだけの攻撃の筈かない。
足を進めると集まる兵士が見えた。雑用の俺が行っても追い出されるだけなんだけど……
兵士が入り乱れる中で、近くの窓枠にのってそいつを上から見る。
既に拘束され、それでも抵抗を続けるようにもがいている赤い髪の、若い男。
さわり、と心が揺れた。呼応するように男がこちらを見上げ、目があう。
そして――
「エルティミアを返せ!!」
心臓に釘でも打たれたような衝撃があった。
その衝撃をさらに抉り込むように、兵士の一人が声を上げた。
「革命軍、リデルハートだな。有名な手配犯がわざわざご苦労なことだ」
リデルハート彼が、エルの。
「エルティミアが……金色の髪の娘が“天使”の疑惑を掛けられてここに連行されているはずだ、を開放しろ!! 彼女は天使などではない!!」
「反乱軍の分際で天使様の名を呼ぶな下衆が!!」
酷く殴られて、そのまま引きずられるようにして奥へ消えた。
アルケミストっていえば有名な反皇帝派。あらゆる方法で魔法の威力を高め、民衆を考えない現皇帝を倒し、国の再生を目的とした人の集まり。つまり犯罪者。
……でも、本当にあれがエルの約束の相手なら。
俺、どうしよう。
*
エルの部屋へ戻ると、心配そうな顔で迎えてくれた。
「ラタ、なんだった?」
「あぁ……泥棒、だった。もう捕まったよ」
「そっか。ラタに怪我はない?」
「無い無い、見てただけだし」
良かった、と笑顔になるエルティミアを見て、苦しくなる。
確かめにいかなきゃいけない。あいつが本物かどうか。
*
夜。
静かに独房棟の中でも凶悪犯や死刑囚を入れる北区域へと入っていく。
酷く暗くて、血とカビの臭いで気持ち悪い。出来ることなら一生入りたく無かった。
「誰だ」
「下っ端だよ、リデルハートさん」
「……どうやって入った」
「地獄の沙汰も金次第。だったら安月給の兵士なんて楽なもんだ」
ま、俺の小遣い無くなったけど。確かめるためなら仕方ないと思う。
「あんたリデルハートだろ? エルティミアと、約束したっていう」
苦しい。俺の中の何かが、酷く苦しい。認めてしまえば俺に出来ることなんて一つだけだから。
「エルを知っているのか」
「世話掛かりだからね。元気でやってるよ」
「……そうか」
「なぁあんた。エルティミアは本当に“天使”なの?」
「あいつはただの人間だ」
迷いなく言われた、強い言葉。
「天使だなんだと言うのはお前たちが勝手に言っているだけだ。神話のせいだろう。エルにそんな大層な名前は似合わない」
そっか――エルはこれに守られてたんだ。
「現皇帝は神話伝えを何より恐れている。どうにか神に近づき――いや、神に成り代わるために動き出した。国民に広め、それらしき者を探させている」
「それらしき?」
「言い伝えの人に似ている、という程度でも捕縛の対象だ。天使と言われた者たちは帝都の協会で体の隅々まで採取され、実験をされて、最後は神へ返すという名目の生贄にされる。今までに天使や堕天使と呼ばれて連れ去られた娘の顛末がそれだ。エルティミアは実験台として、死ぬより無残な目に合う」
「……知ってるよ。でも、それこそあんたが二年もほおっておいたからだろ? 傍に居てやれば、こんな危ない目にあうことも無かったのに」
ガチャン、と乱暴に格子を掴む。かっこ悪りぃ、八つ当たりだ。
「あんたが革命軍なんかでエルを見ていなかったから、あいつは捕まった。なんで離れたんだよ、あいつを一人にしたんだよ!! 」
エルティミアは、当たり前だけど世界うんぬんなんて考えてない。ただリデルハートと暮らしたかった。
「エル、あんたが自分を忘れてんじゃないかって泣きそうだったぜ」
「……四年前、今の皇帝に変わってから異様なまでの神への執着が始まった。そこで初めて危機感を抱いた。気にも止めなかった青緑の目は、神話の住人と同じだったからな」
「……」
「静かに暮らしていても監査の目は村にも届く。今の皇帝ではエルを逃がすことはない」
だから革命を起こす。二年間かけて準備をしたのだ。エルティアナが人として暮らしていける世界を作るために。そして準備をしているさなか……エルが捉えられた事を知った。制止する仲間を振り切って己の命を持ってでも、エルを迎えにきたんだ。
こいつは、独裁的な政治がいやだから革命を起こす連中とは違う。
ただ、好きな女を守りたいんだ。
――俺と同じで。
「現皇帝を滅ぼすために、革命軍の情報が重要だった。しかしその本拠地も構成員も何一つわからない上に戦闘に素人のエルを連れて旅立てるほど、当時の俺は強くなかった」
だから、約束を置いてきたのだ。
――そしてコイツは、それを果たしにここへ来た。
「お前は、何のためにきた?」
「は?」
「エルを天使、堕天使と呼ばない奴は少ない。……お前は、何のために、ここへ来た」
ズタボロになってる筈なのに、衰えない声の意思。これが強さだとしたら。
ほんと、嫌な奴。
こいつと一緒ってのが、物凄く嫌だけど。
「たぶん、俺もエルを天使様なんてお高い存在にしたくないんだ」
「……そうか」
背中にリデルハートの視線を感じたまま、俺は独房を出て言った。
*
エルティミアに夕飯を届けにいく時間だ。いつものように水と何かのハーブだけの味気ない物に、パンやハムをつけて階段を上がる。
いつもと同じ動作の中で、違ったのは、エルの部屋数人の兵士によって固く守られていたこと。
「――え、なにこれ」
「帰れ」
「いや、夕飯を」
「我らが持っていく。お前はもう下がって」
「ラタ? ラタ、どうしたの?」
「あ、ほら呼んでる。大事な方に呼ばれちゃいかなきゃだめですよねー」
「……いいだろう。せいぜい別れでも行いってくるがいい」
……別れ?
トレーを持ったまま部屋に入って、座っているエルを見る。少し笑顔が曇ってる。
「明日帝都に行くって。急に決まったみたい……」
天使の御利益欲しさに帝都行きを渋っていた軍部が、やっと決めたらしい。そうだな、ここで逃げられたりしたら……それも反乱軍の手で、とか失態もいいとこだ。
「僕、天使になっちゃうのかな」
「え」
「ラタやリデルと一緒にいられないのかな」
うつむき掛けたエルのほっぺを挟んで、俺の方に向けた。
「大丈夫」
「ラタ?」
「エル、いいか? 夜明け、眠いかもしれないけど起きてて」
絶対。
そういって指きりをしたら、エルはあの綺麗な笑顔を見せてくれた。
あぁ、ほんと逃げらんない。
*
夜明け前。俺は北の独房前にいた。
……手に、酒を持って。
「よぉ、お疲れ様衛兵さん」
「下っ端、貴様が近寄っていい場所では……」
「や、上の役人さんがね。有名な奴を捕まえた祝いだって、みんなに飲ませてるんです。俺みたいな下っ端は貰えないんですけど」
我ながらいい笑顔でカップを差し出す。中身は上質の赤ワイン。
滅多に飲めない上物にゴクリ、と唾を飲む音が聞こえる。
「他のみなさんも飲んでます。もうすぐかわりの人もくるでしょう? ささぐいっと」
「……そうか、上からの祝い酒ならば仕方ない」
ごくり、と飲み干す音。にっこりと、俺はもう一回笑った。
そして目の前にはふらふらと倒れ込む見張り役の軍人――ちょろいな。
たった一人に何が出来るという油断。身内に裏切られるなんて思いもしないだろうしね。
「リデルハート、まだ生きてる?」
「……今度は何をしにきた」
「エルとの約束を守るために」
ジャラ、と牢や枷の鍵束を見せて笑う。
ほんの少し目を開いたリデルハートを見て、独房と彼の足と腕を縛る鎖を外していく。
「これ外しても、俺を人質にしたり殺したり八つ当たりしないでよ」
「しない」
「……ならよし。あんたの武器はたぶん詰所の奥だね。どれかわかんないからさっさと持ってきて」
思い鉄から開放されたあいつは一度伸びをして、すぐさま看守室へむかって、ものの十秒ほどで棒状の武器を持ってきた。そのままリデルハートにロープを投げる。
「これは?」
「酒に睡眠草の汁を混ぜたのを飲ませた。効果は薄いからそこの兵士縛っておかなきゃ」
「わかった」
てきぱきと数人を縛り上げて、牢屋に放り込む。
「エルティミアの部屋は近いのか?」
「ちょっと離れてるよ。近くまでは抜け道があるけど、あんたが来てから部屋に見張りが増えた」
「何とかする」
「は、頼もしいね。俺、あんた嫌いだ」
「そうか」
「俺とあんたの好きな子が一緒って時点でもう気に食わねぇんだけど」
「……そうか」
なんだかあいつが笑ってる気がして、悔しくなった。
*
暫く走って、物陰へ潜む。下っ端ならではの抜け道ってこういうとき便利なんだな。
「部屋の前には警報がある。俺が注意引くから、警報鳴らされる前に見張り倒してくれ」
「……いいだろう。今更だが、お前の名は?」
「ラタだ。あんたは?」
「リデルハート……知っているだろう」
「もう聞き飽きた名前だけど、改めて聞くとまたむかつく」
微妙な表情のリデルハートを残し、部屋の前へと進んでいって深呼吸……そして。
物陰から飛びだし、慌てた風を装って兵士を見る。
「兵士さんたち! 今牢屋から犯罪者が逃げたって本当!? 騒ぎにしたくないから世話役の俺に天使を確かめてくれって言われたんだけど!!」
「なんだと!? ……だが心配はいらん、我らは一歩たりともここを動いていない」
「ばっかだな、教会さんみたいに魔法の使う連中だぜ。盲ましでもされてたらどーすんだ。だから俺をよこしたんだろ」
「む……」
堂々と部屋の扉へ手を掛ける。そして――
「な、貴様!!」
「――悪いな」
急に現れた侵入者に慌て統制が崩れた。さらに警報の前はバッチリ俺が陣取ってるために兵士はすぐ反応できない――そんな最後の間抜けをリデルハートが殴り倒す。
倒れた兵士の腰を探って鍵を探した。なんでおっさんの服あさらなきゃいけねーんだよ……悲しくなってくる。
当たりの鍵を見つけて、リデルハートを振り返る。……こいつの目にはもう扉の向こうしか見えてないんだろうな。
「エル、起きてる?」
「ラタ、よかった。君の声がしてから今大きな音がしたんだ。何かあったのかい?」
「後で説明できたらする、ちょっとまってて」
俺が開ける前に説明しようか悩んだ、けどあいつはお構いなし。
「エルティミア」
「え……」
「エルティミア?」
大事なものに触るように、扉に触れ、もう一度彼女の名を呼んだ。
……脇役ね、俺。扉を開けて、そこにはいつもどうりエルティミアがいた。
ただ……いつもと違うのは、エルが俺を見ていなかったことくらい。
「リデル」
「すまない、遅くなって」
リデルハートが部屋へ入って手を差し出すと、恐る恐るといった風にエルが手を取る。みるみるうちにエルの顔が歪んで、涙があふれると同時に――抱きついた。
「ほんと……本当に来てくれたんだ……」
「約束しただろ」
「ごめんねリデル、僕は」
「……いい、もう大丈夫だ」
二年越しの、感動の再会なんだ。
エルの望みを叶えた、そう叶えたのは俺。
――なのになんで、こんなに胸が痛くて泣きそうなんだ、俺は。
「ラタ、ラタ?」
「え、あ――。邪魔?」
「違うよ!」
明るいエルの声と同時、抱きつかれた。髪の毛が少しくすぐったい。
「本当にありがとう。ラタが全部助けてくれたって」
お強い兵士倒してくれたのはそこの彼だよ。
「お前のおかげだ、ラタ。感謝する」
……何だよ。
卑屈になってる暇もねー、コイツら。どんだけいい奴らなんだよ。
ゆっくりとエルティミアを離れさせて、リデルハートの元へかえしておく。
兵士がいないことを確認して廊下を進み、廊下の壁の一部を何回か蹴って、緩める。少し壁がすれたら手で外すと、少しかがんで入るほどの穴。何回かお世話になった秘密の抜け道だ。
「二人ともこっち。ここに入って」
「抜け道か?」
「そう。軍の施設とはいえ昔々の人がせっせと掘ってくれた抜け道がいっぱいあるんだ。埋められたりしてんだけどたまたま見つけた。けっこう急で暗いから、気を付けて。ここ地下水脈があって、滑り台みたいになってるんだ」
「……大丈夫か、それ」
「だいぶ昔のみたいだし、ここの連中は知らないはずだよ。俺が補強して使ってたし大丈夫だろ。出口は東の山の麓。水脈に出たら道を崩しておけば追ってくることもない。――ってわけで、早く行って。俺が時間稼ぐから」
それが俺の決意。
「ラタ」
「文句言うなリデルハート。迎えに来たなら責任もって安全に連れてかえって」
「……」
「ラタ、なんで? 一緒にいこうよ!」
「エル。ここで振り向かず手を振るとかできたらカッコイーんだけどさ、俺臆病だし、しつこいから、もっかいだけ顔見せて」
エルティミアを見て、もう一回大好きな青緑の目を見める。よし。
「何回でも見せるさ、ラタ。ねぇ一緒に行こう」
「……」
「ラタ!!」
ざまぁみろリデルハート。短時間でこんなに愛されちゃってるんだぜ。
その綺麗な顔がまったく動じてないのが気に食わないけど。
「じゃ、行ってリデルハート」
「……あぁ」
「リデル待ってよ、本当に置いてくのかい?」
「……」
「リデル! 恩人なんだ、大切な――大切な人なんだよ」
置いていけないと、目を潤ませていくエルティミア。
俺の方が驚きだ。――俺のために泣いてくれる人がいるって、幸せだなー。
こうなったらもう一緒にいきたいデス、なんて泣き言いえないじゃん。
「さすがにさっきので気づかれて、明かりが増えてきた。早く行ってくれ。そんでエルを早いとこ安全なとこに連れてってやってよ」
「ラタ」
「あ? 別にありがとうなんざいらねーから。いいからさっさと」
「一生かけて、お前に感謝する。いずれ恩を返すために、お前が追って来るのをまっている」
「……」
「お前がライバルなら、張り合いがありそうだ」
……男に待たれても。ていうかなんつー恥ずかしいことをさらりと言う奴だ。俺はそもそも張り合うつもりなんざねーし。
いい男すぎんだろ。どこの勇者だ、俺が惚れちゃうよ?
リデルハートはそれっきり振り向かず、エルの肩を抱くようにして抜け道へ入っていく。
「……エルティミア、元気でな」
さっきから擦っている目元は赤くなってる。せっかく綺麗な青緑なのに。
それでも懸命に顔をあげて俺を見てくれた。
何か言おうとして唇が動いたけど、俺はそれを見なかったことにして抜け道を埋めた。
*
最後に見たのが泣き顔ってのが、ちょっと寂しい。
それはまぁ、俺への愛情の深さってことで仕方がないよな。
遠ざかった足音から一変して、ガシャガシャと忙しない音が集まってきた。いらっしゃい衛兵さん、君たちの天使様はもうどこにもいないよ。
「遅かったっすね。今しがた逃げちゃいました」
「……ラタ、後で話を聞かせてもらう。牢番を襲い、罪人を逃がしたものが貴様に酷似していたというのでな」
「そりゃそーっすよ。俺だし」
「吐け。“天使”と男はどこへいった」
ズズズ――ドォォン!!
そりゃできません。そう思ったら、やっときた――まっていた、地響き。
「な――っ!!」
「地震、いやこの煙は、まさか!?」
「指先と悪知恵は働くんで」
「貴様、爆薬をどこから……!!」
「元盗人ですから。仕入れ雑務の中でちょろまかすのは得意だし」
「何をいって……」
「悪いけど、諦めて。天使なんて、もうどこにもいない」
誰よりも、エルを思う人が傍にいる。
爆発する建物。
一般の働き手が寝泊りする方には置いてないし、エルたちが逃げた方には仕掛けてないから。
二人を……エルを守る最後の抵抗だ。
「へへ……間抜け」
「貴様っ」
乾いた音。
一拍おいて脇腹に走る衝撃と痛みで、喉元へ上がる絶叫。
「あぁあぁぁ!! いっ……てぇ……」
「小僧ただでは――」
「おい、その小僧は生きていたら参考人だ、そのくらいにして、今は奴らを追え!! あと手分けして消火を――」
兵士の足音が遠ざかり、俺は足に力が入らなくなってその場へ倒れ込んだ。
それでも痛みで掠れる思考の中で、ひたすらに願ってた。
喉にせり上がってくるのは声じゃなくて吐き気と鉄の臭い。喉はもうカラカラに枯れているのがわかる。
それでも彼女たちへ叫びたかった。
どうか、どうか。
無事に逃げろ、って。
頭の中で。
心の中で。
体全体で張り上げ続けた。伝えたくて。
「エル……俺……」
実際声を出したら、遠いエルティミアへと向けているのに掠れきっててどうしようもない。
でも伝えなくちゃいけないんだ。
言えなかった思いじゃなくて、もう伝えた願いと約束を、あの寂しがり屋に。
――俺はね、エルティミア。
あんな狭い部屋じゃなくて、澄んだ空の下で笑っているエルティミアを見たかった。
それはもう、叶わないんだろうけど。
『ねぇラタ。僕は君と会えて本当に良かった』
目がくらんできた。そこらへんから上がってる煙のせいかな。
「エル……」
段々と暗く歪む視線の先には冷たい天井があるはずなのに、俺の前には晴れた日の青空が見えていた。
そして、あの優しい笑顔。
エル。
俺は約束を守るから
……生きて、幸せになって。