姫君と下僕と貢ぎ物
ミゼルを泣かせてしまったせいで俺はますます彼女の言いなりだ。とりあえず、あの後しばらくしてまた絡んできたノエンナ領の貴族を一撃で沈めておいた。
「大丈夫よ。ノエンナ領にツァイト家より強い家は存在しないわ」
「でもラオフ領とノエンナ領の関係が険悪になったら……」
ばかね、とミゼルは俺をからかう。
「お気持ちを尊重してずっと言えなかったんだけど……ダスト様に難しい考えごとは向いていないと思うの。そういうのは領主にお任せしましょ? 私は、自由にのびのびとしてるダスト様が好き」
兄上に迷惑かけたくないんだよ、とはもはや言えない状況だった。やられたらやり返すって言ってくれたわよね? と迫られてしまっては。あの時、俺の言葉にじっと耳を傾けていたミゼルは一言一句を記憶していた。
「ね? みぞおちに一発入れてみたら?」
俺は覚悟を決めた。兄上、ごめん。後はよろしく!
定石通り一番強そうなやつを沈めたら後は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。今までやられっ放しだった俺が突然反撃に出たものだから、さぞかしびっくりしただろう。軍務宮なめんなよ。すっきりした後、冷静に戻る。
……ついにやってしまった。本当に大丈夫なのかな。
不安だった俺は、目の前で完全に落ちてしまった男を介抱してやった。
「そんなに心配なら言ってあげたら良いのよ」
ミゼルの助言(?)が脳裏に蘇る。俺は小声でぶつぶつ復唱すると、目覚めた彼に一息で告げた。
「俺にやられたことは黙っておいてね。じゃないとゲロ吐いたってミゼルにばらすから。ちなみに君らが今まで俺にしてきたこと全部ミゼルにばれてるから」
棒読みになってしまった。
俺をボコりたくなる気持ちが分かるだけに、ちょっとだけど心が痛むな。
その後、ミゼルはまたもや笑顔で迫ってきた。
「乙女の涙の責任、取って下さる?」
俺は彼女を泣かせたお詫びの品を買いに行く羽目になった。泣かせたという事実に加え、命を救われているので絶対服従だ。
でも女の子に贈り物なんてしたことがないから悩むなあ。誰かに相談するのが一番なんだけど。
兄上はこういうの苦手っぽいしな……ノエンナ領の貴族ならいっぱい貢いでるんだろうけど、とても聞けないし……いや、一人いるぞ。ノエンナ領の貴族で相談に乗ってくれそうなやつが。
「ミゼルさんに贈り物? あの人はどんな物でも喜んでくれるよ。あげる側としては嬉しいよね」
いきなり司書宮に顔を出した俺に対して、嫌な顔一つせずにミゼルの弟――キリストアは教えてくれた。またさぼってるの? とはつっこまれたけど。
「そうなんだ。でもやっぱり高価な物?」
「彼女を飾るならそれなりに相応しい品が必要だと思うよ」
当たり前だろ、とは彼は俺を蔑まなかったけど、明らかに困惑されてしまった。
「でも喜んではくれるけど、満足してもらうのは至難の業だろうね。一、二度使ったらミゼルさんはもう見向きもしなくなるから」
「君を義理の弟と見込んで頼みがあるんだ」
俺は自力で手に入れるのを諦めて代わりに買ってきてもらうことにした。
「構わないが、ミゼルさんは鋭いから見抜かれてしまうと思うよ。私が使う店もあの人は知っているだろうし」
「でも君ならミゼルの好みとか分かるだろ!? 俺、そんな買い物したことないから全然分からないし、趣味の合わない物あげてがっかりさせたくないんだ。お願いします!」
「私が選んでも満足してはもらえないと思うけどね……」
それでも親友の弟、なおかつ実姉の夫である俺の頼みをキリストアは引き受けてくれた。俺ってこういうのが多い。超絶美人のメーウィアが優しくしてくれるのも俺が兄上の弟だからだし。身近なつてに縋る俺。
「ダスト様、ありがとうございます。すごく私好みだわ!」
上品な包装を紐解いたミゼルは目を輝かせた。俺もすげー、と思った。キリストアが選んだのは瀟洒な銀細工が施された腕輪だった。色彩豊かな小粒の宝石がちりばめられていて、彼女の瞳に負けないくらいきらきらしている。値段がどうとか野暮な話を彼はしなかったけど、野暮な俺は後からうちの使用人に確認して目玉が二個とも飛び出した。
「あとさ、これはあくまでおまけなんだけど」
別に持っていた小さな紙袋を差し出す。
俺は城下の巡回中に露店で見つけた髪飾りを購入していた。布製で、紛れもなく安物だ。買うつもりもなかった。でも商売上手なお姉さんが品物に目を留めた俺にすかさず声をかけたのだ。
「お兄さん、好きな子に贈り物? こういうちょっとした物が口実には抜群よ。さりげなく距離を詰めていくの」
キリストアに頼んだものの、俺はやっぱり気にしていたんだろう。見透かされたみたいでちょっと恥ずかしかった。
「仕事中だからやめとくよ」
当たり障りのない断り文句で去ろうとするとお姉さんはなおも食い下がる。
「ねえお兄さん、目を留めたってことはこの髪飾りが貴方は少なくとも気に入ったんでしょ? 感覚って大切よ。これもなにかの縁だと思うの」
うーん、そうかな?
まあ高い物じゃないしと、お姉さんの熱意に負けて買ってしまった。代金を支払うと「お買い上げありがとう、手作りなの」と彼女は少しはにかんでいた。
「ちょっと待って」
手を伸ばしたミゼルから紙袋を取り上げる。不機嫌な顔をさせてしまったけど構わず、自分で包みを開いた。手のひらに収まる大きさの花を象った髪飾り。淡い空色と深い紺色の布を組み合わせて花びらを模していて、一枚一枚に丁寧な刺繍が施してある。これが手作りなんだ、と感心した。腕輪の値段には遠く及ばないけど、形が崩れないようにちゃんとした部品で補強して繊細な部分にまで綺麗な模様が縫い込まれている。
「それは?」
「巡回中に見つけて買ったんだ。ちょっとつけてみてよ」
お姉さんの顔を思い出すといらなかったら捨ててよとは言えなかった。露店で買った商品なんて、手渡したらミゼルは一度も使うことなく捨ててしまうかもしれない。でも、一回くらい君の頭を飾っても良いじゃないか。受け取る側の気持ちを無視した自己満足だけど、これくらいは許してくれるよね。
緊張しながら黒蜜色の髪に手を触れる。留め具を引っかける形になっていたので俺でも簡単に取りつけることが出来た。
「これをつけて夜会には行けないだろうけど」
鏡台に置いてあった手鏡を取って渡す。ミゼルは無言で自分の顔を見つめていた。そしておもむろに花飾りに手を添えて、角度を変えながら首を傾げている。きらきらした晴夜の瞳を俺に向けて。
「……似合う?」
「すごく可愛いよ」
濃紺と空色の花びらが慎ましく耳もとの髪を彩っている。俺には彼女を飾るに十分相応しいと思えたけど、こんな安物じゃ駄目なんだよな。まあ、早速身につけてくれている銀細工の腕輪と明らかに不釣り合いではある。
「ありがとう。とっても、嬉しい」
腕輪の絶大な効果もあってかミゼルは機嫌を損ねることもなく、俺はほっとした。
「ダスト様、腕輪のお礼は後でちゃんとキリアにも伝えておくわね」
あ、やっぱりばれていた。
「奥様、今日は随分とご機嫌でいらっしゃいますね。旦那様からの初めての贈り物、そんなにお気に召されたのですか?」
「ふふっ」
鏡台に向かって自らの姿を楽しんでいたミゼルは、背後に映った使用人に極上の笑顔を振る舞った。その傍らには高価な腕輪がぞんざいに転がっている。
【終】