姫君と下僕と夜会
「ねえダスト様、聞いてる?」
「えっ……ごめん、なんだっけ」
俺が持ってきた焼き菓子をご賞味しながらミゼルは軽く頬を膨らませる。あ、やばい。ちゃんと話を聞いてないと怒られる。恐怖心(?)から居住まいを正すと、ミゼルは気を良くしたのかにこっと笑って俺をどきっとさせた。
「だからね? 一月後にキリアが夜会を開くのですって。一緒に行きましょ?」
キリアというのは彼女の弟、キリストア=ノエンナ・ハスニカのことだ。ハスニカ家の次期当主だけど領内の有力貴族をまとめる姿に彼を当主と同格の扱いをする人も多い。ミゼルから今、一緒に行きましょ? という言葉が出たけどもちろんこれは俺にお伺いを立てているわけではない。
「ハスニカ家の夜会なら君一人でも大丈夫だろ? 俺ああいう場所はちょっと苦手……」
以前の俺ならこう言って彼女を怒らせていただろう。今の俺はもちろん違う。
「じゃあ夜会用の新しい衣装でも仕立てておく?」
「ぜひそうしたいわ。嬉しい!」
どうせ強制連行されるなら喜んでもらった方がこちらも気分が良い。でもハスニカ家の夜会とか本気で行きたくないんだよなあ……あそこ、ミゼルの親衛隊(貴族)とかいるし。俺との結婚で解体したはずなのに、なんか残党みたいなのがいるし。俺を快く思ってないやつはわんさかいるだろう。ミゼルもそのことは知っているはずなのにお構いなしだ。俺のこと好きでもなんでもないんだから、考えもしないんだろうけど。憂鬱だ。
兄上の奥さんは超絶美人だけど、兄上が側にいる時は他の貴族は基本的に声をかけようとしない。だけどミゼルの場合は、俺がいてもひっきりなしにお声がかかってくる。それがミゼルの地元の夜会ともなればなおさらだ。今夜の彼女は新しく仕立てた紺色のドレスに身を包んでいて色鮮やかな花の髪飾りが良く引き立っている。そして髪飾りは彼女の笑顔をより一層鮮やかに引き立てていた。
「ミゼル、君がいなくなった後のノエンナ領はすごく寂しいよ。もっと帰ってきてくれたら良いのに」
「あら。私がいなくたってキリアのお願いをちゃんと聞いてくれなくちゃ、いやよ?」
「もちろん。他ならぬ君のためだ、ハスニカ家を領主と仰ぐことにこれまでもこれからも異存はない」
信じられないような話だけど、彼女の魅力に従っているノエンナ貴族は多い。ツァイト家に嫁いでくるまでは彼女が実質的なノエンナ領の支配者だったし、今の会話を聞いていても影響力は健在だ。ミゼルの笑顔にはそれほどの意味があって、価値があって、俺が独り占めして良いものだとはとても思えなかったから他の男に囲まれていても俺は従者のように側にいるだけだ。ミゼルに寄ってくる彼らは俺を無視するやつが多いから退屈ではあるけど、まあ嫌味とか言われるよりはマシだ。後で絡まれても面倒だし。
「ミゼル、せっかくだし踊らないか」
「どうしようかしら……」
ミゼルがちらりと俺を見た。一応形式的な夫である俺に気を遣ってくれるところは優しい。俺のことを好きじゃなくても、たまに優しい。
「行ってきなよ。久し振りなんだし、君と踊りたいやつはたくさんいるだろ? 俺は少し疲れたから適当にしてるよ」
「ありがとうございます。ダスト様」
よほど嬉しかったのか、いつもより丁寧かつゆっくりな口調でお礼を言われた。
疲れたと言ってもミゼルの側で終始無言でじっとしているのに飽きただけだから、目についたごちそうで腹ごしらえをした後は軽く踊って身体を動かしたいなという気分になっていた。でも世間で“ツァイト家の優秀な兄、出来損ないの弟”と揶揄される俺と踊ってくれる女の子はあまりいない。仕方がないので人波をすり抜けてメーウィアを探してみた。兄上の奥さんだ。俺は無害だと思われているらしく、彼女を借りても兄上の機嫌が悪くなったりはしない。兄上はミゼルの弟と親友なので今夜もきっと招待されているはずだ。お、いたいた。超絶美人はどこにいても超絶目立つ。
少しだけメーウィアと踊ってもらってから俺はすぐにミゼルと別れた場所まで引き返した。まだ他の男と踊っているだろうなと思ったら予想に反して彼女は俺を待っていた。珍しいことに取り巻きが一人もいない。
「ごめん。待たせた?」
「ものすごく」
……めちゃくちゃ怒っている。可愛い時と怒っている時の落差が激しいので、怖い。
「私を一人にするなんて信じられない」
だよなあ。黙ってても周りの男がちやほやしてくれるんだ、俺なんかに待たされたら腹も立つだろう。
「ええと、ごめんね。他のお誘いは?」
「追い払ったわよ、そんなの」
なんで?
「信じられない、メーウィアと踊るなんて」
「あれ、見てたの?」
ミゼルはにっこり笑った。
「見えたの」
「俺みたいなダサいやつを相手にしてくれる女の子なんていないからさ、メーウィアに頼んだんだ」
「あら。私は?」
「いや、他のやつと踊ってたし」
ミゼルはまたにっこりと笑った。
「そうよね。踊ってたものね」
やっぱり怒っている。顔は笑っているけど。と思ったら、この世の終わりを目前にしたみたいな悲痛な顔をされた。
「……ばか」
「バカだけどさ……」
面と向かって言わなくても良いじゃないか。気ままで気分屋な彼女はいつも俺を振り回す。
「あ、そうか。そういえば一緒に踊ったことなかったよね。踊ろうよ」
「えっ……」
今さら機嫌が直るとは思わないけど俺は努めて明るく振る舞い、強引にミゼルの手を取って曲の輪に足を向けた。
「ばか。ばか、どうして」
馬鹿を連呼された。恥ずかしいから人前ではあまりこき下ろさないで欲しいんだけど。俺は恥ずかしさをごまかしたくて、もしかしたらちょっと嫌がっているかもしれない彼女の手をぐいぐいと引っ張ってしまった。
【終】