姫君と下僕の会えない時間
「ここのところずっと、お忙しいのね」
「えっ……うん」
茶器を置いてミゼルの顔を見る。
仕事で来週は留守にすると伝えたのは夕方帰ってきてすぐだった。食事を終えて寝室に入る前の休憩時間、ひと息ついている時に言われたので時間差に面食らった。ちなみに食後に茶をたしなむ習慣はミゼルの提案(もちろん俺に拒否権はない)で始まった。日中ほぼ別行動だから二人でゆっくりする時間を作りたかったらしい。
「つまらないわ」
「一週間なんてすぐだよ」
ミゼルは深く息を吐いて、わずかに残っていた茶を飲み干した。物欲しそうにしていたので使用人に任せず手ずからおかわりを注いであげる。いつもならお礼を言ってくれるのに今夜はすねたままだ。
「だって、帰っていらしたと思っても数日後にはまた出て行ってしまうんだもの。なんだか生傷も絶えないから心配よ。ダスト様は一週間も私に会えなくて平気なの?」
えー……と。
週に一度は帰ってくれば良いかという見通しはどうやら甘かったみたいだ。
どうしてこんなことになっているのかというと、いつだったかミゼルが衝動買いしちゃった別荘の代金分を稼がないといけないのをすっかり忘れていたのだ。家令にせっつかれていざ取りかかろうとしたところ、ミゼルがついて行くと言ってきかなくて困ってしまった。ひと月以上も私を放っておくなんて信じられない! みたいな。
賊の本拠地を叩くほどの大がかりな任務をこなすためには入念な下準備が必要だし、治安の悪い辺境に出向くわけだから、行って帰ってくるだけでも日数がかかってしまう。そんな場所に彼女を連れて行けるわけがなく、だからといって余裕のない計画を立てたりなんかしたら、俺が仲間から袋叩きにされる。
結局、一括で別荘の代金を賄うのは諦めざるをえず、「あ~ラオフ領が強襲されたら楽なのになあ~」なんて不謹慎なことを考えながら、長期間出かけずにこなせる任務を探して地道に点数を稼ぐほかなかった。
「今だけだよ。あと少しで終わるから」
正直、勅命を除いたらここ数年ないくらい真面目に働いている。ミゼルに指摘されてさすがに邸を空けすぎたと気づいたものの、俺だってさっさと終わらせたいんだ。
彼女を説得するために「君のせいなんだけど」と言ってしまうのはなしだ。理由を話せば納得してくれるかもしれないけど、その代償に、ミゼルはきっともうわがままを言わなくなる。
出来る限りの協力をすると言ったのは自分だ。彼女のためにしてあげられることがあるのなら、見返りに喜ぶ姿が見られるなら、彼女の好意には最大限の誠意で応えたい。
「浮気してないわよね?」
「してないし、考えたこともないよ」
どうしていつも気にするのか不思議でならないけど、こういうことを相手を不快にさせずに目を見てはっきり問えるのはすごいと思う。疑ってるんなら険しい顔の一つも作りたくなるだろうに、不安そうに聞いてくるからやましいことはないのに罪悪感を覚えてしまう。
「じゃあ、私が浮気してないか心配にならない?」
今度は目をそらした。と思ったら、ちらりとこちらの様子を窺ってくる。
思わず首をひねったのは質問の意図が分からなかったからだ。ミゼルを好きになるってどういう意味なのか分かっているつもりだから、いちいち気にしないようにしている。でもここで馬鹿正直に答えたら、過去に犯した過ちを繰り返すような気がした。
「するの?」
まあするよね。
する、と返ってきても動じない覚悟があったから目をそらさずに聞き返した。予想しない反応だったのかミゼルはほんの少し考えこんだ。
「……したら、飛んで帰ってきてくれる?」
ああ、なるほど。
最初っから、ミゼルは自分だけが留守番させられることに不満をもらしていた。どうやったら外出を阻止出来るか試しているわけだ。
「俺の気を引くためにそんなことするの、馬鹿げてるよ」
利用される男たちも可哀想だ。
「つまらないわ」
ミゼルはもう一度呟いた。色んな思いを飲みこんでいるようにも聞こえたけど、俺にはどうすることも出来ない。
軍務宮で地位を持たない者が多くの成果報酬を得ようと思ったら、王都に届いている被害状況をもとに正式な手続きを踏んで、賊を討伐して手柄を立てるのが文句なく評価が高い。大がかりなことは出来ないため苦し紛れに出した結論は「身近な野盗でも取っ捕まえて点数を稼ごう」だった。軍務宮の宮員が数多く存在するラオフ領では効率が悪いので、お隣りの領地にお邪魔して、金持ちの家をはしごして警護の任務で荒稼ぎさせてもらった。運良く(悪く?)平穏に仕事が終わって点数が稼げない場合でも金持ちは金払いが良かった。主に商家で、ツァイト家の名前を出すと報酬に上乗せしてくれる依頼主もいたくらいだ(驚くべきことに、兄上だけじゃなくミゼルにもくれぐれもよろしくと手を握られたりした。お得意様なの?)
ミゼルを置いて行けるのは一週間弱が限度だったから、領地の行き来は手間だけど仕方がない。
これをひたすら繰り返して、報酬の管理を任せているカーシェンからは「普段からやる気出して頂けると心強いんですけど……」とぼやかれた。
「ラオフ領に巣食ってたならず者が近隣の領地に逃げこんだって噂は本当だったんですね。お疲れ様でした」
本家に立ち寄って首尾を報告するとカーシェンが労ってくれた。諸経費を引いて残りいくら必要なのかは全部こいつが把握している。それによその領地で暴れるわけだから、あらかじめ領主に話をつけておいてくれたのもこいつだ。
最終的には捕らえた輩から情報を引き出して、大方の見当がついたら領主に腕利きを集めてもらい、溜まり場を襲撃して一掃するのが理想だった。だったんだけど、首尾良くことが運びすぎたのは相手が組織的な連中じゃなかったからだ。
「巣食ってたっていつの時代の話だよ。俺とクランが野盗狩りしてる情報が賊の間で出回るの遅かったし、大した溜まり場にはなってなかった。ならず者退治じゃ思ったほど成果上がらなかったよ」
「多く収めて頂く分には結構ですが、まけませんよ。別荘の維持費までは言及しないんですから」
「分かってるよ」
実はちょっと期待していた。やっぱ駄目か。
「領内の仕事を斡旋してあげますから残りは年内を目安にぼちぼち返して下さい。今はそれよりも優先して頂きたい問題が発生してるんで、それくらいは待ってあげます」
「は? 聞き捨てならないんだけど。俺またなにかやらされるの?」
「ミゼル様って本っ当に問題ばかり起こしてくれますよね」
真顔やめて。
ふと出かける前に、ミゼルから言われたことを思い出す。
「……もしかして浮気した?」
邸に帰るとミゼルは居間で刺繍をしていた。繊細な作業が俺にはとても真似出来なくて、前に完成品をものすごく褒めたらいろいろ作ってくれるようになった。椅子の背もたれや腕を置く場所にかけられてる布とかはだいたい彼女の作品だ。ただいまと声をかけると、いつもの笑顔で「ご無事で良かった」なんて返してくる。
どうしようかな。
扉の辺りで迷っていると、ミゼルの方から立ち上がって近寄ってきた。
「今度はいつまでいられるの?」
「めどがついたから、しばらく遠出はしないよ」
「! そう。良かった。じゃあ、次の夜会には一緒に出られるのね?」
「ああ、もちろん」
ぱっと花が咲いたみたいに空気が華やいだ。
そんなに喜ばれると舞い上がってしまいそうだ。聞かなきゃいけないことがあるのに。
「あのさ、俺の留守中、変わったことはなかった?」
「ないわ。いつも通りよ」
即答だ。
ミゼルならそう答えるよな。言いたいことがあれば自分から言ってくるし。
「どうなさったの? 久しぶりに私の顔が見れたのに、嬉しくないの?」
「いや……」
歯切れの悪い返事をすると、ミゼルは愛らしく首を傾げて。
「浮気の話が聞きたいの?」
だからそれは気にしてないって。ああ、憂鬱だ。なんでいつも損な役回りを押しつけられるんだ……。
当のカーシェンも困惑していた。
「ダスト様が不在中に、ミゼル様に対抗する勇気あるご令嬢が登場したんですよ」
「すごいね」
素直な感想だ。ミゼルに喧嘩売ろうなんて滅多に出来ることじゃない。
「ミゼル様の影響力はでかいですが、あくまで政治的にですからね。女の見栄で張り合うとなると、旦那がヘボいと分が悪い」
俺がミゼルの足枷になってるのは認めるけど、こいつに見下されるのは腹立つな。まあ良いけど。
「つまり女の喧嘩には弱い。仮に勝ったところで優越感くらいしか得られるものがないから、普段はあまり相手にしないんだって、キリストア様が仰ってました」
「うん?」
「うん。つまり、キリストア様からの相談なんですよ。こないだうちの当主に会いにいらしてたんですけどね、その後で捕まっちゃいまして」
俺に言えばダスト様に伝わるって思われてんですよねえ、迷惑そうにカーシェンはこぼした。
「少しでも政治が分かってる女性なら察するでしょうが、美貌が自慢のご令嬢にとって美人とまではいかない容姿のミゼル様が男どもにもてはやされるのが理解出来ないし気に入らないと」
「ミゼルは可愛いよね」
「……語彙力の乏しい男はとってつけたように外見を賛辞しているかもしれませんけどね、あの方の魅力は巧みな話術と相手を自分のペースに引きこむ笑顔、権力抗争の垣根を越えた幅広い人脈であって、容姿じゃないんですよ」
「語彙力が乏しくて悪かったな」
可愛いと思うものを可愛いと言ってなにが悪いんだ。
「で、そのご令嬢は夜会で言ってしまったわけです。“いくら連れ歩くのが恥ずかしい夫でも、大勢の愛人をはべらすくらいなら、いないよりはましってものよ”」
「俺のせい?」
「注意しようとした取り巻きを制して苦笑で流したミゼル様は、後から心配したキリストア様に向けてこう尋ねたそうです」
“ねえキリア、あれはどこの誰かしら?”
「なに呆けた顔して聞いてんですか。あの女の家、お前がシメてこいって意味ですよ」
「……えっ。えっ!?」
「でしょ。たまったもんじゃないでしょ、ご令嬢の父親はキリストア様から経緯を聞いて真っ青ですよ。身のほど知らずな実の娘のいちゃもんで立場が危うくなるんですから。キリストア様もさすがに憐れに思ったのか、取りなすことにしたんですって。ただまあ、ミゼル様を怒らせるわけにもいかない。こほん。長くなりましたが、そこでダスト様の出番です!」
「なんで!?」
キリストアが人助けをする流れで俺が登場する要素、一切ないよね!?
「ダスト様がいないからミゼル様も虫の居所が悪かったんでしょ。いちゃもんのつけられ方もダスト様がいないことを突かれたわけで、これはもう、ダスト様に責任を取って頂くべきだねって。キリストア様が」
最後につけ加えたの、絶対嘘だろ。
不信感を隠さずにらみつけるとカーシェンはわざとらしく両手をぱん! と叩いた。
「まあまあ。ミゼル様のご機嫌取って、君ほどの女性があんな雑魚を相手にしなくていいよって言うだけです。いつもやってることでしょ。かんたん! かんたん!」
じゃあお前がやれよ。なんなのこいつ、いくらキリストアの頼みだからって勝手に引き受けてくれちゃって。こんなやつでも背後に兄上がいると思うと断れないのが辛い。
ああ、もう、聞きづらいんだよなあ。疲れてるのに。でもやっかいごとは片づけてから休みたい。眠気を振り払って聞き方を変えてみた。
「俺に隠してること、ない?」
「えっと……どれのことかしら」
そんなに心当たりがあるの?
予期せぬ掘り出しものに動揺を隠せない。そんな俺を見て、ミゼルは鈴を転がすように笑う。
「乙女には秘密があるのよ」
乙女の秘密なんて可愛らしいものなら足を踏み入れるつもりはないんだけどな。
幸いにも一週間ぶりに会って話すミゼルはすこぶる機嫌が良くて、いっそう可愛かった。帰りを待っていてくれる人がいる幸せをかみしめるのと同時に、久しぶりに嗅ぐ甘い匂いもあいまって、触りたくてたまらない。
「ふふ。誰かに言われた? 私が隠しごとしてるかどうかなんて、普段のダスト様なら気にも留めないわ?」
「キリアが君を心配していたんだ」
ミゼルがカーシェンをしめてくれないかなとも思うけど、とりあえず核心に触れるのは避けよう。進んで地雷を踏みに行くこともない。
「そういうこと。キリアったら、ダスト様に泣きついたのね。仕方のない子」
「君があんなこと言われるのは俺にも問題があるんだよ。恥をかかせてごめんね」
ミゼルはきょとんとして、それから含み笑いをもらした。
「ばかね。ダスト様の恥はダスト様の恥であって、私の恥じゃないわよ?」
そりゃそうか。
辛辣すぎて、いっそすがすがしいよ。
「君は特別なんだから、あんまり本気を出さないでね。みんなが慌てふためくよ」
「特別ってどういう意味?」
からかうようにミゼルはとぼける。お得意の手だ。こうやって焦らされるのは、言葉遊びが苦手な俺にはもどかしい。
「ダスト様にとって私は特別だからってこと?」
「そうだけど、違うよ」
……キリストアには申し訳ないけど、眠いしなんかもう面倒くさくなってきた。ご令嬢が取った行動は不可抗力でもなんでもない。社会的影響力のある人物に唾を吐きかけて無事でいられる方がおかしいんだし、その家は制裁受ければ良いんじゃないかなって思っちゃうよ。勝手に引き受けたカーシェンにも腹が立つし、ミゼルを説得するにはものすごい労力が必要だし、見知らぬ貴族がどうなろうと出来れば関わりたくない。
とりあえず、次の夜会には出席するからなるべく側にいてミゼルの動向には注意を払っていよう。俺にしてあげられるのはそれくらいだ。
「もう君を一人にはしないから、俺の側から離れないでねって意味だよ」
触ってもいい? つけ加えると、ミゼルは快く頷いた。
「分かったわ」
しまった。
これはどっちに対する返事なんだろう。
【終】
自サイトより転載。




