姫君と下僕の攻防
当主による絶対君主制が採用されているツァイト家では、家令がとてつもない権力を持っている。当主の威光を借りているのと、王都を拠点にしている当主に留守を任されているのと、やはり金の動きを掌握してるやつは強い。
「本っ当に! ミゼル様のわがままには困ってるんですよ!」
だからって俺を呼びつけて当たり散らすのはやめて欲しい。本人に怒っても言い負かされるだろうから嫌なのは分かるけど、夫婦だからって俺をミゼル担当にするのはやめて欲しい。
「また無駄遣いの話? 多少のことは目をつぶってあげて欲しいんだけど」
「違います! 新たな問題が浮上してるんです!」
今にも切れそうな剣幕で、カーシェンは書類が山積みになっている机を叩いた。兄上が仕官で本邸を空けている期間、相談役の父上がいるとはいえ、ほぼ一人で家と領地を管理しているから死ぬほど忙しいのは目の下に出来た隈で分かる。強権をふるうだけの働きはしているやつだ、と同情はしているので仕方なくミゼルとの間に入っている。
「よりにもよって許可を求めてきたんですよ。ダスト様は聞いてないんですか? シルファニー家の招待状の件」
「いや、聞いてない。どういうこと?」
シルファニー家の名前を出されると鈍感な俺も顔色を変えずにはいられなかった。
シルファニー家の名を、なぜそれほどまでに警戒しなければならないのか。
新興勢力がまだ生まれる気配もなく、大貴族が互いにしのぎを削っていた時代がある。かつてすべての貴族を巻きこんでイズライン家と争って勝利を収めたのがシルファニー家だ。たった一度の敗北で、由緒ある名門大貴族のイズライン家が没落することはない。しかし直後、イズライン家に加担した貴族を徹底的に攻撃し始めたシルファニー家を止める力は残っていなかった。若くして才能に恵まれたがゆえの未熟さか、逆らった者を許す度量を持たなかった残酷なシルファニー家の当主によって、いくつもの家が廃れた。
田舎貴族のツァイト家がこの時代を生きのびたのは、今でこそ敵対しているものの、当時はたまたまシルファニー家に従っていたからという理由に他ならない。同じラオフ領出身にも関わらず、兄上の奥さんの実家はイズライン家に味方したがゆえに没落寸前にまで追いこまれてしまった。
新王の即位によって血筋や家柄だけでなく能力が重視されることで、レフガルト家やツァイト家のような貴族が力を持ち、大貴族が周囲を巻きこむ大きな争いは起こらなくなった。だけどシルファニー家の恐ろしさは貴族の世界では未だ記憶に新しい。
絶対に敵に回してはいけない名門大貴族。
そんな相手にツァイト家はにらまれてしまっている。新興勢力として大貴族に張り合っているのが一つ、もう一つは兄上が王宮管理秘書官としてシルファニー家の不正を暴いたのが原因で、しかも返り討ちに遭っている。ハスニカ家がミゼルとの結婚を条件に助けてくれなければ終わっていただろう。
不穏でありながら微妙な均衡が保たれていた。ほんの少し指で突けば、あっという間に崩れ落ちてしまう積み木細工のように。
「そもそもシルファニー家からうちに、招待状がくるわけないよね?」
過去の経緯からものすごく険悪な間柄だ。
たまたま出席した夜会でかち合ってしまうのはどうしようもないけど、お互いに、必要以上に関わるべき相手ではない。
「あー……もしかしたら、ミゼルはシルファニー家の次男と仲が良いからかなあ。俺と結婚する前からつき合ってるらしいし」
とはいえ公然としながら非公式の関係であり、家の名を出すとややこしくなるのはあちら側も心得ているはずだ。“ハスニカ家のミゼル”と“ツァイト家のミゼル”では意味合いが全然違う。
「シルファニー家の意図なんかどうっでもいいですよ。問題は、ミゼル様が招待に応じたいって言ってることなんです。まあ、許可を求めてきたってことは本人もまずいと思ってますよね。上手く立ち回る自信があるんでしょうが、不用意な真似はして欲しくないんです、マジで」
当主の疑念を払うのどれだけ大変か分かってます? とカーシェンは真顔で駄目押ししてきた。
うんそうだよね。お前の言ってることは正しい。ミゼルを説得して諦めてもらわなきゃ駄目だよね……遠い目。
「分かった。俺から話をしてみるよ……」
兄上にばれる前に解決しておかないと、それこそ一大事になる。
重い腰を上げようとしたところでカーシェンが再びわめいた。
「ところが! 問題はもう一つあるんです!」
まだあるの?
カーシェン、俺もお前に言いたい。ミゼルを説得するの、どれだけ大変か分かってる?
「ちょっと話があるんだ」
「なあに? 指輪でも買って下さるの?」
悪びれもせずさらっと宝石類を要求してくるのがミゼルのすごいところだ。指輪でも髪飾りでも腐るほど持ってるのに彼女の欲望には際限がない。大して使われもせず転がっている貢ぎ物が贈り主の気持ちを反映して泣いていそうだ。
「うん。その話はまた後で」
そしてさらっと流す俺。ミゼルの扱いにも少し慣れてきた。まずはもう一つの問題の方から片づけておこう。
「やって欲しいことがあるんだ」
「テーゼ様の命令?」
ミゼルは俺が本家に呼び出されていたことを知っているので鋭かった。
「つまるところはそういうことになるかも」
なるべく波風が立たないように、兄上とミゼルが直接対決しないように、普段はカーシェンとキリストアが間に入っている。だけどツァイト家の問題にキリストアを巻きこむわけにはいかないので、代わりに俺が入る。カーシェンの説教にはうんざりだけど当主命令をミゼルは立場上拒否出来ないから、彼女の心の負担を和らげるために俺が頼むやり方は間違ってはいないと思う。ただ、今回の用件は命令というよりはお願いといった性質が強い。兄上の心の負担を和らげるためにカーシェンが俺を呼び出したのも分かってあげなくてはいけない。
「ダスト様が私のお願いなんでも一つだけ聞いてくれるならやってあげるわ」
「うーん……俺に出来る範囲でなら」
「言って?」
カーシェンが頭を悩ませている問題とは、ツァイト家に対するノエンナ領周辺の大貴族の憎悪だ。そもそもミゼルが俺と結婚した経緯――ハスニカ家がツァイト家を助けたという事実は、つまり大貴族への敵対を意味する。ノエンナ領が長年に渡って懇意にしていた大貴族ではなく、新興勢力を選んだことが彼らには受け入れがたかった。だけど愛しいミゼルが決めたことだと知るやノエンナ貴族を弾劾するわけにもいかず、彼らの憎しみはツァイト家に向けられた。
ツァイト家の当主は物事を円滑にするための言いわけやごまかしといった小細工を一切使わない人物だ。不遜としか思えない態度が憎しみをぶつける格好の的になっていた。
そしてこういう時ほど、きらめく笑顔で周囲を虜にするミゼルが頼もしく思えるのだ。
「要するに、ノエンナ領周辺の大貴族の“誤解”を解いて欲しいのね。任せて」
「助かるよ。それで君のお願いって?」
また新しい別荘が欲しいのかな。カーシェンも今度ばかりは黙るしかないだろう。
ミゼルは可愛らしく首を傾げて上目遣いで見つめてきた。そして開いた胸元に指先を差し入れる。こちらの視線を釘づけにしておいて、一通の封筒を抜き出した。
「あのね。シルファニー家から招待状をもらったの」
……。
……。
「ミゼル、俺がカーシェンに呼び出されたのはね」
「私のお願いなんでも聞いてくれるって言ったわ……」
今度はものすごく悲しそうな顔をしてこちらの罪悪感を煽ってくる。
どうりで素直に引き受けてくれると思った。カーシェンの不安が的中したな。
「ツァイト家の人間としてシルファニー家の招待に応じたら、それこそどんな誤解を招くか君の方が良く分かってるよね?」
「私はね、真っ向から対決する必要はないと思うの。利害が一致しない部分では仕方ないけれど、普段から接触しておくことで互いの動きも見えてくるし、相手を叩き潰すこと以外でも落としどころが見つかるんじゃないかしら。両家に血で血を洗うような歴史があるわけでもないのに」
……女の身でノエンナ領を守ってきただけあって発言の重みが違うな。カーシェンも言ってた通り、自分なら上手く立ち回れると思ってるからこその説得力だ。
「家同士は対立していても個人として仲良くすることは出来るわ」
それがミゼルのやり方なんだろう。実際彼女はそうやってノエンナ領を守ってきた。新興勢力と手を組んでも、周辺の大貴族がノエンナ領を攻撃するのをためらったように。
だけどツァイト家の当主は兄上だ。兄上が認めない限り、正しいことを主張していたとしても身勝手な行動になる。彼女もそれが分かっているから本家にお伺いを立てた……ってところかな。
ああもう。駄目だって分かった上で行動してる人間をどうやって説得しろっていうんだ。
「もちろんダスト様は私に味方して下さるわよね?」
兄上と対決するのは好きだよね、君。
申し訳ないけど、シルファニー家の夜会なんて俺自身も行かせたくはない。いわば敵地だ。守ってくれるノエンナ貴族もいない。君に乱暴するようなやつがいたら、ぶちのめしても良いっていうなら俺が守るけど。その後どうなるか想像するだけでも恐ろしいよ。
「シルファニー家の夜会っていつなの?」
「ひと月後よ。今日から数えてちょうど」
目を見れば彼女の本気度が分かる。困ったな。
「心配だよ、君のことが。行かせたくない」
「……嬉しい」
噛み合ってないし。
今のは君を喜ばせるために言ったんじゃなくてね。ミゼルの可愛い笑顔を見てると事態の深刻さを忘れて許してしまいそうになる自分が怖い。
「ねえ、ダスト様。行きたいの」
「だ、駄目だって!」
するっと腕を首に回されそうになったので、すんでのところで防御する。降参の姿勢で両手を盾にして仰け反った。あまりにも自然な動きだったのであと少し反応が遅れたら防げなかった。色じかけで攻められると、なし崩し的に許してしまうのが目に見えているのでこちらも必死だ。
「せめてキリアかグレルが出席する夜会にして欲しい。俺じゃ君を守れない」
情けない話、地位と権力と人望で武装したキリストアとグレディールが一番頼りになる。二人のうちどちらかがいてくれないと、ミゼルに危険が及ぶ可能性があった。それだけは見過ごせない。社交術に限っては、あの二人よりも実質的にミゼルの方が格上だと分かっていてもだ。
「ダスト様だって招待されてないわよ? どうしてもって仰るなら同伴者として連れて行って差し上げるけれど」
かわされたのがお気に召さなかったらしいミゼルは態度が辛辣になった。さじ加減が本当に難しい。ここで引き下がるか食い下がるか、気に入らないことがあると彼女はいつも試してくる。
俺がついて行って解決する話ならそうする。だけどシルファニー家の夜会なんて、逆に俺がミゼルに守ってもらわないと立ち行かない場所だ。だからといって一人きりでは送り出せない。食い下がるわけにも、かといって引き下がるわけにもいかなかった。
……八方塞がりだなあ。
他に残された手段といったら、物で釣ることくらいだろうか。
「そういえば、さっき指輪が欲しいって言ったよね」
いきなり話題が変わってミゼルが訝しげにする。そういえばってなんだ、とでも言いたげな顔だ。うん、ごめん。方向転換下手くそで。
「好きな指輪を」
買ってあげるから、今回はそれで我慢してくれないかな?
口まで出かかったところで言葉を止めた。
「?」
髪に紛れて目立たないものの、今日は黒曜石の耳飾りをつけている。胸元には黒真珠の小さな飾りを合わせていた。昨日、一昨日、もっと言えばひと月以上遡っても彼女が同じ品を身に着けることは滅多にない。
これだけ数多くの装飾品を所持しているミゼルが指輪一つで懐柔されるとは到底思えなかった。
「指輪、買って下さるの?」
「え。うん」
期待のまなざしに不意を打たれた。あれ、釣れそう。
「一緒に選びに行こうか」
さらには目を輝かせた。あまりにもあからさまで、わざわざ返事を聞かなくても分かる有様だ。
そして、肝心な部分を伝えていないことに気がついた。
――だからシルファニー家の夜会は諦めて欲しい。
「シルファニー家の夜会と指輪なら、どっちを選ぶ?」
「どっちも」
この聞き方はまずかったな。思わず苦笑する。彼女の性格を考えたら予測出来た答えだ。
「総取りは無理だよ。こんな機会でもないと、家令の許可が下りない」
ツァイト家に財力はあっても、それを自由に動かす力は俺にはない。カーシェンを黙らせるためには理由が必要だ。そして、ミゼルもそのことを理解している。
夜会と指輪を秤にかけて。
本家を怒らせてまでシルファニー家の夜会に行くべきだろうか? という迷いがようやく彼女の表情に生まれた。
「心配なんだ、君のことが。行かせたくない。だから一緒に指輪を買いに行こうよ」
決断を迷う彼女の背中を押す。今度は都合良く解釈させなかった。
そしてようやく、ついに。ミゼルが諦めを含んだため息を吐いた。
「……ダスト様がこんなに意地悪だなんて、知らなかった」
「そうかな」
心外だ。
俺はいつだって君のためを思っているし、わがままだって出来ることなら叶えてあげたい。能力に限界はあっても努力は惜しんでいないつもりだ。シルファニー家の夜会には行かせてあげられないけど、代わりに指輪を買ってあげられる。
一体どこが意地悪なんだろうか。
「私を説得するためなら、どんな手段もいとわないところよ」
悔しそうに言って、だけど微笑みを浮かべたミゼルは招待状を両手の指先で挟むと、小気味良い音を立てて引き裂いた。
「今まで私を外に連れ出してくれたことなんて、一度だってなかったのに」
【終】
自サイトより転載。




