姫君と下僕と風邪の日
ミゼルが風邪を引いた。
……別にこれは、言い訳じゃない。
熱で辛そうにしていたから「なにか欲しいものある? 氷持ってこようか」なんて声をかけてみたら、「そんな誰にでも出来るようなこと、ダスト様に求めてないわ」ってびしっと返されてしまった。恐縮しながらご希望を伺ってみたところ、添い寝して欲しいと言われたので隣で寝転がっている。それなのに果物を持って様子を見に来たクランのやつは、いつもの無表情で「病身の奥様に無理強いするのはいかがなものかと……」とわけの分からないことを口走った。違うから。頼まれて横になってるだけだから。
「分かっていて強要するような方であればあらかじめ引き離しておきますが、ダスト様は素でやりそうなので。ご自分が病に倒れたことがないから高熱がいかに辛いか分かってませんよね」
分かってはいないかもしれないけど常識はあるつもりなんだけど! それ、どんだけ欲求不満なんだよ。苦しんでる姿を見て欲情するとかただの変態じゃないか。
そもそもミゼルもミゼルだ。
普通だったら移したら悪いから……とか、いじらしい遠慮をして相手を遠ざけるよね? 添い寝を要求する理由が、移した方が早く治るからってなんなの。それ思ってても言っちゃいけないやつだよね? 俺をなんだと思ってるの。
はあ。
ため息を一つ吐いて、枕元の近くに置いてある林檎の皿に手を伸ばす。
しゃくしゃくしゃく。しゃくしゃくしゃくしゃくしゃく。
林檎のやけ食い。
……まあ良いんだけどさ。
汗を浮かべて辛そうにしている姿は可哀想だと思うし、変に遠慮されるよりは甘えてくれた方が頼りにされてるみたいで嬉しい。言いたいことが言えずにこちらの気配りを頼りにする気弱な子が相手だったらきっと俺は気づいてあげられない。なんだかんだ言ってミゼルは甘え上手だ。
いっそ移してもらった方が気楽なのかもしれない。生まれてから一度も風邪なんて引いたことないし。ミゼルを苦しめてる病原菌くらいなら、俺の抗体にかかればひとひねりだろう。うーむ。結局ミゼルの主張は理に適ってるな……そういう問題じゃない気もするけど。
ちなみに彼女が体調を崩したことは治るまでは口外しないように固く口止めされている。俺が邸にいるから誰とも会わないという理由で来客も遠ざけていた。風邪なら長引いても一週間くらいだからみんなに心配かけたくないらしい。
「ダスト様はどうせ暇でしょ? グレルやキリアが知ったら大切な仕事を放り投げてでも心配して様子を見に来てしまうから……」
どうせ暇でしょって酷い。君がどうしてもって言うから休みを取ったんだけど。そりゃ暇だから取れるんだけどさ。
「ただの風邪なのにね」
ふふっとミゼルが可愛く笑う。ただの風邪で休まされた俺。まさか熱を出す度に休まなきゃいけないんだろうか……体調には気をつけて欲しい。
その後、熱が上がったのかいつもの元気がなくなってしまった。俺はなす術もなく隣で転がっている。
……。
しかし、あっついな。真冬でもないんだから俺まで布団を被ってる必要がなかった。いそいそと起き上がる。ミゼルはすっかり汗ばんでいる。いきなり脱がすわけにもいかないし、誰か呼んでこよう。氷も替えた方が良いかな。とても食事が喉を通る状態じゃなさそうだから林檎は俺が処分しておこう。
しゃくしゃくしゃく。しゃくしゃくしゃくしゃくしゃく。
ついでに上着を脱いで汗も拭いて……と。ちょっと待てよ? 上半身裸のままで部屋を出たら、またあらぬ疑いをかけられないか……? クランはまだしも、ミゼルの使用人に軽蔑されたら居場所がなくなってしまう。あれ? この邸の主人は俺だよね? いやいや、そもそも後ろめたいことはなにもやってないし! ……やっぱり大人しく服を着て出よう。俺ってそんなに「なにやらかすか分からない人」と思われてるんだろうか。うう、肌に貼りついて気持ち悪いな。
ミゼルを起こさないようにそっと抜け出そうとしたら、どうやら眠っていなかったようで袖を引かれてびっくりした。
「ダスト様ったら……目を離すとすぐ、どこかへ行ってしまうんだから」
弱弱しい声で俺をたしなめる。
熱に浮かされて状況が良く分かってないのかな?
……と思ったら、目が合った。
「苦しくて寝つけないの。そのままで構わないから、眠るまで側にいて」
拒絶は有り得ないからと訴える目つきだ。そんなに必死に引き止めなくても、俺が君を拒むわけがない。
「眠っても側にいるよ」
良く分からないけど、側に人がいたら安心するのかな。俺はただ君が望むことを叶えてあげるだけだ。俺みたいなやつがしてあげられることは、とても限られているだろうから。
上着を捕まえていたミゼルの指先をほどいて寝台に腰かけた。どうやら誰かが様子を見に来るのを待つしかないようだ。使用人のみなさんはミゼルに邸の全権を委ねたいと思ってるから早く治ってもらうためにも心配してくれるだろう。果物かごから形の良い林檎を選んで片手でぽん、ぽんと弄ぶ。皿に置いてあった林檎は俺が食べてしまったから、新しく切り分けておいてあげよう。ちゃんと眠って、目が覚めた頃には食べれるようになってたら良いな。
時間ならたっぷりあるからと、俺はまるで芸術作品にでも取りかかるような心持ちで林檎の皮むきを始めた。
【終】




