姫君と下僕の三か月 その後
無事にアラエル家に泊めてもらえることになった俺は挨拶もそこそこに、案内された部屋でクランと一緒に荷解きしている。当然の顔をしてクランが同行しているのは今回の仕事に関わっているからだ。なにしろ俺の側にいるために軍務宮に入ったようなやつである。ミゼルは魅惑の微笑みでアラエル家の当主夫妻と引き続き談笑中だった。頼もしい奥さんだな。俺は居場所がなく追い出された感が強いけど、適材適所ってことで気にしない。
ところでミゼルが戻る前に、こちらはこちらで片づけておかなければならない問題がある。
「クラン、お願いがあるんだ」
反対側で家具を確認しているクランの隣ににじり寄る。お互い旅慣れているので荷物は少なく、必要なものは現地調達だ。滞在中にだらしない服装は(本家に怒られるので)出来ないからちょっとかさばる着替えが数点あるくらい。こういった気遣いが煩わしくてミゼルがいなければ絶対に平民に紛れて宿を取る主義だ。身なりさえ簡素にしていれば誰も俺を貴族だと思わないくらい、気品のなさには自信がある。
まあ、今はそんなことはどうでも良くて。
「お前も同じ部屋に泊まろう」
俺からの提案にクランは目を見開いた。無表情なのに「こいつ信じられん」という顔をしている。
「夫婦の寝室に? 勘弁して下さい」
「なにもしないよ?! むしろ俺が血迷って変なことしないように見張ってて欲しいんだけど!」
三か月もミゼルと一緒なんてはっきり言って自分が危ない。でも第三者の目があればミゼルも挑発してこないだろうし踏みとどまれる、というか踏みとどまれなかったらおしまいだ。
「私の使命は護衛として貴方の身をお守りすることであって、命の危険が及ばない範疇において出る幕はありません。また執事としての仕事もこれに該当しないと判断します」
「お前そんな頭固かったっけ!?」
クランは俺の目を見据えると真顔で告げた。
「なにがいけないのですか。夫婦なのですから普通だと思いますが」
「だ……っ、な、ばっ!?」
「だなば?」
そこは拾わなくて良いから! 自分でも意味不明な叫びだよ!
普通ってなに! 普通ってなんなんだよ!
「お前、結婚してからずっと俺の努力知ってるだろ!? なんのために我慢してると思ってるの!?」
「なんのためですか? さっぱり分かりません」
「ふぁっ!?」
「……ダスト様、せめて人間の言葉でお願いします。私は珍獣使いではありませんので」
な、なんのため?? それって改めてつっこまれるようなことなの? 見てれば分かるだろ!?
「だってミゼルにその気はないよね!? 俺をからかって遊んでるだけだし!」
「貴方がそう思っているのならそうなんでしょう」
「違うの!?」
「知りませんよ」
冷たい! 俺の使用人なのに冷たすぎる……!! 無理矢理執事にしたの恨んでる??
「そもそも奥様に貴方を拒む権利などありませんし、両家の友好を考えるのならば貴方が手をこまねいている状態が問題だと思います。一度、お二人で話し合ってみたらいかがですか」
話し合えるわけないじゃん! 無表情で恐ろしいこと言い放つなこいつ。
そりゃあ第三者から見れば俺とミゼルは仲良し夫婦に見えることもあるかもしれない。でもその関係を維持するために、俺は並ならぬ努力をしているつもりだ。クランが言っていること自体は分かる。政略結婚ってのはそういうものだ。でも、好きな子に嫌われた状態で結婚生活を送るなんて俺には無理……!! 朽ち果てた俺の心を誰かが拾ってくれるわけでもなし!!
クランは俺が言い返せないのを確かめて踵を返す。
「では、そういうことで。そろそろ奥様がお戻りになる頃かと思いますので自分の部屋で荷物を整理します」
「わー! お願いだから一人にしないで!! ずっと俺を守ってくれるって昔約束したよね!?」
「乙女ですか」
絶対逃がさないし!! しばらくそうやってクランに縋りついてぎゃーぎゃー叫んでいると、上品な笑い声が割って入った。
「あ……っ」
到着してすぐに紹介を受けたアラエル家の長女、リティシアが使用人を連れていた。ただいま、使用人の腰に抱きついている情けない主人の図である。
「立ち聞きしてごめんなさい。扉を叩いたのですが返事がなかったものですから。お声が廊下にまで響いたのでなにかあったのかと、つい」
また笑われて恥ずかしさの余り赤面した。間近で見ると綺麗な人だ。もっとも、美貌で他者を圧倒する超絶美人の兄嫁と微笑み一つであらゆる美貌を凌駕する可愛い奥さんを見慣れている俺には他の女性はみんな似たような顔に見える。贅沢だって分かってるけど慣れって怖い。俺、ミゼルに嫌われたら完全にお先真っ暗だよな。
「ミゼルが言っていた通り、ダスト様は楽しい方ですのね。お荷物の整理、よろしければお手伝いさせて下さい」
「いやっ、大丈夫……です!」
彼女の使用人が頭を下げて寄ってくるのを両手を突き出して制止した。どこから聞かれていたんだろう。見られた姿も恥ずかしいけど話してた内容はもっと恥ずかしい!
「大した量じゃないので! 後からミゼルの荷が送られてくるので、もしかしたらそちらをお願いするかもしれませんが、俺のはっ、見られたくないものも入ってるので!」
食べかけのおやつとか。
「そうですか。でしたら到着されたばかりですし一息つきませんか? お茶を用意させています。ミゼルはまだしばらく父が放さないと思いますし」
「えっ。ふ、二人で?」
警戒心が足りないとミゼルに怒られたのを思い出して胸が痛む。声をかけられたらすべて罠だと思えってくらい過剰反応していることにリティシアは気づいた様子だった。
「心配なさらないで。確かに私、父からツァイト家に接近するように言われております。ですが愛人は作らないと宣言しているツァイト家の当主に近寄るほど愚かではありませんし、だからといってミゼルの旦那様に取り入ろうとしては社交界から消されてしまいますわ」
「俺にそんな力はないけど……」
不用意に兄上に近寄ろうとしないところは素直に慎重な人だなと思った。たぶん、そういう人は逆に兄上の好みだから友人としてなら親しくなれると思うけど。
「まあ、ダスト様はご自分を過小評価なさっているのね。本当にミゼルが言っていた通りの方」
「あの……」
さっきから気になってるんだけど。リティシアは笑顔で俺を促した。
「君は、ミゼルと知り合いなの?」
「はい。奥様とはお茶会でたまにご一緒させて頂いております。領地が離れているので共通の知人を介さなければ滅多に会えませんが」
ミゼル、人脈広すぎ……ツァイト家と関わりのある家すべて掌握してたりして。
貴婦人の集まりかな。ミゼルは男と会ったことは逐一報告してくれるけど、そういえば女友達と遊ぶ話はしないから繋がりはないのかと思っていた。でも普通に考えればそんなわけないんだよね。社交界には女の世界もある。“妻”の立場としてはこちらの方が重要だ。
「ですからご安心なさって。ちゃんとミゼルに断ってからお誘いしていますわ。二人でと言っても使用人がおりますし、ダスト様もお連れになっては」
「そうなんだ。じゃあ……」
断るのも失礼だよね。って、お茶に誘うの許可制? 俺、どれだけ心配されてるんだろう。心配してもらった方が気は楽だけど。はっと思い出して後ろを振り返るとちゃんとクランがいた。頷いているので大丈夫だろう。
「それでダスト様、リティとのお茶は楽しかった?」
えっ。
仰向けに寝転んでいるミゼルと目が合う。よっぽど気に入られたのか彼女は夕食までアラエル家の当主と話しこんでいたので、部屋に戻ったのは夜になってからだった。クランには結局逃げられて、なす術もなくミゼルと寝室に二人きりになってしまった。広すぎる寝台がせめてもの救いだ。
「だ、駄目だった!?」
「なにが?」
目を丸くしたミゼルを見て、俺は勘違いに気づく。笑顔で糾弾されてるのかと思った。
「お疲れだったでしょう? アラエル家の当主は話が長いのですもの。ダスト様ったらうたた寝しそうだったから先に部屋へ案内して頂いたのよ」
「そうだったんだ。ありがとう……」
良く気づくなあ。ミゼルはずっと楽しそうに話をしていて、隣に座っていた俺の顔なんか一度も見てなかったはずなのに。当主夫妻も初めは俺に話を振ろうとしていたけどすぐにミゼルを気に入ってすっかりミゼルを囲む会と化していた。
「リティシアと知り合いだったんだね」
「少しだけね。当主夫妻とは初めてよ。ツァイト家に友好的なのは嘘ではないと思うから、滞在中はゆっくりしましょうね。リティの婚約者はセリエ領の有力貴族だから今からでも彼女と親しくしておいて損はないわ。アラエル家の当主が娘を紹介したがっていたのもそういう意味だったみたい」
リティシアは俺に言い寄れない理由をミゼルの社交界における影響力になぞらえて教えてくれた。
現在、ミゼルが強い影響力を持つ夜会は二つある。有力貴族レフガルト家主催と実家のハスニカ家主催だ。ハスニカ家主催は小領地と侮るなかれ、ノエンナ領を取り囲む周辺の大貴族がミゼルを口説くためにこぞって招待状を要求し(ただしミゼルに嫌われないように細心の注意を払って)、共同主催を名乗り出ることすらある。大貴族と新興勢力、対立する二つの派閥が相見える数少ない夜会の一つだ。レフガルト家は新興勢力の頂点。ツァイト家も含め派閥に属している貴族であればどんなつてを頼ってでも出席したい夜会。主催者である当主がミゼルに心奪われているというのだから、彼女を敵に回せばどうなるかは言うまでもない。
つまり“ミゼルの夫”を利用しようとして下手を打てば社交界から消される危険性があるのだという。リティシアに限らず、新興勢力に属するすべての貴族が。ミゼルの人脈の恐ろしさを知らずに俺に近寄ろうとする貴族がいた場合は、声をかける前に家格の高い相手に誘われてそちらに目移りしてしまうらしい。当然ミゼルの息がかかっている。
……どうりで俺に話しかけてくれる貴族が男女問わず限られてるわけだ。それを俺は人脈がないせいだと思っていた。もともと夜会は苦手で、自分から積極的に話しかけにいくこともしなかったから。
「リティシアから君のこと、いろいろ聞いたよ」
「いろいろって?」
「俺を利用しようと近づいてくる人から、ずっとミゼルが守ってくれてたんだね」
俺が一人になってもお構いなしで夜会を楽しんでるようにしか見えなかったのに、実はそうじゃなかった。いつも気にかけてくれていたんだ。ちょっと、いやかなり嬉しいかも。
「ばかね。ダスト様を守ってたつもりなんてないわ。私のものに手を出されるのが許せないだけ……よ」
上目遣いでミゼルは微笑んだ。言動はすさまじく俺様なのに、とっても可愛いのはなぜだろう。
「明日の朝、早いでしょう? おやすみなさい」
気を遣ってるのかいないのか、俺を困らせることなくミゼルはすぐに寝入った。毎度のことながら寝つきの良さは素直に感心する。もう、まったく、ぜんっぜん、意識されてないよね。だから上手くいってるのかもしれないけど。
……。
ミゼルの寝顔、可愛いな。そういえばまじまじと堪能したことが今までになかった。気が動転してたり、焦ってたりで余裕なかったもんなあ。もっと近くで眺めてみようかな……はっ、危ない危ない。
俺は三角座りの姿勢で膝を両腕で抱える。気の迷いでうっかり変な行動に出ないための自己防衛策だ。そして我ながら気持ちの悪い笑みを一人で浮かべる。
俺はミゼルのものらしい。ミゼルは俺のものじゃないけど、にやにやが止まらない。俺個人はなにも彼女にあげられるものがないから、せめて嫌われないように頑張ってきた。努力の見返りとしてはもったいないくらいのご褒美だ。
すっかり気分が高揚してしまい、今夜は眠れそうにないなと膝を抱えたままで妄想を続けていたら器用にもそのまま寝落ちてしまったらしい。翌朝ミゼルに起こされて呆れられた。
【終】




