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姫君と下僕  作者: つら
後日談
12/20

姫君と下僕の三か月

「さ、さんかげつ……?」

 食事の手を止めてミゼルが硬直した。驚きと呆然と困惑が同居したような表情だ。

 ん?

 俺、おかしなこと言ったかな?

「セリエ領の堤防工事に駆り出されるんだけど、護岸整備も含めて完成まで一年くらいかかるんだ。それで期間を区切って交替制で手伝いに行くことになって」

 だから明日からしばらく家を空けるねって報告しただけなんだけど。

 軍務宮が領地の設備に関する工事を請け負うのは基本的には王都のみだ。しかしセリエ領には王族が降嫁しているため、王都と同等に近い扱いを要求される。降嫁した王族ってのが過去に軍務宮の宮長を務めていたからなおさらだ。

「明日、から」

「毎日朝から晩まで労働なんて久し振りだよ。こればっかりはさぼれないもんなあ」

 もぐもぐ。

「明日……?」

「? うん、朝には出発するね。留守の間は邸を自由に使ってくれて構わないから。それとも実家に帰る?」

 その方がノエンナ貴族とは会いやすそうだ。ミゼルにはたくさん恋人がいるけど弁えるところはちゃんと弁えていて、俺がいる時は招かないようにしている。突然出かけるのをやめることになっても約束をわざわざ断るほどの徹底ぶりだ。だから今回は気兼ねなく楽しんでもらえるだろう。いつも俺の予定に気を遣ってくれてるし、たまにはこういうのも良いよね。俺はといえば、しばらくミゼルに会えなくなるのは寂しい。でも最近、彼女の寝室襲撃率が軒並み上がってきているからここらで距離を取っておきたくもある。

「あの、ダスト様、もう少し早く予定がはっきりしていたのではないかしら? もう前日の夜よ?」

「ごめん、言うの忘れてた」

 班編成や工期や分担を決めたりで昨日まで慌ただしかったし。それに現場に近い長期滞在用の宿も探していた。まあ俺がいない間はミゼルは自由になれるんだし、俺の予定なんかどうでも良いだろうから、正直それほど気にしてなかった。

「そうなのね。忘れていたのなら仕方がないわね」

 にっこり。

 ミゼルの笑顔を見て、今度は俺が硬直した。

「ご、ごめん。ばたばたしてて、すっかり……」

 怒ってる。これ、笑ってるけど怒ってるやつだよ!

「ねえ。私はダスト様の奥様よね?」

「はい」

「留守を預ける奥様には、前もって相談や報告はしておくべきだと思うの」

「は、はい」

 俺が機械人形のように首を縦にしか振らなくなったのでミゼルは黙ってしまった。無言の圧力が怖い。今まで「雨だから今日は出かけるのやめるね」って突然予定を変更しても怒られたことなかったのに、なんだかすごくまずい空気だ。

「……三か月も放っておかれたら、私の恋人が黙ってないわよ」

「うん。みんなミゼルに会いたいだろうし、良い機会だと思っ」

「ばか!」

 食事中なのも意に介さずミゼルが席を立つ。怒らせてしまったことは理解しても原因が分からなくて、ただ呆気に取られて彼女の背中を見送った。

「……なにがいけなかったんだろう?」

 給仕をしていた執事に顔を向ける。子どもの頃から俺を支えてくれる表情の乏しいクランは、いつもの無表情で応じた。

「愛情が足りなかったと思います」

 全然分からないんだけど。俺の間抜け面はつき合いの長い男ですらもため息を吐かせる代物らしい。

「ご自分の妻が必要以上に他の男と親しくすることについて、思うことはありませんか」

「だって、それを許容しなかったらミゼルの夫は務まらないだろ。それにミゼルだって考えてるから家が不利になるつき合いはしてないみたいだし」

「なるほど。空気は読めるのに好きな女の心は読めないんですね」

 使用人にあるまじき暴言じゃないかな。

「……私が執事の身分でありながら家の用事をまともにこなせなくてもすんでいるのは、本家の家令が面倒を見てくれるお陰でもありますが、奥様が問題ないように取り計らって下さっているからです。私は貴方をお守りするしか能がないので執事などという地位は返上したいのですが」

 ここぞとばかりにクランの恨み言が始まった。俺としては馴染みの深い相手の方が信用出来るし、どうせ四六時中側にいるんだからと安易に任せてしまったけど、そういう教育を一切受けてこなかったこいつにとっては大迷惑だったみたいだ。そもそも俺と一緒に軍務宮に仕えているクランが執事として邸を管理するなど不可能だと本家の家令にもこっぴどく叱られ、ミゼルがハスニカ家から優秀な補佐役を呼んでくれて現在はなんとかなっている。

「つまり私が言いたいのは、貴方の判断はいつも滅茶苦茶で、実際に負担を減らして下さったのは奥様なので、私は奥様に同情しますということです」

「返す言葉もないよ」

 使用人はミゼルの味方だ。いかなる理由であろうともミゼルに軍配が上がるほど彼女は信頼されていて、しかも好かれている。俺も彼らから嫌われてるとは思わないけど主人としてあまりにも情けないから、こいつを持ち上げるとまずいと本能的に警戒されていそうだ。

「では、こういうのはいかがでしょうか」

 はりぼて執事の提案に俺は眉をひそめた。

「いや……それは、どうかな? 思い上がりもはなはだしいっていうか」

「ならやめておいて下さい」

 無責任だな。相変わらず無表情だけど、でも心配はしてくれてるんだろうな。



 とは言っても、今さら仕事の予定を変えられないんだよなあ。どちらにしろ三か月っていうのはどうしようもないし。ミゼルは俺の仕事や交友関係には一切干渉してこなかったから、あんなに怒るなんてまさか思わなかったんだ。

 食事を終えてから部屋を訪ねてみたけど、予想通り鍵をかけられて完全に引きこもられてしまった。顔も見たくないみたいだ。

「ミゼル、さっきはごめんね。おやすみ」

 扉越しに声だけかける。

 明日の朝、また謝ろう。時間をおけば怒りも少しは収まるかもしれない。


 しかし彼女は、俺と違って楽観的ではなかった上に甘くもなかった。

「昨日は俺が悪かったよ。お願いだからここを開けてよ」

 朝食の時間をすぎてもミゼルが部屋から出てこなかったのでさすがに俺は焦った。時間の融通は利くものの宿の予約をしてあるから今日中に出発しなければならない。だからといって機嫌を損ねたまま出かけたくないし、このまましばらく顔も見れないなんて嫌だ。問題なのは怒りの原因が分からないことだ。いくら謝ったところで空回りにしかならなかった。

「ミゼル、聞こえてるよね?」

 さっきから繰り返し扉を叩いて声をかけてるのにまったく反応がない。まさか寝てないよね? 部屋の外鍵は執事が持ってるけど知らんぷりされてしまった。

「うっかり忘れてたんだ。放っておくつもりなんてなかったんだよ。その方が君ものんびり出来るかと思って」

 駄目だ。どうしよう。今までは不機嫌になっても目の前にいてくれたからなんとかなったけど、ここまで拒絶されたのは初めてだ。扉越しというのはまったく様子が分からないからとてつもなく不安になる。泣ける。どうにも行き詰まった俺は、昨日クランから受けた助言を、下手したら余計に嫌われるんじゃないかという覚悟で勇気を振り絞って切り出した。

「……あの、あのさ。一晩考えたんだけど、不愉快に思わず聞いて欲しいんだけど、もし君さえ嫌じゃなければ、俺と一緒に来ない? 期間が長いから旅行がてら家族を連れて行く宮員もいるんだ。セリエ領は王都に近いから退屈はしないと思う……」

 再び叩こうとした扉が突然、目の前で開いた。

「うわっ」

 そこにいたの!? きっちり着替えもすませて完璧な身だしなみのミゼルが立っていた。俺を試すように、真剣な眼差しで見返してくる。

「私を連れて行って下さるの?」

「う、うん。実はアラエル家からうちで滞在してくれってしつこく誘われてたんだけど、どうせ兄上に娘を引き合わせてくれって頼まれるだけだし面倒だから断ったんだ。でもツァイト家と仲良くしてくれてる家だから、君が一緒ならお願いしようかなと……」

「セリエ領のアラエル家? 年頃の娘が一人いたわね。名家出身の母親に似て才媛で、求婚の数も多かったと評判だわ。すでに結婚は決まっていると聞くけれど、嫁ぐ前から愛人探しだなんて随分せっかちね」

「く、詳しいね」

 安宿にミゼルを泊まらせるわけにはいかない。それにアラエル家の当主にごちゃごちゃ言われても社交性の高いミゼルが側にいてくれれば彼女が抜かりなく対応してくれるから安心だ。 

「“兄上”じゃなくて、ご自分が口説かれたらどうなさるおつもりなの?」

「まさか。そりゃあ難攻不落の兄上よりは取り入りやすいだろうけど、俺、ツァイト家の次男ってこと以外に貴族としての価値ないんだよ?」

 うっ。冗談だと思って流したらまた怒らせてしまいそうな雰囲気だ。昨日の今日で反省の色を見せないと。

「ダスト様はね、警戒心が足りなすぎるのよ」

「うん……」

 相手の本心を見抜けないし、好意的に寄ってこられたらあっさり利用されてしまうと我ながら思う。だから権力や地位からなるべく距離を置いて利用価値が生まれないようにしている……けど、俺の周りがすでに利用価値の高い人ばかりなので、俺から崩そうとされたらみんなに迷惑をかけるだろう。主に、兄上に。

「ミゼルが隣にいてくれたら向こうも遠慮するだろうから、一緒に来てくれたら嬉しいな……」

「行くわ」

 ミゼルの目から俺の真意を量ろうとする色が消えた。良かった。機嫌を直してくれたみたいだ。

「えっと、じゃあ俺は先に出発してるから準備が出来たら明後日くらいにおいでよ」

「三十分で仕度するわ」

 ん!?

「宿を予約してあるから取り消さなきゃいけないし、アラエル家には改めてお願いするからすぐには泊まれないよ」

 アラエル家の当主は俺を泊めたくて仕方ない様子だったけど、いくらなんでも到着したその日は無理だ。あちらにだって準備がある。それくらい分かってるよね?

「ダスト様と一緒なら一晩くらい宿でも構わないわよ」

「いや! すっごい安宿だから! たぶん寝る場所くらいしかないよ!? 一般人に混ざって食堂でご飯食べられる? もう一つ部屋を取るにしたって不用心だから君を一人にはしたくないし、そもそも寝床一つしかないんだよ!?」

「寝台が一つでも私は平気。でも食事は美味しいお店を探してくれるわよね?」

 俺に床で寝ろと……? 言っても聞いてくれそうにないな。もったいないけど予約してある宿には全額取消料払って、広い部屋を用意出来る貴族御用達の宿を取り直すしかなさそうだ。王都に近い領地だ、金さえ惜しまなければ見つかるだろう。請求は本家に行くのがちょっと怖い……でもミゼルのためだ。

「分かった。待ってるから一緒に行こう」

「嬉しい」

 あ、可愛い。ミゼルの喜ぶ笑顔が俺は好きだ。幸せそうで見ているこっちまで嬉しくなる。

「ダスト様、私を誘ってくれてありがとう」

 そう言って彼女は俺に抱きついた。いつもなら挙動不審になるところだけど便乗してぎゅっと抱きしめる。みんなが君に夢中になるのが分かる気がするよ。

 耳元でミゼルが甘えた声で囁く。

「ねえダスト様、アラエル家では一緒の部屋を用意して頂けるのよね? 夫婦ですもの、別でお願いするのはおかしいわよね」

「えっ」

 三か月、果たして俺は耐えられるのだろうか。

【終】

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