姫君と下僕と家令
「ダスト様、大変!」
「な、なに!?」
勢い良く扉を開けてミゼルが部屋に押し入ってきた。着替え中なんだけど!?
一瞬取り乱しそうになった俺は上着の釦を留めれば終わりという状態に今さら気づいて平静さを取り戻す。遠慮のない彼女の行動にいつも悲鳴を上げるのは俺ばかりで、着替えを手伝っている執事は慣れてしまったのか顔色一つ変えてくれない。ミゼルは「どうしようかしら……」と困惑を隠さずに訴えた。
「今日の夜会、私……出れなくなっちゃった」
……はい?
最後の釦をかけ終えて、いざ出発の準備が整ったところだ。
ところで俺は夜会が苦手だ。ツァイト家が頭角を現す前はまだ良かった、小規模だけど地元の親しい仲での気兼ねない宴だったからだ。兄上が順調に昇進するにつれ夜会の規模も大きくなり、兄上の周りには年頃の令嬢が殺到し、冷たくあしらわれた後に俺のところに殺到した。これがもてるという意味ならこの時期が俺の全盛期だ。だけどダスト=ラオフ・ツァイトという貴族がなんの力も持たないと分かると誰一人、踊ってくれる子はいなくなった。その頃はまだ領主でもなかったツァイト家は兄上個人に権力があり、しかも本人は家を嫌ってわざわざ王都に居を構えるという始末、兄上と結婚しなければ意味がない状態だったからだ。そして認めるのも虚しいけど俺自身にも魅力がなかったということになる。手のひら返しの状況には相当へこまされた。俺が出席する夜会は家の命令でもない限りは平民でも顔を出せる自由な場ばかりだったし、いつも彼らとつるんでいたから色物扱いされてしまったのかもしれない。身分なんか関係ない、なんて言うつもりはない。日頃から貴族の身分を利用して仕事さぼってるし。だって仕方ないじゃないか、相手にしてくれるのは貴族より平民の方が圧倒的に多いんだ。
「だからね。今夜はダスト様お一人で出席して頂かなくてはならないの」
はっとして現実に戻る。ミゼルが俺にしがみついておろおろしている。珍しいというよりもむしろ貴重な姿だ。貴族令嬢の誰からも相手にされなかった俺が、誰からも愛される笑顔で周囲を虜にする彼女の一番近くにいる。権力って恐ろしい。釣り合わないのは自覚している。だからせめて、彼女に精一杯優しく接するように心がける。
「一人で出るのは構わないけど……どうしたの? なにかあった?」
相手が慌てれば慌てるほど自分って落ち着くんだな。夜会は苦手だけど出ろと言われれば出る。それに今夜はツァイト家とハスニカ家の共同主催で、交流も兼ねた両領地の貴族をもてなすための宴だから出席は絶対だ。
「カーシェンに呼び出されたの。普通、夜会が始まる直前に呼び出すと思う?」
本家の家令の名前が出てきて、ああ……と遠い目になる。使用人とはいえカーシェンは当主の右腕、しかも絶大なる信頼を受けているので逆らおうと思うとかなりの勇気を要する。ミゼルの様子からも分かるように、要求があるとよほどの理由がない限り応じなくてはならなかった。
だけどそれって混乱するほどの大事件でもないよね?
「ミゼル……あいつに怒られるようなことでもした?」
「してないわよ」
怒られた。頭をひねって言葉を変えてみる。
「もちろん君が悪いことしたなんて思ってないよ。でもさ、あいつ細かいだろ? ちょっと派手にお金使うとすごい剣幕で怒ってくるし」
うちでは財政管理を本家の家令に一任している。嫁いでいった姉連中はともかく、両親、兄夫婦、そして俺とミゼルはきっちり管理されている。彼の主張によると、ツァイト家は前領主を蹴落としてその座についたために領民の人気取りで必死だから無駄遣いはやめろ、ということらしい。
ツァイト家が他の領主より有利な点は、高官である兄上に莫大な収入があるところだ。貴族が王家に収めた税金の一部を給金として、再分配という形で大貴族よりも多い取り分を得ている。ちなみに俺が所属している軍務宮は格下の扱いで、さらに俺には役職もないので平民よりは取り分多いねというくらいだ。税金の再分配によって得た収入をどれくらい領地に還元するかで公共事業の規模や領民に課す税率を操作出来る。また、領主でなくとも取り分が多い家はそれだけ領内での発言力が強まった。
領地の整備に心血を注ぎたいカーシェンは贅沢をあまり許してくれない。権勢のある家柄として恥ずかしくない程度には金を使ってくれても、それ以上の娯楽にはいちいち許可を取る必要がある。ツァイト家は弱小貴族時代を経験しているので俺なんかはむしろ贅沢に慣れてないんだけど、ミゼルはそもそも硬貨を触ったことすらないのかも……。
「大したことじゃないけれど、三日くらい前に別荘を買ったわ……」
「間違いない、それだ」
「なによ。別荘くらいで」
いや別荘はやばくない? カーシェン怒るって。金銭感覚がないのは仕方ないとしても、衝動買いしちゃったで済まされない買い物なのは確かだ。契約したのが三日前ということは、怒り狂ったカーシェンが夜会当日に合わせて嫌がらせのように呼び出してきたのも分かる気がする。
「ミゼル、あのね。うーんと……」
感覚の違いに俺は頭を悩ませた。ハスニカ家では別荘の衝動買いくらい普通だったのかな。普通……かなあ? あっ、そろそろ出発しないと間に合わないよ。
「と、とにかく素直に謝って、支払いはカーシェンのところで止まってるだろうから契約は破棄してもらおう。そしたらすぐに解放してくれるかもしれないし」
「絶対にいや」
う、うーむ……目がかなり本気だ。説得出来る気がしない。
「私、これでもツァイト家に貢献してるつもりよ? メーウィアは世間知らずのお飾り人形だしテーゼ様は人格に問題があるから私とダスト様で夜会に出てツァイト家の印象を良くしてるんじゃない。私を夜会に出さなかったら困るのは一体どちらなのかしら」
えっ、そうだったの? でも君も男と喋ってばっかじゃないか。それにしても、兄上とメーウィアのことをそこまで歯に衣着せずに言えるのはうちでは君だけだよ……。
「別荘の一つや二つで目くじら立てられたらやってられないわよ」
別荘が一つと二つじゃかなり違うような……と思ったけど、ミゼルのことを多少なりとも理解している俺はもろもろの思いも含めて余計なことは言わずにとどまった。あらぶるミゼルをなだめる方法は一つしかない。肯定して、まずは受け入れてあげることだ。
「分かった。別荘の件は後日改めて、俺も協力するから一緒にカーシェンを説得しよう。だけどとりあえず、お願いだから一回謝って。無断で購入したのはまずいよ」
俺が別荘の分だけ無駄遣いを控える……って年単位の話になるな。仕官中に賊の本拠地を叩くくらいやらないと駄目だな。掃討部隊なんて大がかりな編成を自発的にやりたがる貴族なんてまずいないだろうし、割と自由にやらせてもらえそうだ。俺に無理矢理誘われる友よ憐れって感じになるけど。文官と違って武官は成果報酬が加算されるから(軍務宮の分配金が少ない理由の一つだ)、こういう場合は助かる。頑張れば説得はなんとか可能だろう。
「勝手なことしてダスト様も怒ってる?」
「怒ってはいないよ、びっくりした。次からは俺にだけでも一声かけてくれたら助かる」
うかつに手柄を立てると妬まれて次から大変な任務に回されそうだし。俺じゃなくて、平民出身の俺の仲間が。連中も良く分かってるから、そうならないように大きな手柄は全部俺に押しつけて後で山分けするって形になるんだろうけど。それはそれで俺が昇進しちゃうから極力避けたい。俺みたいなのが権力を持ったら他人に利用されたりして、どうせろくなことにならないんだ。
「……ごめんなさい。ちゃんと信頼出来る筋からの紹介だし、心配かけるようなことにはならないと思ったの。こんな形で呼び出されなければカーシェンを説き伏せる自信だってあったのに」
うん。君はそういう人だよね。でもそれはやめておこうね。
「どうしても欲しいものなら言ってくれたら俺も出来る限りのことをするよ」
少し落ちこむ素振りを見せていたミゼルはぱっと顔を輝かせた。
「高地にある避暑に最適のとても素敵な物件なの。家令の許可なんて待ってたら売れちゃってたわ。目の前には草原が広がっていて、外壁は白塗りでね……」
「うん。分かるよ。帰ったらまたゆっくり聞かせてよ」
時間が迫っているのもあってつい雑にあしらってしまう。しまった、という感情まで馬鹿正直に顔に出してしまった。
「ばか」
やっぱり怒られた。せっかく上手くまとまりそうな流れだったのにどうして肝心なところで詰めが甘いんだろう。どこまでお見通しなのか、俺の滑稽さを笑うことでミゼルは納得したふりをしてくれた。そして絶対に家令の首を縦に振らせることを約束させられてしまった。今から部隊の編成考えておこう……。
「……浮気しないでね」
「ん?」
突拍子もないことを言われて聞き間違いかな? と目を瞬かせる。
「だから、私がいない間に他の女から言い寄られたりしたらいやよ。急いでカーシェンの話を終わらせて、途中からでも出席するから」
「えっと、そんな現象は起きないと思うよ。声かけられたこともないし」
「いつもは私がいるから」
君が誰かと踊ってる間も俺は黙黙と腹ごなしをしてるのが常だけど。たまに女の子がこっちに来るかな? と思うことがあっても他の男に声をかけられてすぐにあっちへ行ってしまう。
「……ダスト様は私が他の人と踊っていても平気なのよね」
「うん。気にしない」
寄ってくる数が多すぎて気にするとか気にしないの次元を越えてるし。
「私はいや。ダスト様が他の女と踊ったりしたらいやなの」
「わ、分かった。うん、分かった」
ものすごい勢いで迫られたので首振り人形のようにうんうんと頷くことしか出来なかった。奥さんに逆らってはいけない――ミゼルと暮らして身についた習性だ。こないだ兄上から怒られたばかりだし、俺まで奥さん以外の女の子と仲良くし始めたら確かに大問題だ。
「あのさ、次からなるべく一緒に踊らない? 少しだけで構わないから」
思い切って提案してみた。ミゼルがたくさんの男と仲良くするのは止められそうもないから夫婦円満という形だけでも周囲に見せておいた方が良さそうだ。
「私と踊りたいの? ……ダスト様がどうしてもって仰るなら、ちょっとじゃなくて、もっと踊っても大丈夫よ?」
形式だけだよ。身のほどを弁えてそう言おうと思ったのに、ミゼルがあまりにも可愛く首を傾げるから少し欲が出た。
「えっと、踊りたいんだけど……あまり君を独占すると妬まれそうだから」
露骨なことを言うと引かれそうだから、これが俺の精一杯だ。
「ダスト様ったら、本当にばかね……」
花が咲いたような微笑みがいつものように、俺を馬鹿にする。
ミゼルは俺の身だしなみを一通り確認してから最後に後ろへと上げた前髪を指先で整えて、納得したように大きく頷くと不意打ちで頬に軽く口づけてきた。唇を離した彼女が囁いたのは「絶対に浮気しないでね」っていう牽制だった。急がないといけないのに、俺は自分でも分かるくらいに真っ赤になってしばらくその場から動けなくなる。意味もなく馬鹿みたいに指先で頬をつんつんしていた。
浮気しないでねって思わせぶりなこと言われて動揺するくらい、俺はわがままで可愛い君に夢中なんだけど……。
【終】




