姫君と下僕のあらまし
俺には可愛い奥さんがいる。
美人というよりは可愛い。でもそれは守ってあげたくなるほどの可愛さ、ではなくて、相手を誑かす計算された可愛さだ。
「ねえダスト様、そろそろお茶の時間にしません?」
小鳥がさえずるような声でにっこり告げる彼女は、俺にお伺いを立てているわけでも控えの使用人に茶の準備を命じているわけでもない。家同士の取り決めでお互いを知らないままに結婚した二人だけど、俺もそろそろ彼女の思考を理解しているつもりだ。
訳「お腹が空いたから、なんか取ってきて」だ。
「……そうだね。ついでにお茶菓子でも持って来るよ」
面と向かって言われた場合、俺は素直に自分が動くことにしている。使用人に命じるよりもそうした方が彼女の機嫌が良いからだ。
「ありがとうございます」
可愛い。たぶん人を動かすことしか考えていないだろうけど、計算だと分かっていても可愛らしく礼を言われると悪い気はしない……というか喜んで使われている自分がいる。俺は馬鹿だ。今さら再確認するほどのことでもないけど。
ミゼル=ノエンナ・ハスニカ。
ハスニカ家から嫁いできた彼女とは家同士の取り決め、いわば政略結婚だった。本来なら跡継ぎである長男に嫁ぐはずだったところを、すでに結婚していた長男が正妻以外を拒否したため次男の俺に回されてきた。俺の家、ツァイト家は世間から見て次男に嫁がせても十分有益な貴族らしい。らしい、というのは俺が貴族の世界を良く分かっていないからなんだけど、実際ミゼルは俺と結婚したので間違ってはいないだろう。実は彼女は兄上の花嫁選びに参加していた。でも兄上の奥さん(超絶美人。当時は花嫁候補)に出会って「無理。勝てない」と即決辞退もしている。次男で手を打っておくか、という空気はひしひしと感じられた……。
俺は兄上みたいに仕事が出来るわけでもないし、兄上の奥さんみたいに他者を圧倒する美貌と気品もなく、ましてやミゼルのような誰からも愛される笑顔で人を転がす才能もなかった。家柄以外になんの取り柄もない平凡な俺と結婚させられて申し訳なさは割とある。
だけど俺だってまだ結婚したくなかったんだよなーとか、あるにはあったけど、政略結婚は女の子の方が可哀想だもんな。
だから俺は、彼女のお願いはなるべく聞いてあげることにしている。それは夫婦というよりもご主人様と下僕の関係に近い。だけどたわいもない、俺がちょっと面倒くさいのを我慢すれば良いだけの願いだから。
「ダスト様、はい、あーん」
飼い犬に「お手」を命じるのと同じ感覚で、ミゼルは俺が持ってきた焼き菓子を近づけてくる。俺は素直に従って口を開けるけど傍から見たらこれはラブラブなんだろうか。気分は飼い主と忠犬なんだけど。
「……美味い」
「でしょ? この味、覚えておいてね」
また食べたいということだなと理解して心に記録しておいた。使用人に用意してもらったやつで名前とか分からないけど、後で聞いておこう。苺と蜜柑と林檎となんか果物がいっぱい乗ってて生地が固いやつ。
俺は基本的に奥さんには逆らわない。ちょっと嫌だなと思うことでも我慢出来る範囲なら受け入れる。そうすれば彼女はいつも笑っているし、笑っているとやっぱりめちゃくちゃ可愛いからだ。
「ダスト様、大好きよ」
「それはどうも……」
「ダスト様は?」
あ、これ言わなきゃいけないやつだ。
「うん。俺も好きだよ」
ミゼルはとても嬉しそうに笑った。
政略結婚で俺なんかに嫁いでしまった彼女が少しでも楽しく暮らせるように。そうしないと俺も彼女も周りの人も、きっと誰も幸せになんてなれないだろうから。
【終】