第八章
夜風が段々と涼しくなってきた。僕の毛も一通り抜け終わり、冬に向けて早くも新しい毛が生えてきているようだ。お陰で体中が産毛でふわふわしている。
そう言えば最近夕食に鮪の刺身というやつを貰った。いつものカリカリしたやつよりも弾力があって食いごたえがある。美味い。もっと食わせろ。食卓が真っ赤に染まる程あるではないか。公子の肩に乗ってみたが、追い払われた。人間というのは甚だ吝嗇な生き物である。いや、吝嗇というばかりでは片付かない。僕にくれない刺身なら自分で食うのかと思ったら、そうでもない。じゃあ他の誰かが食うのかと思えばそんな気色もない。最後まで残ったまま皆満腹になって
「ごちそうさま」
等と言い出すのである。人間は誰が食う予定もない蓄えを残しておかないと何かと不安らしい。どれだけ多くの刺身を手にしていてもだ。人間界の金銭というやつがそれであり、広義では恩というのもそうである。「貸し」を作っておかねば気が済まないのは勿論、「借り」を作る事など一種の悪事を働くかの如く忌み嫌うようである。これは猫界にはあり得ぬことである。貸し借りの概念などないからである。例えば隣の猫が自分に餌を譲ってくれたら、それはもう自分のものであって、自分のものを食うのに何の遠慮も要らないのである。だから当然猫は餌を他人に譲ったりなどしない。それが当たり前であるから、それで恨まれもしない。自分のものは自分のもの。実に分かりやすい。ところが人間という奴は面倒なもので、譲ってもらえれば恩を感じる一方で、譲ってもらえないと不平を言う。なぜなら自分がいつも譲っているのにそれが返ってこないのは不満だからである。貸したものが返ってこないのは不当なのである。こうして誰にいくら貸したか常に考えておる(それにしては借りている方は大抵すぐに忘れているようだが)。
この家の中では一樹と言う人間こそその代表格であろう。費用対効果でしか物事を考えられぬ質である。例えば、子供の教育費について、
「あいつにはこれだけ金をかけているのだから、東大に入ってもおかしくないだろう」
等という事を平気で言う。阿呆な子供程親に負担を強いるというのは猫でも知っている話だ。他にも一本数十万円のワインを仕入れて来て、
「これは通常のワインの十倍はするやつだから、十倍味わって飲んでくれ」
等と言う。「十倍味わう」というのもよく分からんが、それ以前に奴の舌では中にどんな安酒が入っていても違いが分からんだろう。とまあこんなのは可愛い方である。が、彼の人生を殊更危うくしているのは、この考え方に他ならないだろう。彼は全ての労苦が報われると信じて疑わないのである。事実彼は報われて来たのである。少なくとも今までは。年功序列などという言葉を聞いた事があるが、日本の会社は長く働けば働く程報酬が沢山貰えるらしい。そのお陰で、一樹は歳をとればとる程肥えていった。しかしながら最近はそうでもないらしい。全く報酬も地位も上がらんばかりか、今にも別の勤務先に出向させられて、報酬は今の半分以下になる見込みだそうだ。まあこれは本人も歳を取ったものだと半ば諦めているが、彼が不満なのは家族の対応である。今までは厳格な家父長制で父親の一樹が絶対的な権力を握っていたものが、今はその座を公子に取って代わられ、子供達もいやによそよそしいのである。もっとも一樹はこの状況において一言も不満を漏らした事がない。いつも穏やかな笑いを含んだ表情でいるのである。ところがある日である。一樹は家の隅に追いやられた仕事机で一人、背中を丸めて何やら書き物をしている。僕は餌をくれる様に一樹の膝に乗ってゴロゴロと頭を腿に擦り付けていた。しかし一樹はこっちに一瞥もくれずに真剣な眼差しを老眼鏡の奥に秘めて何か書いている。どうやら日記らしい。僕は一樹の腕と腕の間から顔を出して机に前足をかけ、書いてあるものを読んだ。
「私の人生は紛れもなく幸福である。ただそれに一点の疑問が付しているばかりに完全にとはいかないのである。私は今まで何の迷いもなく一点の光を指向し続けて来たのである。その光を私は幸福と信じて疑わなかったし、家族も、周囲のいかなる人間もその考えに賛同していたかに見えた。その光というのは、広義の権力と言うべきものであった。金を稼いで家族を養えば彼らは私を信用してくれる。職場で仕事の能力を発揮すれば同僚は尊敬してくれる。そういう私の能力の全てがここで言う権力に当てはまる。その権力を追い続ける事こそ私の生き甲斐だったのである。しかしこの歳になってその考えに疑いが生じた。権力を指向する事は、果たして私を幸福にしたのだろうかと。いや、私は家族を養い、家族は私に感謝する。私は仕事をして、同僚は私を尊敬する。それで私は間違いなく幸福だったのだ。しかしこの歳になって気が付いてみれば、家族は次第に私を必要としなくなり、職場は私を化石扱いしている。結局のところ私が追って来た権力というものは幻想だったのではないか。それを思えば、男の幸福とは一体何であろうと考えざるを得ない。歳をとって用済みになれば、一人で消えていく他ないのであろうか?それは狷介なまでに人情を軽蔑していた私をして寂しい事である。私は考えを改めねばならないかもしれぬ。嘘偽りのない真の幸福を求める為に」
一樹があまりに餌をくれる気配を見せないので、僕は一樹の走らせているペンにパンチを食らわした。ペン先が大きく乱れる。僕は一樹の膝から下りて逃げ出した。追いかけてくる一樹を餌場まで導くと、一樹は皿に餌を盛ってくれた。
一樹、僕は今でも一樹に感謝している。でもそれは一樹が餌をくれるからだ。そして一樹にその能力がなくなったら、一樹に感謝する事はおろか寄り付く事もなくなるだろう。そしてそれは他の家族にも言える事に違いない。現に公子は一樹を尊敬どころか軽蔑すらしているし、子供達は一樹から段々と距離を置く様になっている。一樹の言う様に、一樹はこの家の権力を失いつつある。だがそれは男だけではない。女はもっと早いうちから権力の減退を経験するのだ。思い起こしてみるがいい。一樹は結婚当初の様に公子を愛しているか?多分それはないだろう。公子はとうに女としての権力を失っているのだ。男は元来権力など持たぬ生きものであるが、社会からそれに似たものを与えられる。よって一樹はこの歳までそれを維持できていたに過ぎない。権力を失った今の姿こそ自分の本当の姿だと知るべきだ。
ちなみに猫界では雄が社会から権力を与えられる事などない。よって雄は雌の生殖能力という権力に振り回されて一生を終える。男は元来女に勝つ事など出来ぬ様になっているのだ。それが人間界では社会的権力なるもののせいで歪められていると言って良い。一樹、今こそ本来の男としての人生を生きるが良い。それは孤独を生きる事に他ならぬ。男は本来孤独なものである。猫の雄は雌に振り回されている他は始終孤独である。そして孤独のうちに死んでいくのである。僕とて例外ではない。きっと一匹きりで死んでいくに違いない。しかしそれが自然の男というものだ。社会というものの足かせを外された今、お前は自然に生きる事を許されたのだ!これは喜ぶべき事態である。
一樹、これからは毎日欠かさず僕に餌をくれるが良い。そうすれば僕はお前にずっと付いていくぞ。お前の母なる孤独を毀損する事なくそんな事が出来るのはこの家には僕しかいない。




