第五章
段々と暑くなってきた。僕の体からも一段と毛が抜ける。どうやらまた夏が来たらしい。僕の事を指差して、あんな毛皮を纏っていて暑くはないのかと言う輩もいるが、そう暑くはない。逆に人間の様につるつると皮膚をむき出しにしている方が却って寒くはなかろうかと思うくらいである。人間界には毛皮の様に生活に必須と思われるものがない代わりに、猫界では必要なかろうと思われるものが沢山ある。例えば夢というものがそれに当たる。人間はこれなしには生きられないなどと言い、夢を持たぬ猫などは一体何の為に生きているのかと言われる始末だ。確かに何の為に生きているのかは分からんが、全ての行動に目的が必要な訳ではない。生まれてしまったから生きるのだ。これは猫だけでなく人間だって同じはずだ。それなのに人間は何かにつけて物事の目的を求めたがる。
そんな悪習を持つ人間の代表例が公徳である。こいつは夢の虜である。その為に現実世界を無視していると言って良い。とりわけ勉学とかスポーツとか、周囲の人間が熱心に勤しんでいるものに対しては静かに冷笑を浴びせているのが常である。また公徳は恋愛というものをしないばかりか、蔑視している。確かに人間の男女間における愛などというものは生殖能力の曲解に過ぎないのであるが、公徳自身が一度もそれを経験した事がないのに軽蔑しているところを見ると、その蔑視は理解故のものではなく不理解故のものかも知れない。人間が少しでも愛を理解してしまえば、完全に理解する前にそれに溺れてしまうからである。知らぬが仏である。家族の中でその類の話題が始まると決まって席を立ち、汚らわしいものを見る様な目でその空気を振り払おうとする。一恵などが
「公徳、あんたまだ彼女できないの?」
等とからかうと、
「まだ?それは必ずしも経験しなければならないものなのか?」
と反駁する。公徳はあくまで恋愛を知らずにこの世を通り抜けるつもりらしい。一恵はこういう公徳の反応を僻みと決めつけて、
「あんたね、そんなだからいつまでもうだつが上がらないのよ。良いの?童貞のまま二十歳を迎えても」
等とやり込める。こういう思想を持つ者こそその思想自身に苦しめられるのが大方のオチであるが、とは言えその思想を受け入れない事もやはり苦痛であるらしい。
「いいさ。知った事かそんなもの」
と言う公徳の表情は必ずしも快活でなかった。差別する事もされる事も苦しいのである。しかしながら人間はこのどちらかに属さねばならぬ。猫界の様に喧嘩一発で勝負がついてしまう世界を粗暴だと言う輩もいるが、人間界の平和という陰湿な残虐性に比べればまだましである。平和など敗者の存在をひた隠す陰湿さに過ぎぬ。
そういう公徳が日常生活の全てを否定して何をしているのかと言えば、延々とピアノを弾いている。僕はピアノの音が好きだからそばへ行っていつも聴いているが、まあ下手ではない。趣味にしては熟達している方であろう。だが公徳はこれを趣味に止める気はないらしい。学校の成績が悪く両親に咎められた時、運動音痴と俊平にからかわれた時、それこそ一恵に「モテない」だの「童貞」だのと連発された時、公徳は決まって僕を抱き上げて自室に籠る。そして僕を正面に見据えてこういうのだ。
「僕はピアニストになるんだ。他には何も要りはしない」
僕はそんな言葉を聞く度にあくびが出る。現実逃避もいいところではないか。ところが僕が「離せ」と言っているのを無視して公徳はこう続ける。
「人間生まれたからにはこれと言う仕事がしたいじゃないか。普通に生きて普通に死んでいっても生まれた意味がない。それじゃあ他人にいい様に利用されて死んでいくだけだ。僕は何よりも自分の為に生きていたいんだ」
ほお、つまり他人の指図を受けずに自分のやりたい事をやって生きたいと。それで他人に利用される事なく生きていきたいということか。早速夢というもののお出ましだ。しかしそれこそが他人に利用されて生きる事ではないのか。現に公徳は他人の評価を求めているからだ。何故ピアノなのだ?何故猫の肛門の皺を数える事や鰹節を細かく削る事じゃ駄目なんだ?それは既に他人の評価を得やすい分野を選んでいるからだ。つまり公徳がピアノという分野を選んでいる事自体がもう他人に動かされた結果ではないか。更に言わせてもらえば、日常生活を蔑視する事がその原動力となっているのではないのか?日常生活で認められないからピアノにシフトしただけの事ではないのか?日常において他人の評価を得られなかった者がそれを諦めるのではなく、単に評価のされ方を変えてみただけの事だ。よって公徳が他人の評価を嘲るのは間違いだ。結局は他人の評価が欲しいだけなのだからな。夢を追うなどという事は結局他人におもねり、他人に利用され尽くして生きる、公徳の言うところの「普通の生き方」と何ら変わらない。公徳が何より恐れているのは競争ではないか?目の前の競争があまりにも熾烈で勝ち目がない様に見える時、人間はそこから目を背け、価値観の転換を試みるのだ。あたかもそんな競争には価値がない様に思い込もうとし、別の分野に逃げ込もうとする。しかしそこで待っているのは他でもない競争だ。しかももっと熾烈な競争だ。夢とは車窓から見る景色であるからこそ美しいのだ。そこへ向かおうとすればレールのない荒野を歩かねばならないし、よしんばそこへ辿り着いてもごつごつした岩肌が聳えているだけだ。そこにあるのは他でもない日常だ!公徳、まだ間に合う。日常を生きろ。夢は見るだけにしておけ。お前が逃げ込もうとしている非常口には既に火の手が朦々と上がっているぞ!
かくいう猫にもこういう輩がいない事はない。飼い猫を長年やっているといい加減猫稼業にも嫌気がさして、脱走を企てる奴は多い。彼らは広々とした草原を走り回る事を夢見て家から飛び出すのだろうが、現実に待っているのは絶えず人目に晒され、野良猫に威嚇され、車に轢かれそうになる危険な生活だ。飲み食いもまともに出来ないばかりか夜もおちおち寝ておれん。そういう現実を目の当たりにして、大概の猫は三日としないうちに元いた家に逃げ帰るのだ。夢など身を滅ぼすということはこの一事を以て学ぶべきだ。




