第二章
僕はビビ。今の飼い主からはそう呼ばれている。もっとも、本来猫界では名前など要らない。どうせ発音できないのだ。あくまで人間界での名前に過ぎない。
この家には生まれてすぐに連れてこられた。故郷の母親や兄弟とは離ればなれになり、少し寂しい気もするが、まあ致し方ない。大概の猫はこうして生まれて間もない時期に出稼ぎに来なければならない。捨てられて路頭に迷う猫達もいるこのご時世、満足な飯にありつけるだけでも幸運だろう。
この家に連れられて早々、僕は首に鈴の付いた輪っかをはめ込まれた。お陰で歩く度にりんりんとなって耳障りだし、一人でいるのが好きな僕としてはどこに行っても自分の存在を主張しているようで不本意だ。それはそうと、この家は随分と人が多い。人目を避ける習性を持つ種族としては、安息の地を見つけるだけで一苦労だ。高い棚の上や押し入れの中、果てはベッドの裏に隠れてみたりするのだが、すぐに見つかってわいわいと囃し立てられる。
人間は猫を捕まえると決まってやれ働かなくて気楽だだの、一日中寝ていられて羨ましいだのと言うが、猫稼業もそう安穏ではない。一日中誰かから追いかけられて過ごした事があるだろうか?眠っている間に頭や体を撫でられたりした事があるだろうか?鼻先を突つかれたり耳を折り曲げられたりした事があるだろうか?猫にしか分からない悩みもあるのだ。もっともそんな生活にも大分慣れた。何せ僕はもう十歳だ。猫にしてみればかなりの年寄りに違いない。相応の処世術は身につけたし、ドアも自分で開けられる様になった。人間の事もそれなりに理解しているつもりだ。「つもり」というのは、人間には猫界の常識が通用せず、猫には人間界の常識が分からない。だから理解していると言っても猫界の常識の範疇で理解しているに過ぎないのだ。しかし所詮は同じ生き物。猫界の常識を人間に当てはめて当てはまらない事はない。だから猫流の解釈で人間の営みを見させてもらっている。猫稼業はこういう人間観察の積み重ねで処世術を磨いていかねばならない。やはり猫も楽ではないのだ。
そうそう、この家に住む人間の紹介をしておこう。この家には母と父がいて、その下に姉一人弟二人の三人兄弟がいる。それに父方の祖母、母方の祖父という構成である。この家の序列もほぼこの順序で間違いなかろう。母はずっと家にいるから一番偉いのだろうし、対して母方の祖父は若い頃飲んだくれて今や年金ももらえない身分であるから一番格下なのである。猫界でも年寄りは立場の弱いものであるが、と言ってもここまで露骨ではない。日頃母が祖父をいじめているのを見ると、何やら悲しげな気分に陥る。しかし僕はいつも母にすり寄っている。でないと餌も貰えない。権力者にすり寄るのは生きとし生ける者の宿命であるから、仕方がない。
まずこの母親、公子は僕を拾ってきた人である。ある民芸店から僕を連れてこの家に車に乗せて来た。あの時はさすがに驚いてニャーニャー鳴きながら、走行中だというのに運転席とフロントガラスの間に乗って立ち塞がったものだ。その後は一喝されて籠に入れられた。その後も僕は相変わらず鳴きわめいていたが、いつの間にか眠っていた。あの時の記憶から、僕は今でも車が嫌いだ。公子は家事をそつなくこなす生真面目な性格だが、癇癪を起こしやすく、何かと愚痴っぽい。この家に騒ぎがあるとすれば大概公子が発端である。おまけに最近公子は祖父母の世話を焼くのにほとほと疲れきっている。二人とも認知症なので、要介護なのである。ちなみに猫は老猫の面倒など見る習慣はないので、そのような悩みはない。老猫は一匹で死んでいくのが常であるが、人間は老人になっても豊かに暮らしていたいらしい。その証拠に祖父母共にいくらいじめられようがこの家を出る気配はない。こう言うと公子がよほど乱暴者に聞こえてしまうが、普段はむしろ大人しい方である。三人の子供と一匹の猫を育てているところを見ると、むしろ立派な母親だろう。
父親の一樹は公子と打って変わって楽天家である。体型も痩身の公子とは対照的に肥満型である。しかし頭の方はよほど出来がいいらしく、何やらと言う有名大学を出て、何やらという銀行の幹部であるらしいのだ。ふくよかな楽天家に見えて、実は怜悧な計算の働く質であると見た。猫界にもたまにこういう輩がいるが、実は一番油断ならないタイプである。僕に餌をくれる時にも、きっと何らかの見返りを期待しているに違いない。だから一日に一度くらいは膝に乗ってやっている。猫にすら見返りを求める程の商業主義的思考の持ち主であろう。ゆったりした身のこなしも打算的に見えるくらいである。そういう一樹の素質が幸いして、この家もなかなかの広さである。少なくとも僕が生まれた家よりは明らかに広い。
このような対照的な夫婦の間に生まれた子供達がバランスの取れた中性的な存在かと言うと、これがまたバラバラな性質で分かりにくい。
長女の一恵は、まあ一言で言えば恋多き女だ。若い女にこれ以上の説明は不要の様な気もするが、強いて付け加えれば一恵の場合その容貌が美しいというよりも人懐っこい性格が彼女をそうさせている、ということである。お人好しで殆ど無差別に他人を受け入れる質であるし、一時も一人ではいられない程の寂しがりやである。とにかく気が優しく、怒っているところを見た事がない。男が寄ってくる訳である。
「男にだらしない」
等と公子に揶揄される事もある。公子の言う事はごもっともで、一恵は中学の頃から違う男をとっかえひっかえ連れてくる。これは猫界では考えられぬ話で、雌猫は生殖の為にのみ雄猫に身を寄せるもので、数多くの雄猫と関係を持つ事など全くない。そのため恋愛という概念すらない。それなのに人間はというとこのように数多く恋愛をしたがるものらしいから、人間の恋愛とは生殖目的というよりは友情の延長であるのかもしれない。一恵は今も相変わらず親の小言を意にも介さず四六時中何処かへ出かけている。一恵は今年で二十歳になるそうだから、今更親の言う事に従う年齢でもないのだろう。
一恵の二つ下に、公徳という長男がいる。これははっきり言ってよく分からぬ男である。姉の一恵とは打って変わって陰気な性格で、食事の時なども家族の会話に入る事は殆どない。たまに口を開いたかと思うと世相の批判をしてみたり、学校の連中は教師も生徒も単細胞な奴ばかりだと愚痴を言ってみたりする。何とも偏屈屋というか皮肉屋というか、要するに生きづらい人間なのである。公徳はいつもピアノとかいう楽器を弾いている。あくまで一人でいる事が好きらしい。恋人はおろか友達すらいない様子である。たまに僕を話し相手に選ぶ事すらある。一恵とは逆に親から恋愛経験のない事をからかわれたりすると、機嫌を悪くして自室に籠る。公徳も少し気にし過ぎだとは思うが、それにしても人間の親というのは子供が何をしていても気に食わないものであるらしい。
末っ子には公徳の更に二つ下、俊平という弟がいる。これは公徳とは違い、単純で分かりやすい男である。公徳が「単細胞」と罵るのは大方このような人物の事であろう。早い話が筋肉馬鹿である。スポーツ万能でしなやかな筋肉を持ち、兄の公徳よりも大柄だが、性格の軽率な事といったらこの上ない。周囲に流されやすいタイプだと言えようか。しかしながら嬉しい時には嬉しい顔を、悲しい時には悲しい顔をしている単純さが憎めない。感情がそのまま顔や言動に出るのである。もっともこういう浅薄な者程学校での成績が良かったりするものである。筆記試験には甚だ強い質であるらしい。要するに要領がいいのである。哲学的思考に無縁である分、学問に対しても深く考える事をあまりせず、作業感覚で片付けてしまうから処理が速いのである。お陰で成績は兄の公徳よりよほど良い。そのため弟は弟で兄の要領の悪さを軽蔑しているのである。
最後に祖父母であるが、これは特段の説明を要さないであろう。老人は老人という属性だけで大方想像がつく様に思われる。しかし彼らの若い時分の事を持ち出すとすれば、語るべき事柄も自ずと見つかってくる。祖母の久子は一樹の母親である。この祖母は昔から気性が実に穏やかで、終始笑顔が絶えない。それも度が過ぎて、公子からは却って慇懃無礼だなどと言われるくらいである。昔から金を使わない質であったらしく、そもそも賃貸業を営んでいて財産も豊富に有しているのに、それに手をつける事なくこの歳まできたらしい。この家の資金も半分は久子が出したらしいから、感心なものである。
対して祖父の史郎は公子の父親であるが、久子と対照的に若い頃は放蕩者であったという事である。この祖父母は夫婦でもないのにまるで実の夫婦の様な一対を成しているといつも思う。史郎は若い頃に事業に手を出して失敗し、その後奥さんと離婚したのだそうだ。公子とその妹は母親に育てられたのでその後の史郎の生活を知る者はないが、大方放蕩の限りを尽くしたのであろう。何かの病気に罹って入院していたところを一家に拾われて来たのはごく最近の事である。若い頃は職人気質で気難しい性格であったそうだが、歳のせいで今は鳴りを潜めている。それどころか先にも言った様に公子が癇癪を起こす度にその被害者になっている。
ざっとこれが今の草野家の構成員達である。あくまで僕の知り得る範囲の話だが、なかなかどうして上手くまとまった気がする。これも日頃の猫稼業の賜物であろう。




