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最終章

 目を開いて辺りを見回すと、俊平は一面の雪景色の様な雲の上にいた。無辺際に広がる白い地平と桃色の空。そこに微かな石南花の花の香りが漂うている。暖かな陽気に一歩を踏み出すと、殆ど重力など感じる事もなく体がふわりと前に進む。気が付くと、俊平の体は既に白く形のない発光体であった。感覚という感覚は霞む雲の様にぼんやりとし、音はしているかしていないかも判然としない。ほんの一瞬だけ、俊平は夢ではなかろうかと思った。しかし夢にしては何という美しさであろう。その美しさがもはや地上の物ではない事を俊平は俄に悟った。俊平は暫く漂うているうちに、雲の塊と思っていた物が、実は自分と同じ発光体の集まりである事に気付いた。恐らくは、ここは死後の世界。死後の世界とは無ではなかったか。しかし無の存在自体が人間の作り出した幻想であれば、ここは存在も無も超えた概念の世界であろう。知覚の及ばぬ概念の世界は、茫洋とした不安を俊平に与えた。

(俺はこれからどうすればよいのだ?)

俊平がそう思うか思わぬうちに、俊平の内部で確かに語りかけてくる声があった。

(おーい、しゅんぺーい!)

見ると白い光の群れの中に一際大きく飛び跳ねている光芒があった。

(ビビ!)

俊平は確かめるまでもなくその正体に気が付いたのだった。涙も言葉も出ない。ただ意思の疎通はこうして可能であった。

(来たな俊平)

かつて猫であったその光の意思に、俊平は初めて触れた。肉体は触れられなくとも、意思は触れていた。それで不思議なくらい満足であった。

(一体どれくらい待ったんだ)

ついそんな概念を持って、俊平は聞いた。

(そうさな、地上で言えば五十年くらいか。もっともそんなのここでは待ったなどと言わん。何せここには時間の概念がないんだ。僕はお前の為に存在する意思であって、僕の存在そのものではないんだ。つまり僕は存在しないのであって、存在しない物に時間はないという事さ)

(ふむ、そうかね。そんなら、みんなが待っているのはどの辺かね)

(野暮な事を聞くなや。お前が望みさえすれば意思の疎通はいくらでも出来る。ここには存在もなければ空間の概念もない)

(そんなもんかね。ではお前そのものは今どこにいるんだい?)

(僕の肉体は地上に出ているさ。人間としてな。ただ僕の肉体はここに残した僕の意思を一切覚えちゃいない。そしてお前の肉体もたった今地上に出たところだ。お前はここに意思だけ残して現に地上にいるのさ)

(ふむ、何だかよう分からん)

(つまりこの世界は海の様な意思の集合体であり、肉体やその他の物質世界はその影に過ぎんという事だ)

(意思の海、つまり…)

(そうだ。僕らは元々一つの意思なのさ。僕らは意思の海から生まれた一滴の飛沫さ。その海の存在こそ人間界で言う神というものかもしれんな)

(僕らは一つだったのか)

その時、俊平という影の持ち主であった一つの意思は家族の、祖先の、子孫の声を聞いた。


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