第十四章
二月の初旬、一樹、公子、俊平の三人は鬼怒川の温泉街に来ていた。この家には珍しい家族旅行である。一樹が突然言い出して始まったこの一泊二日の旅行は、家族を取り巻く閉塞した倦怠を凌ぐ突破口の意味を持っていた。一樹は余生を自分の内的な幸福と家族の為に費やそうと考えており、この旅行計画はそれを手っ取り早く形にする為の策であった。また公子は普段の介護漬けの生活から逃れ、このところすっかり疎遠になっていた何一つ煩雑な心配の要らない一時を過ごそうと、この計画に賛同した。老人二人はこの日の為にデイサービスに預けられていた。俊平が参加したのに特に理由はない。ただ「悪」の概念から自由になった彼は家族旅行という至極平和で小市民的な行楽に特段の反発を覚えなかったのである。一恵と公徳は予定が合わないなどと言って参加を拒んだ。この二人が二人きりで留守番することを家族の誰一人訝しくは思わなかったし、事実この二人には面倒だという以外不参加の理由はなかった。ただしこれをきっかけに二人がどのような一夜を過ごしたかは猫のみぞ知ると言ったところである。
この日の天気は快晴であった。一樹の運転する車は、枯れ枝だけになった山林の木々を臨む曲がりくねった道路を木漏れ日を浴びながら走っていた。久しぶりのドライブに、普段身形に無頓着な一樹は珍しく上等なカーディガンを羽織って意気揚々としており、公子も何かと菓子を沢山詰めたバスケットを膝に乗せ上機嫌であった。一人後部座席にいる俊平は気怠げに揺られていたが、絶えず車内を占める家族の会話にはそれなりに参加していた。
「鬼怒川なんて何年ぶりかな。昔母さんと一度来たことがあったね」
ハンドルを握る一樹は前を向いたまま助手席の公子に話を振る。
「大分前のことだねえ。あの時はたまり漬けばっかり食わされてしんどかった」
公子は何かと過去を悲観的に語る癖があったが、それも車内の空気に触れると一種の冗談に変化し、陽気な雰囲気に傷一つ付けなかった。俊平は道中、煙草を持ってくるのを忘れたことに気が付いた。バイクに乗る時に着ていたジャンパーのポケットに忘れて来たのである。
「ホテルが見えて来た。もうすぐ着くぞ」
一樹が言うと、山並みの向こうに日本風の屋根と白い外壁が連なっているのが見えた。紅葉の季節を過ぎているからか、それらを臨む有料道路は閑散として、前後に一台の車もなかった。一樹は何かこの温泉街を貸し切っている様な独占欲を満たす情に駆られて、車のスピードを上げた。ところが目的のホテルに着く頃には周囲は予想以上に観光客で賑わっており、その混雑は却って大衆の中に紛れ込んだ様な寂しさを三人に与えた。
ホテルに着いて荷物を車から下ろし門構えの前まで行くと、門番が恭しくお辞儀をして中に案内してくれた。途中の日本庭園は森厳な光芒をたたえ、石畳を渡りながらそれを眺める俊平の目を奪った。玉砂利の上から腕を伸ばす木々、緑葉の叢の中に斑に花をつけた躑躅、清冽な音を響かせる鹿威し…。それらが歩みに連れてゆっくりと表情を変える景色が快い。
(何か気分が落ち着くな)
そこは善悪の存在しない自然であった。あるがままの美しさは俊平の心に響く様な静寂を保ち、枝葉を揺らしていた。俊平の心の中で、自然はただその美しさを以て善悪の区別を免れていたのである。
一樹がフロントに予約していた名前を告げると、係員から合鍵を渡されて、三人は年老いた女中に部屋を案内された。老舗の旅館らしく館内の至る所に古めかしい調度品がしつらえてあり、外国人の旅行客も多く見られた。部屋に通されると、三人は座敷に荷物を置き、茶を淹れて啜っていた。部屋の奥には眼下に鬼怒川の渓流を臨む大きな窓があり、西日が微かに差し込んでいた。公子はその窓から鬼怒川を挟んで向こう岸に広がる寂れた田舎町を眺めた。公子は元々田舎が嫌いであった。それは少女時代を過ごした辛苦の記憶のせいでもあったが、元々退屈に耐えられぬ質なのである。然るに、公子はその時初めて落ち着いた心持ちで田舎町を見下ろすことが出来た様な気がした。煩雑極まる日常から逃れたという心理が作用していたに違いない。俊平は売店で煙草を買った。
「奥の座卓でなら煙草を吸ってもいいぞ」
と一樹が言うので、早速俊平は一服した。一樹も茶菓子をほおばり、安逸に過ごしていた。
そうこうしているうちに、先ほどとは違う太々しい女中が部屋に着て挨拶をし、大浴場の利用時間などについて一通りの案内をした。食事は夕食、朝食共に部屋でとるらしかった。三人は夕食前に風呂に入ることにし、浴衣と帯とタオルを持って大浴場に出かけた。
大浴場は温泉で名高い鬼怒川の名に相反して凡庸であった。どこにでもありそうな大浴場に申し訳程度の露天風呂が付いているのみである。一樹は一人で入浴する公子が寂しかろうと懸念したが、この場合なす術もなかった。一樹と俊平は何年ぶりかで共に風呂に入る。息子の胸や背中は一樹の記憶にあるよりも随分と逞しくなっており、知らぬ間に生い茂っていた陰毛が一瞬にして一樹に自分の老いを感じさせた。
屋内の湯船に浸かりながら、父子は夥しい湯気の中に声を響かせ、話をした。この二人で会話などする事は、最新の記憶が呼び起こせない程に久々であった。
「なかなか良い温泉じゃないか」
「まあね」
二人が社交辞令的にこんな言葉を交わすのも一種の照れ隠しであったかも知れない。
「そういえば最近家にいる事が多いじゃないか。バイクにも乗らないし」
「まあ色々あってね。父さんこそ急に旅行の計画なんか立てたりして珍しいじゃないか」
「俺も歳だからな。生きているうちに名所巡りでもしてみたくなったのさ」
「そんな事を考える歳でもないだろ」
「そういう歳さ。平均寿命から言っても四分の三は来ているんだ。増して父さんの様な繊細な人間は早死にするに違いないからな」
「また」
俊平は苦笑いをした。一樹は昔から何かにつけて自分が早世すると公言して憚らない。
「露天風呂にも行ってみるか」
二人は湯から上がって場所を変えた。
「外は冷えるな」
湯から上がったばかりとは言え、如月の薄暗い空の下を裸で歩くのは非常な寒さであった。一樹はこの露天風呂に辿り着くまでの歩行を人生に準えた。そこに湯がある様に、生には必ず死が待っている。死を信じられるからこそ人は凍てつく生を歩けるのではないか。そして死がいつ来るのか分からぬ事こそ人類共通の不幸ではないかと考えた。露天風呂に繋がっているであろうこの階段の先に、もし観光客で賑わう駐車場などあったらどうだろうと一樹は考えた。寒空の下、素っ裸で生き恥を晒す地獄を予感し、一樹は薄笑いを浮かべながら一段と震えだした。自分が生きている事が恐ろしく地獄的なものに思えたのである。ところが朦々と煙る露天風呂に浸かると一瞬にして寒さは癒え、同時に初めて周囲の造形の美しさに気が付いた。
(生の美しさは死んでみるまで分からないものかもな)
一樹は苔蒸した岩肌を恍惚の目で眺めた。
暫く二人が風呂に浸かっていると、仕切りの向こう側から中年女性の団体客のものと思われるけたたましい笑い声が響くのが聞こえた。俊平は老女達のばか騒ぎに追いやられ隅っこで入浴する母の姿を想像した。俊平は家では勝ち気な母が外に出ると急に大人しくなる事を知っていた。そういう母の内弁慶が母の心に根付いた他人を信用しない狷介さから来ている事も。すると俊平は急に母が可哀想に、また恋しくなった。
「そろそろ上がろう」
俊平は立ち上がると、濡れた体を照明に光らせて歩き出した。一樹は息子に続いて先と同じ道を戻った。体は既に暖かく、もう寒くはなかった。
部屋に戻ると間もなく、豪勢な夕食が用意された。栃木の名産である湯葉や豆乳、栃木牛をふんだんに使った料理は若い俊平の口にもあった。珍味佳肴に囲まれた公子は珍しく酒を飲んでいた。普段酒など一滴も飲まない公子が、遂には熱燗の徳利を一つ空けた事に一樹は驚嘆した。
「今日程酒が美味いと感じた事はない」
と、酔った公子はそんな調子のいい台詞を口にした。顔は真っ赤になり、呂律も回らぬ状態の公子を見て、一樹は苦笑いしながらお酌をし、俊平は先ほどの母の幻影が杞憂に終わった事に安堵していた。
三人はそれから部屋を出て、旅館にあった簡易的な映写室で映画を見た。『旅愁』というアメリカ映画で、レトロな音楽が一時の恋に哀愁を漂わせ、雰囲気が良かった。が、終盤の素っ気ない展開が終わりを急ぎ過ぎ、映画全体の印象を殊更チープなものにしていた。
「アメリカ人は余韻というものを重要視しないのだ」
等と一樹が訳知りげに論評を述べた。
それから三人はその日二度目の風呂に入り、床についた。三枚鯉のぼりの様に並べて敷かれた布団は、俊平に幼少時代を思わせる懐かしさがあった。部屋の明かりを間接照明一点にし、三人は布団に入り暫し安らかな静寂をたゆとうた。鬼怒川のせせらぎが外から微かに聞こえる。家族が寝静まる前に言わなければなるまいと、俊平は天井を向いたまま薄明かりの中で呟いた。
「父さん母さん、俺、大学に行くよ」




