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第十三章

 俺には信じる物など何もない。学校の成績がどうしたって?スポーツが出来るから何だって?暗記我慢大会の勝者や百メートルを一秒速く走れる能力の持ち主に何の価値がある?俺は馬鹿の一つ覚えみたいに親や教師の期待に応えようとする点取り虫を軽蔑している。異性にモテるから楽しい?人の役に立てるのが嬉しい?馬鹿も休み休み言いやがれ。それこそ思考停止したロボット人間が他人から与えられた価値を鵜呑みにした役に立たない発想だ。俺には友達も恋人も要らねえ。自分一人があるのみだ。自分が何をするべきかなんて思いっきり自己完結した世界で考えるべきなんだ。俺は悪になりたい。偽善という偽善を全てぶっ壊したい。善人だらけのこの世の中をめちゃくちゃに混乱させてやりてえんだ。理由なんか要らねえ。説教じみた価値観を押し付けてくる全ての存在にただ腹が立つんだよ。俺にはバイクの趣味がある。バイクで思いっきりでかい音を鳴らして、町中をハイスピードで走り抜けるんだ。それが俺の楽しみだ。交通ルール違反だとか他人の迷惑だとか、そんな物を気にしている間に人生が終わっちまう。俺はただ自分のやりたいことがやりてえんだ。俺には幸運なことに同志がいた。走るのは一人じゃつまらんし、正直みみっちい。どうせなら盛大にやりてえんだ。ほんの一瞬でも街を白く濁った魚の目の色から救い出す。そして俺の色で染め直す。気取った善とは対極にある悪の色にな。とにかく俺は善人の醸し出す欺瞞の匂いに耐えきれず、バイクのヘッドライトでその靄を断ち切る様にして生きていたんだ。

 ところがだ。俺の同志ってのがどうしようもねえ腰抜け揃いだったんだ。一人また一人と大学受験が控えているからだの、彼女が辞めてくれって言うからだのと言って俺らの輪から抜けていくんだ。馬鹿馬鹿しい。そんな根性なら最初からやらなけりゃ良いんだ。結局は皆善人になりたいんだろ?俺はそんなひ弱な奴を相手にしちゃいられねえんだ。もっと根性の据わった男はいないもんか。

 と、思っていた矢先だ。俺は本物の悪に出会った。俺の中学の先輩で萩原さんっていう人がいたんだ。中学の頃から有名な人だったが、その生活たるや半端じゃなかった。走りが半端じゃないのは勿論だが、街に出れば酒を飲んでは喧嘩し放題、盛り場に繰り出せば女を犯しまくりで、第一ヤク中だった。よく分からない粉をスプーンで炙ったり、注射器で静脈に打ったりしてたっけ。とにかく放埒なんてもんじゃねえんだ。俺はそんな奴を後にも先にも見たことがねえ。警察なんて家に帰るのと同じ様な気軽さで世話になってくるし、学校にはお礼参りか女目当てかカツアゲにしか行ったことがないらしい。権力という権力を侮蔑することに徹底した、ある種ストイックな生き方だった。俺は萩原さんに憧れた。いや、憧れなんて言うよりも神の様に崇拝していたんだ。

 ところがだ、その神は俺に一等大事なことを教えてくれたんだ。それは悪の恐ろしさだった。俺はある日暗い地下にある倉庫みたいなところで、萩原さんにヤクを勧められた。やっと手に入った上物らしかった。だがそこで俺はビビっちまった。何せそこにはラリった女がゾンビの様に沢山壁にもたれていたんだ。骸骨みたいに骨と皮だけになって目は落ち窪み頬はこけ、髪の毛が真っ白で皮膚はぼろぼろに荒れ、何か訳の分からないことを呻いている。正直化け物としか思えなかった。正に地獄絵図だったよ。俺はその時悟った。俺は悪にはなれない。俺は悪をなめていた。悪の上っ面だけ真似して、自分に都合のいい我が侭を言っていただけだったんだ。言わば悪という学校で優等生を演じていたに過ぎないんだ。俺は俺が軽蔑していた連中と同じことをしていたんだ…。

 俺はその日からバイクを辞めた。悪を指向することを辞めたんだ。萩原さんはその後忽然と姿を消した。風の噂じゃヤクを密売してるヤクザに始末されたとか。それ以来俺の悪は心の中にひっそりと根付いているだけだ。


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