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第十一章

 私はね、両親が小さい頃に離婚してるのよ。父親が若い頃に事業に手を出して失敗してね。莫大な借金を背負ったんだ。その頃は父も若かったから、酒食らって家庭内暴力をふるって、大変だったんだよ。おまけに家に借金取りが押し掛けてくるしさ。そんなこんなで両親が離婚してからは父親は姿を眩まし、私は母親に引き取られて、妹と三人で暮らした。その時私が中学生、妹は小学生だった。女三人での暮らしは楽じゃなかったよ。貧乏で肩身の狭い思いをしたもんだ。母親は病弱なのに私たち姉妹を養う為に働き詰めだった。そんな母親はたまに倒れて、その度に私は妹と一緒に病院に駆けつけた。病床に伏した母親と妹と三人で病室にいるときは、私は不安でたまらなかった。無機質な病室に佇んでいると、まるでそこにいる三人だけが世の中から取り残された様な心地がしてくるんだよ。母親はしっかり者だったけどこの通り病弱だし、妹はまだ小さいし、私がしっかりしなきゃ生きていけないんだって思った。この二人を私が守っていくんだと覚悟を決めたね。だから私はその頃からピリピリしてたよ。たまに看護婦なんかが

「可哀想にねぇ」

何て言った日には

「あなたに何が分かるんですか?無責任な発言は慎んでください!」

なんて怒鳴り返したもんだ。赤の他人が気安くうちの家庭に触れることが許せなかったんだ。

 とにかくそんな母親も入退院を繰り返しながら働いて、私は何とか高校を出ることが出来た。私は高校を出て、すぐに都会の就職先を見つけて働きだした。地元には母と妹を残して来た。心配はあったけど、それでも地元に残りたくはなかったんだ。地元には暗い思い出しかなかったからねぇ。そうして私はとある銀行の事務員として働きだした。私が家に仕送りを続けて何年かすると、母親の容態もよくなって、妹も高校を卒業して地元に就職。うちの家庭はようやく平穏を得ることが出来た。

 職場で今の主人と出会ったのはそれから間もなくだ。主人はその頃から鷹揚な性格で、何かとのんびりとしたところがあったね。せっかちな私から見れば鈍臭いとも感じたけど、余裕げにゆったりと構えている仕草にとても安心感を覚えたんだよ。何せ生まれてこのかた安心なんてしたことがなかったからね。この人に付いていけば大丈夫じゃないかって思えたんだ。ただね、それでも私には男に幸せにしてもらおうなんていう気は毛頭なかったよ。それは私が長年培ってきた独立心という物だったかもしれない。それは常に一人で生きる覚悟、依頼心を捨てる勇気だった。と言ってもそれは何でもかんでも一人で背負い込むこととは違う。一人で出来ることは精一杯やるけど、出来ないことは他の誰かに分担してもらうんだ。その適任者を捜すのは勿論自分だ。そういう人生設計を他人に頼らずに自分の頭で考えて構築していくことが私の独立心というものだ。私にとっての結婚もそういう独立心の延長にあった。私は彼に生活の基盤を築く能力があるかどうかを慎重に見極めた。その結果長い交際期間を経てようやく主人と私は結婚した。田舎者で父親が行方不明者である私は主人の父親から散々厭味をいわれたが、そんなものは私の人生航路を阻害する物では全くなかった。主人にはただ外で働いて稼いでもらえればそれでよかったのだ。それ以外の問題は全て自分の中で解決してゆける自信があったからだ。

 暫くして、一恵が生まれた。一恵が生まれた時、主人とその両親も一緒だったし、妹も地元から駆けつけてくれた。そして病院のベッドに腰掛ける私を囲んで、一恵の出生を皆で祝ってくれていた。私たち夫婦はその時一点の曇りもない幸せの絶頂にあったはずだった。だけどそこに突如暗い影が忍び寄った。長年姿を眩ましていた私の父親が、一升瓶を片手にふらりと現れたんだ。人間の不幸という物は蜘蛛の巣みたいに振り払っても振り払ってもまとわり付いてくるものかも知れないね。私はあっけにとられた。一恵が生まれた喜びが一瞬にして吹き消された気がした。あんなに呪わしい瞬間はなかったね。

「今更何をしに来たんだ!帰れ!」

主人が聞いたこともない様な怒声で父親を追い払った。私はその時泣いた。私の不幸の源泉を、疫病神を主人が追い払った。それが申し訳なくてね。自分の力で幸せになろうと決めたのに。

 もっともそれから特段問題はなかった。私は二年おきに公徳、俊平を生んだ。主人はトントン拍子に出世していったし、私は家事や育児に生き甲斐を感じていた。ところが、あれはいつ頃のことだったかしら。私の地元にある病院から電話がかかって来て、「お宅の父親を入院させているから、引き取ってくれ」と言ってきたんだ。その後家族全員で私の田舎に行って病院へ駆けつけてみると、痩せて小さくなった、禿頭の、歯のすっかり抜け落ちた男がちょこんと座って陽気に手を振っていた。疫病神もここまでしぼむと怒る気も失せてくるもんだよ。それはもう抜け殻でしかなかった。私たち家族はその抜け殻を引き取って帰った。それが今の爺ちゃんさ。

 その後主人の父親が亡くなり、私の母親も亡くなった。お互いに親の死に目には会えなかった。こうして見ると夫婦というのは常に悲喜の一対から成っていて、大抵図太い方が長生きしている様に見えるね。じゃあ次に死ぬのは私かな?なんて考えてみたりする。

 その後主人の母親もうちに来て、老人が二人になった。介護は大変だけど、これも今じゃ運命と思って受け入れているよ。子供達もまあ立派とはいわないまでも無事に成長しているし、私は充分に幸せだよ。愚痴が多いのは勘弁して。それだけ幸せってことさ。

 私がここまでやって来れた理由は、私の不幸な生い立ちにあるのかもしれないと今では思う。生きていくにはそれなりに精神が強くないといけないんだ。あの時期にその強さを育てられた気がするね。不幸というのは幸福になる為の必要条件かも。大それた考えかもしれないけど、私は不幸をひっくり返すことには自信があるんだ。


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