第5話 親子二人での帰り道
退魔師には、結界、というものが張れるらしい。祥子は今初めて聞いた。
退魔師の能力には、代々特定の家系に受け継がれる遺伝的なものと、突然変異的に目覚めるものとの二パターンがある。晃、糸織、美咲は前者、龍平は後者なのだそうだ。そのため、前者の能力者は正式な退魔師になる前に結界の張り方を体得しているが、後者の能力者は入職した時に新人教育でマスターするという。しかしいずれにせよ退魔師のほとんどが結界を張ることが可能になる。
結界を張るとどうなるかは退魔師によるが、だいたいは力の強さに合わせてドーム型の亜空間に特定の妖魔を閉じ込めることができる。その際、人間など、任意の対象物を外に追い出すことも可能だとのことだ。結界の中で妖魔と戦うことになるので、対魔協では最低半径五メートル程度の結界を張るよう指示されるらしい。
「お父さんは普段どれくらいの結界を張ってるの?」
「ほとんどの妖魔は半径十メートルでなんとかできるから、いつもは省エネのためにそれくらいで済ませてるかな。若い頃やったMAXは渋谷から池袋くらい」
「ふうん」
自分で聞いておきながら、それがどれくらいすごいのか、祥子にはよくわからなかった。
晃は戦闘する場所をかなり選んでいるらしい。必ず結界の中にトイレが入るようにしているという。なぜなら、戦闘スタイル的に、妖魔の血のようなものを浴びるからだ。一般人に見られる前にトイレで着替えてから帰るようにしているそうだ。したがって、現場は駅、ショッピングモール、大手企業が入るオフィスビルなどが多くなる。妖魔は人間の負の感情を好んでいて人間が多いところに集まりやすいからちょうどいい。道理で肉体労働のわりに日焼けしないわけである。
今日も、晃は駅の男子トイレで着替えをしてから結界を解いた。
結界を解くと、先ほどとなんら変わらない、疲れた勤め人の群れが現れた。本当に、何事もなかったかのようだ。
今、晃はファストファッションのブランドのストレートジーンズに同じく無名の臙脂色のパーカーを着ている。スタイルのいい晃が着ると安っぽくは見えないが、祥子にとっては見慣れた、いつものちょっとアリオやファミレスなどに出掛ける時の父の姿だった。
「大丈夫、このまま家の洗濯機にぶち込んだりしてないから。手洗いして、オキシ漬けしてから洗濯機に入れてるから」
背負ったリュックサックの中の黒い服のことである。そこのところはむしろ祥子より晃のほうが潔癖なくらいであり、祥子は構わない。しかし妖魔の返り血を浴びるのを前提に働いているとは、大変な仕事である。
晃は今まで祥子が対魔協にかかわることを嫌がっていた。祥子に妖魔を見た記憶がないくらい、妖魔と接触しないように注意を払っていた。だから、祥子が晃の働く姿を見たのはこれが初めてだった。
小学生の頃、社会科見学で同級生の親が経営する工場に行ったことがある。火花を散らして旋盤をする友達の父親を、かっこいいと思った。その流れで祥子も晃の働く姿を見たいとねだったところ、危ないからだめ、と少しきつめに怒られたのを今もおぼえている。あの頃は小さかったから父を意地悪だと思っていじけたものだが、とんでもない。高校生の祥子でさえも恐ろしい。晃の判断はすべて正しい。
「お父さん」
ドアのすぐ近く、座席のサイドの鉄パイプを握って体を支えながら窓の外を見ていた晃に、小声で話し掛けた。外はまだ地下なので、トンネル内の黒い空間が続いているだけである。祥子はそんな晃のそばで、ドアの近くの鉄の手すりを握って、座席の壁にもたれて立っている。
「どうしてわたしが大手町駅にいることがわかったの?」
晃の黒い瞳が祥子の顔を捉えた。
「アリオで仕事をしようと思って結界を張った時に、アリオの中で祥子の気配を感じなかったからな」
「アリオがまるまる入るくらいの結界を張ったの?」
「そう。定期的にやってる。祥子がちょこちょこ遊びに行ってるところに危ないものがいたら嫌だから」
世間一般の父親もこうなのだろうか。少し過保護ではないだろうか。
「で、美咲にLINEしたら、今対魔協の本部のオフィスで一緒にいると返ってきた。美咲はお前がここに来ることを自分の口で俺にちゃんと説明したもんだと思い込んでたらしい。謝られた」
「ごめんなさい……」
「まあ、反省したならいい」
美咲にも迷惑をかけてしまったようだ。後で美咲にも謝罪したほうがいいだろう。
「美咲と龍平と、澤課長と板垣さんと谷の小僧と中華食ったらしいじゃん。課長のおごりで。くっそ、あと一時間早く気づいていれば俺も……」
「ごめんね……」
電車が揺られていく。通りすがったギャルっぽい服装の女性二人が、「今の人マジビジュよくなかった?」「知らない人の顔見て急にメロつくなよ、ていうか女連れじゃん」とそれなりの大きさの声で話している。晃と二人で出掛けるとたまにこういうことがある。
「……お父さん」
また窓の外に目をやった晃に、離し掛けた。
「どうした?」
晃と目が合った。
祥子は腕を伸ばして、晃にしがみつくように抱きついた。
「ごめんなさい」
メンズのパーカーは必要以上に大きく、腕を回すとパーカーが縮んだように感じる。芯のところに肉体労働で筋肉質とはいえ少々細身の晃の胴体がある。
「お父さんに嘘なんてつかなきゃよかった」
祥子の頭に、晃が頬を寄せた。
「反省してるならいい」
「ほんと?」
「それに、俺も親に頼らずに金が欲しいと思ったことがあるから、気持ちはちょっとわかるんだ。祥子が何を目当てに金を稼ごうと思ったのかは知らないけど……、高校生の時の俺は喉が手が出るほど金が欲しかった。親に秘密で糸織さんの出産資金を集めたいと思っていたんだ」
まだ若く幼かった頃の晃の意地と糸織への愛が伝わってくる。結局何がどうなって祥子が生まれたのかは知らないが、いつかゆっくり聞いてみようと思った。
「わたし、馬鹿だなあ。漫画や小説にもっと課金したかっただけだもん」
「十代の子供にとっては切実なんだろ」
そして、ふと、晃が笑った。
「バイト、すればいいじゃん」
「え?」
「平日にやられて学業に支障が出たら困るけど、この前、区の広報に区立図書館の夏休みの学生バイトの募集記事が出てたぞ」
祥子は自分がみるみる笑顔になっていくのを感じた。
「えっちな本を買われるのは困るけど、友達と旅行行くくらいの稼ぎにはなるんじゃないの」
「わたし、がんばる!」
いつの間にか地上に出た電車が、慣れた駅のホームに止まった。二人は揃って電車を降りた。




