藤牙晃って何者???【新入職員(ほぼモブ)視点/BL要素有注意】
広江は三ヵ月におよぶ新入職員研修に耐えた。そしてようやく夢だった妖魔退治の実働部隊に配属されることになった。
まだまだD級までとはいえ、自分にはもう妖魔を倒すための技術がある。
これで妖魔のせいで命を落とした母の敵討ちができる。
天国の母はきっと息子の覚悟を褒めてくれるだろう。
広江は胸を張って対妖魔防衛協会実務本部に出勤し、東東京課のデスクの島に向かった。
大学を卒業してまだ三ヵ月の広江にとって、オフィス勤めは未知の世界である。本部の広いフロアをきょろきょろ見回し、自己紹介と先輩職員への挨拶におどおどし、出勤から一時間が経過してようやく教育係になってくれるらしい三年先輩の男性職員となんとか合流した。
この先輩は高卒で就職して三年目なので、年齢は今年二十二歳と、広江の一個下である。だが聞いたところによると、先日B級を一人で倒したとのことだ。広江より格段にレベルが高い。
「どうも、初めまして! 俺は谷善太郎! よろしくな!」
朗らかな谷の屈託のない笑顔に、広江はほっとした。しかし対魔協は体育会系の組織だと聞いていたので、しっかり腰を曲げて頭を下げる。
「広江遼です。よろしくお願いします」
「そんなに硬くなるなよ、広江のが一個上なんだろ? 俺には気を遣わなくていいから」
「いやいや、谷先輩、これからお世話になります」
「こちらこそ、俺もまだまだわかんないことだらけだけど、広江が早く一人前になるように全力でサポートするからな」
そこまで挨拶すると、谷は「まずはオフィスの案内から」と言って歩き出した。島の並び順の説明、経理部や総務部や医務課への挨拶、トイレの場所や休憩所の使い方などなど、オフィスで活動するにあたって最低限必要なことをひとつひとつ丁寧に説明してくれる。
「最後に、これ」
谷が壁に設置されたホワイトボードを指した。ホワイトボードには黒い塗料で枠線が引かれている。そして、上のほうに『予定表 七月一日』と書かれている。左側にはカットされたマグネットシートにテプラで作られたシールが貼ってある東東京課の課員の名字一覧がずらりと並んでいた。
「板垣さーん、広江の名前ないですけどー」
谷がそう言うと、先ほど医務課の課員だと紹介された眼鏡でやせぎすの中年女性が「わたしだって忙しいんだわ」と答える。
「七月の人事異動で変わったところの入力が終わったら作ってあげるから待ってなさい。しっしっ」
「しっしっはひどくないすか? まあいいけどさあ」
そして広江に微笑みかけて「板垣さんはいつも誰にでもあんな感じだからあんまり気にしないで」と言う。広江は「はい」と素直に返事をして、心のノートに書き込んだ。
改めてホワイトボードを見る。東東京課には九人の退魔師がいるらしい。ほぼ全員、配属の挨拶を済ませた後すぐに出払ってしまった。早く顔と名前をおぼえなければならないのに、この調子だと苦労しそうだ。
ふと、一覧の一番下が目に留まった。そこだけマグネットシートではなくマジックでこう書かれている。
『あきら 直行直帰』
「あの、谷先輩」
「なんだ?」
「これ、何ですか? 『あきら』って、人名ですか?」
その台詞を口にした途端、オフィス内がざわめいた。
「なにあの子、藤牙晃を知らないの?」
「今時の若い子って怖いな」
「あの事件から何年も経ってるししょうがないのかな」
「いやいやこの業界にいるなら藤牙晃のことはわかってなきゃだめでしょ」
オフィスのそこかしこからひそひそと声が聞こえてくる。自分は何か言ってはいけないことを言ったのだろうか。
「有名人なんですか?」
谷に聞いてみたが、彼は答えてくれなかった。また板垣とやらに話し掛けて「晃さんずっとこれなんですか?」と問い掛けていた。板垣が「そうよ」とそっけなく答える。
「晃、いつどこに出没するかわかんないからね。本人もちゃんとしたくない、もっと雑にしてほしいって言ってたし」
「雑にしてほしい、って……この業界で晃さんを雑に扱える人間何人いんだよ」
「広江くんのネームプレート作る時に一緒に作っとくわ」
「頼みますよ、板垣さん」
「あ、そういえば」
板垣が立ち上がって、ホワイトボードの『あきら』の欄の端のほうにマジックで書き足す。
『歓迎会だけ出る』
本当に雑だし、謎だ。
「えー、晃さん、今日歓迎会は来るんだ」
東東京課の新入職員は広江しかいないので、広江のための歓迎会だろう。
「お前、晃さんにちゃんとご挨拶しろよ」
そう言って背中を叩かれた。ちゃんと挨拶しなければならない相手らしい。何者だ、『あきら』。緊張する。怖い人でないといい。
誰も藤牙晃がどんな退魔師なのか説明してくれないまま、定時の十八時になった。まるで、この業界にいるなら彼を知っていて当たり前、とでも言いたげな空気感だ。そんなに有名な退魔師なのか。定年後再雇用などのベテランだろうか。
十八時になるとちらほら課員たちがオフィスに帰ってきた。みんな今日だけは歓迎会のために再集合くれるらしい。緊急のしらせが入ったら出ていく人もいるだろうが、と前置きしつつ、『あきら』以外の全員が対魔協御用達の中華料理屋の前に集まった。
十九時の予約に合わせて、一斉に店内に入る。一同全員が二階の宴会場に案内される。
「お前、酒は飲めるの?」
そう言って広江の背中を叩いたのは、相模主任である。
「主任」
「龍平さんでいい。俺も今日の人事異動で昇格したばっかりでまだむずむずするんだよな」
「龍平さん……」
清潔感のある整えられたあごひげと撫でつけた少し長めのヘアスタイルが特徴的な、あと十年か二十年もすれば男の色気で世の人間を魅了するようになるであろう男だ。とはいえ広江は男に興味があるわけでもないので、かっこいい、と思う程度である。左手を見た感じ、まだ独身らしい。女性職員から人気がありそう、などと考える。だが退魔師は命を懸けて妖魔と戦う職業だ。色恋などというちゃらちゃらしたことにうつつをぬかしていてはだめだ。
「はい、飲めます! 俺、大卒なんで、もう二十歳過ぎてます」
「そうかそうか、じゃあとりあえず――」
その言葉を遮るようにして、課長が叫んだ。
「晃が来たぞー」
背中がぞわりとした。
階段を、誰かが上がってくる。
ものすごく強い霊力の波動を感じる。こんな霊力を常に垂れ流しているのか。どれほどの余裕があればこんな生き方ができるのか。人間として、ありえていいのだろうか。
これが、藤牙晃。
拳をぎゅっと握り締めながら振り向いた。
広江は、大きく両目を見開いた。
薄暗い店内でも、彼の容貌は輝いて見えた。
大きな切れ長の目には睫毛がびっしりと生え揃っている。すっと通った鼻筋と控えめな小鼻はまるで作ったかのようだ。少し薄めの唇も色っぽい。つややかな黒髪はさらりと流されていて、整えられた眉を覆ってまぶたにかかっている。肩から腕にかけて薄手のショールを羽織っているのがとても似合っていた。腰も細く、さほど高身長というわけでもなさそうなわりには足が長い。
真っ黒な、パワーストーンのような瞳と、目が合った。
次の瞬間だった。
彼は、人懐こく、にこ、と微笑んだ。
「お前さんが広江遼くんね。もうおぼえたぞっ」
そのちょっと跳ねた語尾がまるで少女のようで、人形のような冷たい美貌からのギャップに心を射貫かれた。
「ほーら広江、これが噂の藤牙晃だ」
主任が無遠慮に晃の肩を抱いた。晃は抵抗せず微笑んだまま広江に向かって右手を伸ばした。
「藤牙晃です。初めまして」
手を、差し出されている。
震えそうになる手を伸ばして、彼のその手をつかんだ。美しい顔立ちからは想像できなかった太い指と関節、剣だこにびっくりする。似合わない。まるで天使か何かのように中性的な顔をしているのに、手だけはごつごつした男のものだ。
ただ、その指先、整えられた爪に、黒いマニキュアを施している。おしゃれも過ぎるが、顔には似合っている。
「広江遼です」
「俺は晃さんでいいから。よろしくな」
広江から手を離して、主任に爪を見える。
「見て見て龍平、新人にナメられないようにって思ってネイルサロンで爪塗ってもらってきた。かっこよくない?」
「はいはい可愛い可愛い。お前をナメる退魔師なんか対魔協のどこにもいないから安心しろ」
無邪気な晃の姿に、困惑する。
「じゃ、晃、新人くんの隣に座ってやって」
「はーい」
隣、と言われてどきまぎした。こんな美しい人が隣にいたら緊張して食事の味がわからないではないか、と言いたいが、男性相手に言っていいことなのかわからない。
そうだ、男性、と気を取り直す。あの筋張った強そうな手を握ったではないか。どんなに美しくて可愛らしくても、相手は男だ。俺はゲイではない、ゲイではない、と広江は自分に言い聞かせた。
誕生日席についた広江の斜め隣に、晃が座る。
「はい、メニュー」
晃にメニュー表を手渡された。
その瞬間、晃からいい匂いがした。成人男性からしていい匂いではない。
「ここはね、海老チリがおいしいの。あと俺はピータンの前菜も好き」
なんにも頭に入ってこない。
とりあえずと運ばれてきた生ビールで乾杯をした。ビールなど学生時代に浴びるほど飲んだはずなのに、今夜はなぜか酔いが回るのが早かった。
そんな広江に、晃が慣れた手つきでせっせと食事を取り分けてくれる。
晃が取り分け用の菜箸を手にしたまま、にこにこと微笑んでいる。その様子は死んだ母を思い出させる。癒やし、の一言に尽きる。
「俺が取ってあげるから、若者はいっぱい食べなさいね」
ノックアウトである。
二時間コースで飲み食いして、二十一時で解散になった。
べろべろに酔っ払った広江を、主任と谷が両サイドから支えた。
「広江、お前、綾瀬の職員寮だっけ?」
「はい、そうですう」
「谷もだっけ?」
「そうです。……これ、俺が部屋まで連れ帰って介抱しなきゃいけないパターンっすか?」
「いや、大丈夫、俺も責任をもって部下の面倒を見ないといけない空気感だからな……そのための昇進なんだ、たぶん」
頭がくらくらするが、気分が良かった。梅雨空で月は見られないが、美しい夜だと思った。
そんな広江の顔を、晃が覗き込む。
「俺も亀有だから、一緒に帰ってあげる」
「晃さん、寮まで来てくださいよ。俺の部屋まで」
「え、それはだめ」
男の部屋まで来るのは怖いからか、と思ったが――
「早く帰らないと、家で娘が一人で留守番してるから」
広江はショックを受けた。
「お子さんが……いるんですか……!」
「うん。もう大きいから一人で留守番できるけど、念のため」
「てことは既婚者なんですね」
「んー」
晃が苦笑して首を傾げる。
「奥さん何年も前に死んじゃったんだよな」
じゃあ問題ないですね、結婚しましょう。俺と再婚しましょう。俺、その娘さんのいい親になれると思います。
言いたくて言えない。
「晃さん……可愛いなあ……!」
「は? 俺、さっそくナメられてる?」
主任と谷が遠くを見た。
「これはまた始まるな……晃をめぐる痴情のもつれが……」
「晃さん、マジオフィスに顔出さなくていいっすよ。揉めるんで」
「なに? 俺、実は嫌われてるの? 仕事、辞めてもいいなら辞めるけど」
「いやいやいやいや」
今日はいい日だ。足元がふわふわする。
広江は運命の出会いを果たしたことが嬉しくなって、俺が強い退魔師になってこの人を守らなければ、と密かに決意した。
恋って幸せだな。
* * *
【後日談】
久しぶりにオフィスに出勤した晃は、オフィスにあるホワイトボードすべてにちゃんとテプラとマグネットシートで作られた『藤牙(晃)』というネームプレートが貼られていることに気づいた。東東京課だけではない。西東京課や千葉課、埼玉課、北関東課にも貼られていた。
「え……板垣さん、これ、なに? これじゃ俺めっちゃ広範囲で働くことになってない?」
「相模主任からのお達しよ」
「く、くっそ……あいつ、ちょっと偉くなったと思ったらそういうことしやがって……」
<今度こそ本当に終わり>




