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エッセンシャルじゃないワーカー

作者: 空見タイガ
掲載日:2026/04/08

 ある日、お金必要駐輪場でロックがかかるまで自転車を奥に押しこむバイトをしていて、なまぐさくないごみがふちによせられている車にのっていないひとたちが歩く道でおっかない顔の人工的スキンヘッドに突き飛ばされかけていたおれを彩りのない格好の地毛ではない色とうねりのあたまをした老いていない男が助けてくれて、チェーン店ではなく禁煙ではなく床の位置がちょっと低くなく入り口が階段になっているバリアフリーではない黄ばんだ壁のカフェにつれていってくれて、好きなものを頼んでいいよと言ってくれて、自己紹介してきて、無視して、ミックスサンドのランチセットを頼ませてもらって、壁ぎわでも窓ぎわでもカウンター席でもない場所でぼんやりさせてもらっているうちに店員も客もだれもいない瞬間がおとずれて、こうたしなめられたんです。

「いや、そんな危険なバイトはしないほうがいいよ」

 珀斗(はくと)はおまえの二個上だけど大学四年生というわけではなくて、通信制の高校も卒業していなくて、親とも仲がよくなくて、ソーシャルワーカーもおだやかでないのでひとりで死んでいくしかないんだよねという説明をしました。元気のない女店員が音を立てないで持ってきたミックスサンドセットには肉とは言い切れないものとたまごとキャベツあるいはレタスと白いソースとぴりっと甘くなさそうな黄色いソースが入ってました。具の内側にいないパンはふんわり白くて切り落としきれていない耳の茶色の部分が端にわずかに残っていました。で、彼が肩をすくめました。

「ぼくが助けに入らなかったらぶん殴られてたんじゃないですか」

 急に親しくない口調になって珀斗はうれしくないと伝えたら「あなたは年上なんでしょう」と目上には使わない声音で返ってきたので「遠慮はコーヒーよ」と単品ドリンクではない黒い炭酸飲料を飲みました。

「アワ」

「まあミックスサンドとは合わないよ」

 それは彼とおれより合わないのだろうかと思いました。

「安全じゃないことはバイトをしないことにならない」

「生きられなくなるかもしれないよ。生きるために働いているのに」

「バイトは珀斗が不要じゃなくて、珀斗もバイトが不要じゃなくて、社会もバイトが不要じゃなくて、バイトも社会が不要じゃないから」

「バイトを必要としているのは使用者で、使用者はバイトがだれであろうとどうでもいいでしょ。あなたがどんなバイトをしてもかまわないように」

「工場と工事はかまったもん。先輩たちをこなごなにしかけたから」

「いいカラダをしているのに」

「おまえもバイトしてんの」

「うん、ぼくがいなかったら絶対に回らない必要な仕事をしている」

「それは珀斗にはやれない仕事?」

「はい、あなたにもだれにも、ぼく以外にはできない仕事です」

 青年の顔だちは正しく長さを示しているものさしをたくさんあつめて目もりの部分だけ見くらべても愛着をもてないように目の前からいなくなったら二度と思い出せなくなりそうなほど端正でした。

 おれの仕事着はがらのない白シャツとがらのない黒ズボンだったのに今ではどちらも黄色のソースがらになっていました。

 ミックスサンドにはじつは薄切りのトマトが入っていました。

「いいね、おまえは必要くんだね」

 彼が苦笑いで「じゃそれでいいよ」と言い、必要くんは必要くんになりました。連絡先をしかたなく交換するかわりにレギュラー商品ではない桜プリンもおごってもらいました。

 もしこれが何らかのプロローグだとしたら、たぶん、ここが序章です。


 八時間に一回、必要くんが必要のない電話をかけてきて、たわいない話をしてきて、声を聞きたがって、下着の色や種類をたずねてくるので着信拒否(ブロック)していた時期、ゲームセンターで台の横取り(ハイエナ行為)をちらつかせて客に金を使わせるバイトをしていて、車が行き交わないタイプの大通りの角の店舗のさらに角でおっかない顔の自然的スキンヘッドに追いつめられかけていたおれを必要くんがかばってくれて、細くない道が太くなくなるまで歩いたさきにあるこぎたない町中華につれていってくれて、好きなものを頼んでいいよと言ってくれて、なんでブロックしたのかと問いつめてきて、無視して、ランチセットではない麻婆豆腐とミニミニ油淋鶏のセットを頼ませてもらって、会社員のカバンから取り出されそうなものはなにひとつ広げられなさそうな広くないテーブル席であくびをさせてもらっているうちに店員も客もだれもいない瞬間がおとずれて、こう指摘されたんです。

「仕事中にゲームしちゃだめだって」

 珀斗は仕事中にゲームをしていたわけではなくて、オンラインクレーンゲームを遊んでいるようでやっていなくて、実際にはプレイしないのに順番待ちの予約を入れて、真のユーザーに有償コインを買わせるバイトを並行でやっていただけだという解説をしました。やせていない男店員がただでさえ大きくないテーブルをもっと狭くするように持ってきた麻婆豆腐には非常に赤いところがありました。茶色すぎるところもありました。で、必要くんがため息をつきました。

「もっと健全なバイトがあるよ」

 年下にバイト情報を教えてもらうほど落ちぶれていないと伝えたら「メイド服を着る、インスタントカメラでツーショットを撮る、握手会をする」と指折り数えながら返ってきたので「はずかしい仕事はしたくない」と透明ではない色のコップで水を飲みました。

「ミズ」

「はずかしくないよ。珀斗さんの似合わない女装を必要としている生命体がかならず存在するから」

「はずかしい仕事」

「はずかしくないよ」

 どう想像してもまったく健全ではないと思いました。

「はずかしい仕事」

「でもゲームセンターで客を煽るようなバイトだって堅気のやることじゃないよ」

「お金が動く仕事だもん」

「ある意味では」

「必要くんはどうやって必要とされる仕事を見つけたの」

「天職というやつですよ。ぼくが望んで選んだものではなくて」

 そこまで遠くはないが近くはないところにいるひとに配慮しているようなもの言いでした。

 おれの仕事着はがらのない白袖だったのに今ではなぜか赤い斑点がついていました。

 ミニミニ油淋鶏は小皿にちょこんと鎮座していました。

「いいね、珀斗にも天職があればよかった」

「添い寝ボイスを販売してみたらどうかな」

「でも天職があっても珀斗はそれにたどりつかないような気がする」

「すぐに羞恥心にかられるから」

「みんな、どうやってやりたいことを見つけているんだろう」

 考えることより先にある感じていることは背景のないところに煙は立たないように相手にそのまま渡してもなにも伝わらないのでした。おれはとなりのテーブルに置かれている開かれ待ちのメニューブックを指さしました。

「このメニューをデザインしたひとは、このメニューをデザインしたいと思ってデザイナーになったのかな」

「デザイナーにあこがれて、デザインの事務所なりフリーランスなりで仕事を受注したうちのひとつだと思うよ」

「なら事務職は事務職にあこがれて事務職になったのかな。総務課は総務課にあこがれて総務課になったのかな。関連会社のシステムを開発して運用して保守するだけの会社の社員は関連会社のシステムを開発して運用して保守するだけの仕事をしたくて関連会社のシステムを開発して運用して保守するだけの会社に就職したのかな」

「オフィスで働きたいって夢があったのかも。お仕事ドラマや両親の姿に感化されて。あとは社員証を首からぶらさげてピッとしたいとか超高層ビルのオフィスでエレベーターを途中で乗り換えたいとか」

「放射線技師って放射線技師になりたくて放射線技師になったのかな。放射線技師になったひとは放射線技師に命を救われたことがあって放射線技師になりたかったのかな。社会保険労務士も……珀斗、小学生のときに社会保険労務士なんて知らなかった。だから社会保険労務士を将来の夢として書けなかった。社会保険労務士になるために勉強できなかった」

 必要くんは大きくなく老いていなくパサパサではない犬を眺める目つきをしました。そして客もいないのに落ちついていない厨房の音にまぎれるぐらいの、低いささやき声で、そっと言いました。

「ぼくも最近、ずっと思っている。あなたのことをもっと早く知っていたら伝記作家になっていたかもしれないって」

「なぜ伝記」

「あなたの資料をあつめて、あなたと話して、あなたについて考えて書くのは楽しそうなので」

 おれはうなずきました。

「放射線技師も、放射線を浴びせられるひとのことを幼いころに知って、ひとに放射線を浴びせることを楽しそうだと思ったから放射線技師になったのかな」

 必要くんが苦笑いをして「じゃそれでいいよ」と言ったので、放射線技師はひとに放射線を浴びせることを楽しそうだと思ったから放射線技師になったことになりました。しかたなくブロックを解除するかわりに期間限定商品ではない杏仁豆腐もおごってもらいました。

 もしこれが起承転結で収まるものだとしたら、たぶん、ここが起と転と結以外です。


 楽しくないニュースが増えてきて、だれかがずっと前につくったものが思いがけない壊れかたをして、しゃっきりしない姿勢の失業者たちが町を徘徊しはじめたころ、SNSでひっそり告知した「野菜 手押し」のイベントで手押し車に積んだお野菜を売るバイトをしていて、太陽の光も届かないひとっけのない路地でおっかない顔の不自然的前髪たらしに突かれかけていたおれを必要くんが救ってくれて、活気のない商店街のなかでも人気のない洋食店につれていってくれ、好きなものを頼んでいいよと言ってくれて、珀斗は同じ場所でバイトをしないのによく会うねと声をかけて、無視されて、ハンバーグセットにするかどうかで心を引きさかれながらもミックスフライセットを頼ませてもらって、壁ぎわでも窓ぎわでもカウンター席でもない場所で口ずさませてもらっているうちに店員も客もだれもいない瞬間がおとずれて、こう心配されたんです。

「え? なんで怒られてたの?」

 珀斗もなぜ怒られたのかはわからないけど、ひとを怒らせなかったことのほうが少なく、必要とされることを願うのもおこがましい身分なので、バイト中に怒られるのは避けられない運命だろうという考察をしたんです。ミックスフライセットにはエビフライとアジフライとホタテフライが勢ぞろいしていました。尋常ではない量のキャベツも添えられていました。で、必要くんが提案しました。

「デスクワークもあるよ」

 やったことはあるけど辞めさせられてしまったと伝えたら「いったい何が」と眉をひそめられたので「今からたくさん話す」とコーンポタージュスープを飲み干しました。

「アツ」

「水分補給は水でしようよ」

「この前、三階建ての一階がパン屋さんな三階の事務所で、男性同士の恋愛(ボーイズラブ)大人の男女の恋愛(ティーンズラブ)をテーマにした女性向けノベルを書いて、同人系のダウンロード販売サイトで売って、その売上情報をのせた記事を有料エッセイとして売るバイトをしていて、だけど壁に寄りかかりながら珀斗を監視しているボスのチョーさんが言うには、珀斗の文章はなにを伝えたいのかわからないし読みやすくないし主人公が相手をいつ好きになったのかを表現できていなくてキュンとこないんだって」

「本当に一気にたくさん話したね」

 嫌みのない素直な感想だと思いました。

「ハンバーグのこと、珀斗はいつの間にか好きだったみたいに、いつの間にか好きでもいいと思うんだけど、どうだろ」

「もちろん。ひとめぼれというものもありますから」

「おいしいそうなものを見ると食べる前からよだれが出ちゃうもん。本当はおいしくなくても、たぶんどこかで似たようなものをおいしいと思ったことがあって先走ってしまう。好きも珀斗のなかではそういう感じ」

「だれかを好きになったことがあるの」

 ふたりともフォークをもったまま動かなくなりました。でもおれはキャベツの下にお宝が埋まっているとにらんで勇気を出しました。

「珀斗は結局、みんなのことが好きなんだよ。みんなは珀斗のことが好きじゃないけど」

 キャベツの下にはポテトサラダが隠れていました。

「だから創作も情報商材も売り物にならないし、これからは健常者ではないひとたちや借りた金を返せていないひとたちにやらせるからってクビにされた」

「それって言うほどデスクワーク……」

「おまえのやっている仕事はクビになんてならないんだろ」

「はい、かわりがいないので」

 必要くんは死がない仕事によって死ぬまで死ぬことがないことを思うと、しがない仕事しかできないおれの一生はせつなくはかないものでした。

 が、こねずみがなかよしのゾウの早死にを願わないように、そのかなしさを彼と分かち合いたくありませんでした。

「いいね、珀斗もかけがえのない人間になれたらよかった」

「必要なんて必要ないです」

「だって必要とされるとき、次の瞬間にも存在していることを望まれているから。必要じゃなくなったら次の瞬間に存在することを望まれなくなって、今までのことがすべて過去形になってしまう」

「だれに必要とされていなくてもぼくたちの人生は水面下で持続していくんでね」

「そうだったらいいな」

 うつむいていたおれの視界にフォークの上にのったハンバーグのひとかけらがやってきました。必要くんは……邪気のない顔で笑っていました。

「遠慮は無用だよ。珀斗さんにわけたくて頼んだんだから」

 おれはハンバーグを口に含みました。できたてではない熱さの、ほのかにあたたかい肉でした。

「どうですか」

「うん……うん…………」

 このように、おいしそうなものがおいしくないとわかる前の、よだれが出ている時間がずっと長く続けばよいのにと思いました。


 広いオフィスにはデスクも明かりもなく窓から見える夜景だけがかがやいて見えました。おれは中央にぽつんと置いてある大きくないスツールに座って髪が毛頭ないワンさんを見上げながら業務説明を聞いて、怒られていました。

「だーかーらー。この国のデータベースは名前のフリガナや生年月日で検索するように設計されてんの。で、ユーザーが新規登録するときにフリガナや生年月日をまちがって入力したとしてこれは悪いことじゃない。表面的にはただのうっかりなんだから。そしてみなが一斉にうっかりしたらどうなる。データが重複してゆく。本来ならひもづけられるべき情報がひもづかなくなる。積み重ならなくなる。増大してゆくんだ。そしておまえの仕事はみながフリガナや生年月日を誤入力するようにビラを配ることだ」

「な、なんでそんなこと」

「たかが生年月日を重大な個人情報みたいに扱われて困っているやつらがこの世にはうじゃうじゃいるんだよ」

 ワンさんはおれの両肩を上からがしっとつかんでゆさぶりました。

「わかるだろ。ひとりの陳情なんてだれも聞き入れやしないのさ。解決したいと思ったら解決すべき問題であることを世界に示さなければならない。これも必要な仕事なんだよ」

 閉ざされていたわけではないオフィスの扉からぬっと入ってくる人影を見つけました。おれがはっとしたのに気づいて振り向いたワンさんは必要くんの気持ちのよいパンチでいきなりぶん殴られて、あごも打ちぬかれて、よくない音を立てて、倒れてしまいました。

「だいじょうぶかい」

 ふるえがとまらないおれを必要くんがふわっと抱きしめました。

「むずかしい仕事をさせられそうだった」

「安心して。珀斗さんはむずかしいことなんてしなくていいんだよ。ぼくといっしょに暮らそう。仕事のない場所で」

 おれは抱ようからすこし離れてその顔を見ました。彼はいつものように余裕のある表情でほほえんでいるようで、くちびるの端がこわばっているようにも見えました。見覚えのある顔でした。

 それはなにかを得るのと引きかえになにかを失うときの、あきらめの入り交じったものでした。

「でもおまえはそこからたびたび離れて、かけがえのない仕事に行くんだ」

「やめました」

 天井をつきぬけて宙まで抱えるように必要くんは大きく両腕を広げました。

「ぼくはもう自由だ」

「おまえ以外にはできない仕事なのに」

「ええ、後任はいないんで。しだいに終わってゆくかと」

「仕事が?」

「この世界がですよ。じきに少しずつほころんでゆく。制御されていたものがあばれだし、一カ所にとどまっていたものが拡散して、収拾がつかなくなる。みんなはもう仲良くなれっこないし、道路は陥没してゆきますよ」

 思ったより大切そうな仕事をしていそうな必要くんをあらためて尊敬のまなざしで見つめました。彼は「もう辞めましたから」と腕をおろしてあたまをかきました。

「そんなに必要とされているのにどうして辞めてしまうんだ」

「ぼくもだれかに必要とされたいんですよ。必要な仕事をしているから必要とされている人間ではなく」

「よくわからない」

「ひとりしかできない仕事をやっている人間がみんなに必要とされているのは仕事を遂行してくれるからであって、要するに全員、実際には必要としていない」

「必要とされている」

 必要くんはたのしそうに、今にも小おどりしそうな調子で、おれのまわりをぐるりと一周だけ歩いて、正面に戻ってきたときに言いました。

「すべての仕事がそうなんだ。仕事の成果が必要とされているだけで、その成果を生み出せる機能が必要とされているだけで、記憶や好みによって形成された人間性が肯定されているわけではない。人格をそぎ落としても成果が出るなら問題ないというとき、いくら重要な仕事をしていようが、その人の生はだれにも肯定されていない」

「かなしいことを言っているのはわかる」

 おれの目に浮かんでいた涙を必要くんは人さし指でなぞって、すくって、口のなかに含みました。

「ちっともかなしくないよ。ぼくたちに本当に必要なものが愛であることを示す途中式だから」

 ふたたび必要くんはおれを抱きしめました。あたたかさのなかで思いました。どうして必要くんはこんな広い街のたくさんあるビルのたくさんある階のたくさんある部屋の一室で怒られているおれを発見して駆けつけてくれたのだろう。だっておれがなぐられたってうつむいていたって泣いていたってだれにも必要くんにも関係がないはずなのに。

 ふいに彼がさきほど言っていたことがなまぬるい風になっておれの背中をさっとなでました。世界でいちばん必要とされるには世界でいちばん必要な仕事をしても意味がない。世界でいちばん必要とされていない人間に必要とされなければならないんだ。

 彼はおれと必要ないもの同士になってくれるんだ!

「いいね、きっとおいしいね」

 外の明かりがぞくぞくと消えて、暗い部屋はさらに暗くなって、りんかくがなくなって、とけて、くっついていることだけをたよりにおれとおまえだけは存在しあって。

 おれを必要としていない世界が、おれを必要としていないことを理由に、終わる。

 もしこれが世界のエピローグだとしたら、たぶん、ここが愛の序章です。 

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