第9話:ノイズ・オーバーロード
防爆扉の鋼鉄が、バーナーの熱でドロドロと溶け落ちる。 火花の向こう側から現れたのは、もはや人間としての輪郭を失いつつあるタカシだった。彼の皮膚は不自然に白く、血管の代わりに光ファイバーが脈打ち、瞳には複数の「更新プログラム」が高速でスクロールしている。
「……九条、理久……そのチップを……こちらへ……。共有……同期……それが……全人類の……救済……」
タカシの背後から、植物化したレジスタンスの面々が、カチカチと歯を鳴らすような異音を立てて雪崩れ込んでくる。
「救済だって? 自分以外の意思をすべて消去して、単一のサーバーに統合されるのがか?」
理久は巨大なアナログ・コンピュータのレバーを握りしめた。 数千本の真空管が、脈打つ心臓のようにオレンジ色の光を放ち、地下室の温度を急速に上昇させていく。
「リリカ、耳を塞げ!! 鼓膜が弾けても知らんぞ!」
「えっ、ちょっと待っ――」
理久がレバーを叩き落とした。
『ゴォオオオオオオオオオオン!!』
地下室を揺らしたのは、音ではなく、純粋な「磁気の咆哮」だった。 巨大な真空管の山から放たれたのは、現代のデジタル波形とは180度異なる、カオスで荒々しいアナログ・ホワイトノイズだ。
デジタル植物は、精密なビット列(0と1)で構成された信号を糧とする。 そこへ、解読不能な「無限のノイズ」を叩き込んだのだ。
「……ア、ガ、ガガガッ!? パケットが……読み取れ……ナイ……エラー……致命的ナ……」
タカシが頭を抱えてのけ反った。彼の目からスクロールしていたデータが、砂嵐のようなノイズへと変わる。 周囲の人樹たちも、まるで脳内に直接大量の砂を流し込まれたかのように、デタラメな動きをして壁に激突し始めた。
「デジタルは効率を求めるあまり、ノイズへの耐性を捨てた。……だが、俺たちのアナログは、最初からこの泥臭いノイズと共に生きてきたんだよ!」
理久はさらに軍用チップをスロットに差し込む。 チップから読み出された「解毒剤」が、アナログ波形に特殊な歪みを加えた。 その瞬間、タカシの体に異変が起きる。 肌に食い込んでいた光ファイバーが、まるで「拒絶反応」を起こしたように剥がれ落ち、内部の樹液が激しく噴き出した。
「グアァアアアア!! 『個』が……戻って……クル……!? ヤメロ、暗闇は……ゴメンだ!!」
タカシの瞳に、一瞬だけ「恐怖した人間の目」が戻る。 だが、ノイズの出力が限界を超えた。 アナログ・コンピュータの真空管が次々と破裂し、地下室に火花が散る。
「逃げるぞ、リリカ! この出力は長く持たない!」
「う、うん! あの人たち、どうなるの!?」
「知らない! だが、強制的にネットワークから切り離された(オフラインにされた)はずだ。あとは自分の力で踏ん張るしかねえ!」
理久は気絶したタカシたちの間をすり抜け、防爆扉の向こう側――秋葉原のさらに深部、誰も知らない旧式の貨物用エレベーターへと駆け込んだ。
背後で、アナログ・コンピュータが最期を告げるような大爆発を起こし、地下室は再び沈黙と闇に包まれた。
***
数分後。 エレベーターを降りた二人の前に広がっていたのは、緑に飲み込まれた地上ではなく、埃を被った大量の「段ボール箱」の山だった。
「……ここは? 倉庫?」
「ああ。旧・ラジオ会館の地下三階、デッドストックの集積場だ。リリカ、希望を持て。ここにあるのは最新のスマホじゃない」
理久は一つの箱を力任せに開けた。 中から出てきたのは、数十台の**『ポータブル・トランシーバー』**。 それも、デジタル化される以前の、完全にアナログ回路だけで組まれた軍用モデルだ。
「これなら、スカイツリーの干渉を受けずに通信ができる。……俺たちの、本当の『反撃』の始まりだ」
理久は溶けたガラケーから抜き出した軍用チップを、新しいトランシーバーの回路に組み込み始めた。 その時、リリカが不意に自分の腕を見つめて呟いた。
「ねえ、りくさん。さっきのノイズの時……私だけ、全然平気だったんだけど。これって……変かな?」
理久の指が止まる。 リリカの腕。そこには、人樹の兆候である光ファイバーの侵食など一切なく、ただ健康的な肌があるだけだった。
(第9話 完)




