第8話:アキバの深淵、鋼鉄の聖域
「……はぁ、はぁ、もう無理……脚が……溶ける……」 秋葉原の地下に張り巡らされた狭窄な通気ダクト。リリカが這いつくばりながら泣き言を漏らす。 背後からは、タカシの部下たちがダクトの鉄板を叩きながら追いかけてくる音が反響していた。 「泣くなリリカ、脚が溶ける前に脳みそがアップデートされるぞ。……ここだ、降りるぞ!」
理久はダクトの突き当たりにある古いボルトをレンチで弾き飛ばした。 二人は暗闇の中へ、数メートル落下する。 ――ズシン、という重厚な感触。 着地したのは、アスファルトでもコンクリートでもなかった。 鈍い光沢を放つ、分厚い「鉛」の床だ。
「……え、ここ、どこ? アキバの地下にこんな場所あったっけ?」 リリカが懐中電灯(単三電池二本のアナログ仕様)で辺りを照らす。 そこは、かつて冷戦時代に計画されたといわれる極秘の「通信防空壕」跡だった。 周囲の壁面はすべて、最新の光ファイバーを拒絶するかのような、無骨な同軸ケーブルと真空管式の交換機で埋め尽くされている。 驚くべきは、その「清浄さ」だった。 地上ではあれほど猛威を振るっていたデジタル植物の蔦が、一本も侵入していない。
「……完璧だ。放射線遮蔽用の鉛壁が、スカイツリーからの電磁波(養分)を完全にシャットアウトしてる。ここは植物にとっての『不毛の地』だ」
理久は壁に設置された巨大なダイヤル式のスイッチを回した。 『ガコンッ!』 重厚な機械音が響き、頭上の裸電球がオレンジ色の温かい光を放つ。 デジタル的な制御を一切介さない、完全な物理スイッチによる回路開通だ。
「生き返ったな……。リリカ、ここで少し態勢を立て直す」 理久は作業台の上に、融解したガラケーの残骸を置いた。 表面のプラスチックはドロドロに溶けているが、彼はピンセットで慎重に内部の「基板」を剥がしにかかる。
「ねえ、りくさん。そんなボロ、もう直らないでしょ? スマホならタカシさんたちのところに行けば、いくらでも……」
「リリカ。タカシたちが持っているのは『つながるための道具』だ。だが俺が持っているこいつは……」 理久が焼き付いた基板の深層を剥ぎ取ると、そこから特殊な銀色のチップが現れた。 『Military Grade - Non-volatile Memory』の刻印。
「『つなげないための鍵』なんだよ」
その時、防空壕の入り口にあたる厚さ五十センチの防爆扉が、激しく揺れた。 ゴンッ、ゴンッ! タカシたちが追いついたのだ。扉の向こう側で、バーナーで鋼鉄を焼き切る嫌な音が聞こえ始める。
「理久くん! そこにいるのはわかっている。そのチップをこちらに渡しなさい! それがあれば、我々のネットワークは『完全』になるんだ!」 扉の向こうのタカシの声は、もはや人間のそれではなく、複数の合成音声が重なったような不気味な響きを帯びていた。
「完全? 笑わせるな。お前らの言う『完全』は、ただの『全消去』だろ」 理久は作業台の奥にある、巨大な「何か」を睨んだ。 それは、この防空壕の中央に鎮座する、真空管を数千本並べた巨大な演算機だった。 ENIACの末裔――超巨大アナログ・コンピュータ。 「クロック源(心臓)なら、ここにある。リリカ、ハンダごてを持ってろ。今から、この化石を叩き起こして、秋葉原中に『解毒剤』をバラ撒いてやる」
理久の指が、アナログの鍵盤の上を踊る。 鋼鉄の聖域で、失われた時代の科学が、デジタル・アポカリプスへの反撃を開始した。
(第8話 完)




