第3話:承認欲求ゾンビと閃光の科学
東京・神田。 かつて世界最大級の古書店街と呼ばれたこの街は、今や文字通りの「紙の森」となっていた。 古書店の在庫が湿気を吸って膨張し、それを苗床にカビや苔が繁殖。雪崩のように崩れた本の山が、道路を塞ぐバリケードとなっている。
「知識の墓場ってか。紙媒体も保存状態が悪けりゃこうなるわな」
俺、九条理久は、湿った紙の臭いに鼻を覆いながら慎重に進んでいた。 大手町から神田へ。目指す秋葉原まではあと少し。 だが、このエリアは視界が悪い。本のバリケードの陰から、いつ『人樹』が飛び出してきてもおかしくない。
その時だ。 静寂な森に、場違いな少女の叫び声が響いた。
「なんでよぉおお! なんで圏外なの!? ここ東京のど真ん中だよ!?」
俺は思わず耳を疑った。 断末魔の悲鳴ではない。あからさまに不満タラタラの、甘ったれた声。 俺は本の山に身を隠し、声の方向を覗き見る。
そこにいたのは、女子高生だった。 ピンク髪のインナーカラー、制服を着崩し、ルーズソックス(リバイバル流行中らしいが俺には理解不能だ)。 彼女は、コンビニの屋根によじ登り、必死にスマホを天にかざしていた。
「ねえ見てみんな! 東京ヤバいことになってるんだけど! これ絶対バズるやつじゃん! ……って、送信できないし! 電波ゴミすぎ!」
……バカだ。 正真正銘の、混ぜ物なしのバカだ。 世界が滅びかけているのに、彼女の心配事は「バズるかどうか」らしい。
「おい、やめろ! 電源を切れ!」
俺は隠れるのをやめて叫んだ。 彼女がスマホを振るたびに、画面が明るく点滅している。あれは暗闇で発煙筒を焚いているのと同じだ。
「え? 誰? てか人いたんだ! ねえお兄さん、どこのキャリア使ってる? Wi-Fi持ってない?」 「いいからその板切れを捨てろ! 死にたいのか!」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、彼女の背後の街路樹――いや、樹木と同化した街灯が、ギチギチと音を立てて動き出した。 枝に擬態していた蔦が、鎌首をもたげる蛇のように彼女の背後へ迫る。 先端には、鋭利な棘。
『ピ……ガ……、ツナガリ……タイ……』
人樹が、壊れたスピーカーのような声で呻いた。 スマホの電波に反応し、休眠状態から起動したのだ。
「ひっ!? な、なにこれキモッ!」
少女が悲鳴を上げ、スマホのフラッシュライトをパシパシと点滅させて抵抗しようとする。 逆効果だ。光の刺激が人樹の捕食本能を加速させる。 巨大な蔦が、彼女の華奢な首を狙って射出された。
「クソッ、間に合わねえか……!」
俺は走る速度を緩めず、カバンのサイドポケットに手を突っ込んだ。 取り出したのは、神田へ来る途中の廃業したカメラ屋で失敬した**『レンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)』**だ。
「おいピンク髪! 目をつぶって伏せろ!」 「はあ!? ピンク髪じゃなくてリリカだし!」 「いいから伏せろ!」
俺は使い捨てカメラを分解し、剥き出しになった基板を構えた。 ターゲットは人樹の「目」に当たる部分。光センサーの集合体だ。 俺の指が、基板上のコンデンサ(蓄電器)の端子を、ドライバーでショートさせる。
科学講座の時間だ。 使い捨てカメラのフラッシュ回路には、単三電池一本の電圧を三百ボルト近くまで昇圧して溜め込むコンデンサがある。 こいつを一気に放電させれば――
バチイイイイイイッ!!
雷鳴のような炸裂音と共に、強烈な青白い閃光が迸った。 ただのフラッシュではない。リミッターを外した直接放電だ。
「ギャアアアアアアア!?」
人樹がのけ反った。 過剰な光入力により、視覚センサーが焼き切れたのだ。 奴は平衡感覚を失い、デタラメに暴れながら、自分自身の根に絡まって盛大に転倒した。
「今だ! 走れ!」
俺は屋根から飛び降りようとする少女――リリカを受け止め(重かったが文句は言わない)、そのまま脇に抱えて路地裏へと滑り込んだ。 背後で、視界を奪われた人樹が周囲の建物に八つ当たりして暴れる音が響く。
***
十分後。とある雑居ビルの三階。 俺たちは息を整えていた。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……。てか、お兄さん何者? 今のビカッてやつ何? 魔法?」
リリカはへたり込みながらも、まだスマホを握りしめている。執念だ。 俺はため息をつき、彼女の手からスマホをひったくった。
「魔法じゃない。科学だ。高電圧コンデンサによる放電攻撃。……それより、こいつだ」
俺は彼女の目の前で、スマホの電源を強制的に切り、さらにSIMカードトレイをクリップでこじ開けて引き抜いた。
「ああっ! 私の命! フォロワー五十万人の垢が!」 「命はお前自身だろ。いいか、よく聞け」
俺は彼女の目を見て、説教モードに入る。 状況を理解していない「一般ユーザー」に、仕様を叩き込むのはエンジニアの義務だ。
「あの植物どもは、電波と光に反応する。お前が『つながろう』とすればするほど、あいつらは寄ってくる。この世界で『オンライン』になるってのは、『私を食べてください』って看板を首から下げるのと同じだ」 「……え、マジ?」 「大マジだ。さっきの化け物、お前のスマホのバックライトに反応してただろ」
リリカは青ざめ、自分の手(スマホを握っていた形に固まっている)を見つめた。 ようやく事態の深刻さがインストールされたらしい。
「じゃあ……もう、一生インスタ見れないってこと? 推しの配信も? DMも?」 「人類が絶滅しなければ、そのうち復旧するかもな。だが今は、生き残るのが先だ」
俺はSIMカードを抜き取ったスマホを彼女に返した。 通信機能さえ物理的に殺せば、ただの「板」だ。まあ、カメラやメモ帳としては使えるだろう。懐中電灯代わりにするのは自殺行為だが。
「私は七瀬リリカ。高校二年生。一応、インフルエンサーやってる」 「俺は九条理久。ジャンク屋だ」
リリカは少し考えてから、ニカっと笑った。 その笑顔は、絶望的な状況には不釣り合いなほど明るかった。
「りくさんね! OK! 私、体力ないし虫とか無理だけど、りくさんに付いてけば死ななそうだし! 契約成立ってことで!」 「契約? 俺にお前のメリットはあるのか?」 「あるよ! 私、カワイイし!」 「……却下だ」 「えーっ!? ひどっ! じゃあ、これあげる!」
リリカはポケットから何かを取り出した。 それは、小さなモバイルバッテリーだった。 しかも、ソーラーパネル付きの高級品だ。
「これ、PR案件でもらったやつなんだけど、重いから捨てようと思ってて。りくさん、機械イジれるんでしょ? これ使える?」
俺の目が輝いた。 エンジニアにとって、電力は何よりの宝だ。 俺のガラケーのバッテリーは有限。だが、ソーラー充電器があれば話は別だ。 こいつは使える。バカだが、資源を持っていた。
「……交渉成立だ。ただし、俺の指示には従え。勝手に電波を出したら置いていく」 「ラジャー! よろしくね、プロデューサー!」 「プロデューサーじゃねえよ」
こうして、理屈屋のエンジニアと、承認欲求モンスターの女子高生。 最悪に相性が悪そうなパーティが結成された。
目指すは聖地・秋葉原。 そこには、俺たちの未来を変える「最強のガラクタ」が待っているはずだ。
(第3話 完)




