第2話:コンクリート・ジャングル(物理)
『ギャガ、ガガ……、プツン』
マイナスドライバーを突き立てられたスマホが、断末魔のようなノイズを吐いて沈黙した。 その瞬間、襲いかかろうとしていた「元・中年サラリーマン」の樹木の動きが停止する。 まるで電源ケーブルを引き抜かれた家電製品のように、枝と化した腕がダラリと垂れ下がり、緑色に発光していた血管の輝きが失われていく。
「……やっぱりな。ハードウェア依存かよ」
俺はドライバーを引き抜いた。 先端には、青緑色の粘液――樹液と液晶漏れが混ざったような液体が付着している。 目の前の『人樹』は、急速に枯れ果て、炭のようにボロボロと崩れ落ちた。後には、ひび割れたスマホと、衣服の残骸だけが残る。
「おいおい、死体も残らねえのか。データ削除済みってことか? エコすぎて涙が出るぜ」
俺は額の冷や汗を袖で拭った。 軽口でも叩いていないと、足が震え出しそうだったからだ。 周囲を見渡す。車内は地獄絵図だ。 完全に樹木と化した乗客たちが、車両の天井や壁を突き破り、ジャングルのように鬱蒼と茂っている。 幸いなことに、他の連中は完全に根を張ることに忙しいらしく、動ける個体はもういないようだった。
「さて、と。現状分析(ログ解析)だ」
俺は崩れ落ちたサラリーマンの遺留品から、まだ無事な革靴を片方拝借し、自分のスニーカーの紐を締め直した。
仮説1:弱点はスマホ(コア)。 人樹の本体は人間ではなく、暴走したスマホの方だ。人間はあくまでバッテリー兼、拡張パーツに過ぎない。 仮説2:感染源は画面からの光、あるいは通知音による催眠的誘導? 詳細は不明だが、俺のようなガラケー持ちや、スマホを見ていなかった少数は即座には発症していない。もっとも、パニックで逃げ惑う最中に捕食された奴も多いだろうが。
「まずはここを出る。地下にいたら生き埋めだ」
俺は車両の連結部へ向かうが、扉はひしゃげて開かない。 非常用ドアコック? いや、植物のツルが絡まってレバーが動かない。 普通の人間ならここで絶望して泣き叫ぶところだ。 だが、俺はエンジニアだ。正規の手順がダメなら、裏技を使えばいい。
俺はカバンを開け、愛用の工具セットを取り出した。 高出力のハンディバーナーと、冷却スプレー。
「金属疲労って知ってるか? 植物のおっさんたち」
俺は扉の蝶番部分にバーナーの青白い炎を当て、赤熱するまで熱した。 十分の一ミリ単位まで熱膨張したところで、即座に冷却スプレーを噴射する。 ジューッ! という激しい音と共に大量の白煙が昇る。
パキィン!
急激な温度変化に耐えきれず、鋼鉄のヒンジが悲鳴を上げて砕けた。 あとはバール代わりの大型モンキーレンチを隙間にねじ込み、テコの原理でこじ開けるだけだ。 ギギ、ガコンッ。 重たい扉が外れ、暗闇のトンネルから生暖かい風が吹き込んできた。
「開門。セキュリティが甘いな、東京メトロ」
俺はカバンを背負い直し、線路へと降り立った。
***
地下鉄のトンネル内は、不気味なほど明るかった。 壁面に張り巡らされたケーブル類を苗床に、発光する苔やキノコのような植物がびっしりと繁殖しているからだ。 それらはドクドクと脈打ち、まるで巨大な生物の腸内を歩いているような気分にさせる。
「光ファイバーのケーブルを根っこが侵食してるのか……。通信インフラごと養分にしてやがる」
俺は改造ガラケーの画面を確認した。 『圏外』。当然だ。 だが、ワンセグの電波だけは、微弱だが拾っていた。砂嵐混じりの画面に、辛うじてテロップが流れている。
『緊急……政府は……直ちにスマホを捨て……』 『……植物は……電波を……』
そこで音声が途切れた。 電波。 俺は足を止めた。 前方の暗闇に、複数の赤い光が揺らめいている。 目を凝らすと、それは線路の上を徘徊する『人樹』の群れだった。駅員や逃げ遅れた乗客の成れの果てだ。頭部に咲いた花の中央で、真っ赤な通知ランプが点滅している。
奴らは、ゆらゆらと頼りなく彷徨っていたが、一匹がふと顔を上げた。 その視線は、正確に俺を――いや、俺の腰にある「ガラケー」を捉えていた。
「……なるほど。そういうロジックか」
俺は即座にガラケーの電源を切り、バッテリーパックを引き抜いた。 完全に通電を断つ。 すると、奴らは興味を失ったように、またふらふらと別の方向へ歩き出した。
事実4:奴らは「稼働している電子機器」または「電波」を探知する。 Wi-Fi、Bluetooth、4G/5G。それらの信号を出すモノは、即座に捕食対象と見なされる。 つまり今の地球において、スマホを持つことは、暗闇で松明を掲げて「ここにおいしい肉がありますよ」と宣伝するのと同じ自殺行為だ。
「皮肉なもんだな。最新のiPhoneより、通話機能しかないジャンク品のガラケーの方が生存率が高いとは」
俺は息を潜め、アナログな静寂で奴らの横をすり抜けた。 心拍数が上がる。足元の砂利が鳴る音さえ爆音に聞こえる。 だが、奴らは反応しない。 俺という生身の人間(データのない肉塊)には興味がないらしい。 これは使える。俺の持つ知識が、この世界では最強の武器になる確信があった。
***
三十分ほど歩いただろうか。 ようやく地上の光が見えた。大手町の駅出口だ。 エスカレーターは巨大な蔦に覆われ、滑り台のようになっていた。俺はそれを慎重に登り、地上への一歩を踏み出す。
「……ははっ。マジかよ」
地上に出た瞬間、俺の口から乾いた笑いが漏れた。
そこは、俺の知っているビジネス街・大手町ではなかった。 **『コンクリート・ジャングル』**とはよく言ったものだが、目の前の光景は、その言葉を物理的に再現しすぎていた。
高層ビル群は、すべて天を衝くような巨木に変わっていた。 コンクリートの外壁を突き破り、鉄骨を枝に変え、ガラス張りの窓からは無数の緑が溢れ出している。 道路はめくれ上がり、アスファルトの隙間からシダ植物が生い茂る。 信号機には極彩色の花が咲き、放置された車は苔に覆われて小さな丘になっていた。 たった数十分。 通勤している間に、東京は数千年分の時を経たかのような「原生林」へと強制アップデートされていたのだ。
「西暦二〇二X年、東京砂漠……ならぬ、東京樹海へようこそってか」
遠くに見える東京スカイツリーは、その名の通り、雲を突き抜けるほどの「世界樹」と化していた。 あれが親機か? あそこから世界中に、このふざけた植物データを配信していやがるのか?
俺は視線を戻し、近くのコンビニ――だった廃墟に目を向けた。 看板は『Fami……』まで読めるが、あとは蔦に飲まれている。 腹が減った。これからのサバイバルには食料と水、そして拠点が必要だ。
「よし、クエスト開始だ。まずは物資の確保。それから……」
俺はポケットから、電源を切ったガラケーを取り出し、愛おしそうに撫でた。 このふざけた世界で生き残るための方針は決まった。
「俺の聖地を目指す」
あそこには、俺の店がある。 旧時代のパーツ、真空管、無線機、そして何より――電波を発しない、最強のアナログ兵器の素材が山ほど眠っている。 このデジタル汚染された世界で、俺だけが扱える「科学」のガラクタたち。
俺は大手町の森を、北東へ向かって歩き出した。 背後で、ビル風に揺れる木々が、ザワザワと嘲笑うように鳴っていた。
(第2話 完)




