第14話:揺り籠のノイズ
隅田川を越え、スカイツリーが空を刺す巨槍のように目前に迫る墨田区・押上。 酸性樹液で真鍮のパイプを無惨に腐食させた蒸気バイクは、断続的な蒸気漏れを起こし、「ヒュー、ヒュー」と虫の息のような音を立てていた。
「ここまでだ。……よく持ってくれたな、相棒」
理久がバイクを止めると、そこはかつての隅田公園だった。しかし、桜の木々はすべて銀色の蔦に飲み込まれ、頭上には異様な光景が広がっていた。 巨大な木の枝から、乳白色の半透明な**『繭』**が、果実のように無数に吊り下がっている。
「……ねえ、りくさん。あれ、動いてる。それに、なんか変な音がする……」
リリカが耳を澄ませる。 シィィィ……ピポパ……。 それは風の音ではない。かつてのダイアルアップ接続を彷彿とさせる、不規則で不気味な**「データ通信音」**だった。 繭の表面をよく見ると、微細なLEDのような光が点滅し、内部に閉じ込められた「影」と同期している。
「……バックアップだ。親父の言っていたことは本当だったらしいな」
理久は手近な繭に近づき、その表面を拭った。 中にいたのは、意識を失った一人の男だった。彼のこめかみには光ファイバーの根が直結され、脳内の記憶やニューロンのパターンが、スカイツリーという巨大サーバーへ向けて「アップロード」され続けている。
「……『人類を救済する』。タカシが言っていた言葉の末路がこれか。肉体をハードウェアから切り離し、純粋なデータとして世界樹の中に保存する。文字通りのデジタル・アーカイブだ」
「そんなのひどいよ! 勝手にバックアップなんて……これじゃ、ただの標本じゃん!」
リリカが怒りに震え、繭の一つを叩いた。 その瞬間、周囲の繭が一斉に赤く発光した。通信音が不快な高音へと変わり、公園全体の「湿度」が急上昇する。
「まずい、リセット反応だ! リリカ、離れろ!」
地中から、光ファイバーを編み込んだ鋭利な「触手」が槍のように噴き出した。 理久はリリカを突き飛ばし、自らはバールで応戦するが、物理的な攻撃ではラチがあかない。触手は切断されても、即座にデジタル的に自己修復を繰り返す。
「チッ、再構築速度が速すぎる! ならば――」
理久はバイクのスロットから、まだ熱を帯びた軍用チップを引き抜いた。 そして、手元にあったアナログ・トランシーバーのスピーカー部分にチップを強引に接触させ、ボリュームを最大までノブをひねる。
「リリカ! 歌え! 何でもいい、お前の声をノイズに乗せろ!」
「えっ、歌!? こんな時に!? 無理だよ、私歌下手だし!」
「音程なんてどうでもいい! 奴らにとって『不規則な生音』こそが、一番のシステムエラーだ! お前の不適合な声で、ここの通信帯域をパンクさせてやれ!」
リリカは意を決した。彼女は元・インフルエンサーだ。人前で声を出すことだけは、誰よりも慣れている。
「……あーあー! マイクテスッ、マイクテスッ! みんなおはリリカ~! 今日は世界樹の麓から地獄のライブ配信しちゃうよー!!」
彼女が叫ぶ。その声は、軍用チップのフィルタを通し、強烈な「不協和音」となって公園中に響き渡った。 デジタルの極致である繭のシステムにとって、人間特有の「揺らぎ」に満ちた生声は、予測不能な有害パケットそのものだった。
『ギャリリリリリリッ!!!』
赤く光っていた繭が、ショートを起こしたように明滅を繰り返し、次々と機能を停止していく。 リリカの「声」が、デジタル植物の論理を物理的に破壊し始めたのだ。
「……いける。リリカ、そのまま続けろ!」
理久はその隙に、スカイツリーの根元に設けられた、物理的な「メンテナンス用ハッチ」へと走り寄る。 だが、そのハッチの前に、一人の影が立ち塞がった。
白い顔。光ファイバーの蔦をマントのように羽織った男。 浅草でノイズに焼かれ、脱落したはずのタカシだった。
「……九条……理久……。やはり、君は……最高の……バグだ。削除……しなければ……ならない……」
タカシの右腕は、すでに巨大な「光ファイバーの剣」へと変異していた。 理久はバールを構え、かつての友であり、今はシステムの奴隷となった男を睨みつけた。
(第14話 完)




