第10話:パルス・オブ・ファミリー
旧ラジオ会館、地下三階。埃を被ったデッドストックの山の中で、理久の指先は震えていた。 ミリタリースペックのアナログ・トランシーバー。軍用チップを介し、独自の「歪み」を加えた周波数に合わせたその瞬間、スピーカーから溢れ出したのは、ただの砂嵐ではなかった。
『……リ……ク……。九条……理久……聞こえるか……。応答……しろ……』
ノイズの向こう側、幾重にも重なった電磁的断層を突き抜けてきたのは、三年前の「大停電」の夜に消息を絶ったはずの父、九条大介の声だった。
「……親父? そんな、バカな。親父はあの日、ラボの爆発に巻き込まれて――」
「りくさん? 誰か話してるの?」 リリカが不安げに覗き込む。彼女には、ただの雑音にしか聞こえていないようだった。理久は慌ててボリュームを絞り、送信ボタン(PTT)を叩き込む。
「こちら九条理久! 親父なのか!? 今どこにいる! この植物の正体は何なんだ!」
『……時間は……ない……。リク、お前が持っている……チップ……。それは……私が……遺した……OSの……断片だ……』
声は遠く、断続的だ。まるで過去から届いているかのような、時間的なズレさえ感じる。
『……植物は……データ……そのものだ……。人類を……バックアップ……しようとしている……。……スカイツリーへ……行け……。そこに……マザー・ボードが……』
「待てよ親父! バックアップってどういう意味だ! スカイツリーは今や植物の心臓部だぞ、生身で近づけるわけが――」
『ザザッ……ピィィィィィィィ!』
突如、激しいハウリングがトランシーバーを襲い、通信が途絶した。 それと同時に、倉庫の天井にある換気扇が、猛烈な勢いで逆回転を始める。
「りくさん、上! なんか来てる!!」
リリカの悲鳴と共に、換気口から「黒い霧」のようなものが噴き出した。 それは植物の根ではない。ミクロン単位の超小型飛行植物――**『空中浮遊型ナノ・胞子』**だ。 奴らは空気に乗って侵入し、呼吸と共に人間の脳へ直接「同期」を仕掛ける。
「クソッ、親父との通信を感知されたか! リリカ、防塵マスクをしろ! ……あ」
理久は気づく。自分はマスクを装着したが、リリカは逃走の途中で装備を失っていた。 黒い胞子の霧が、無防備なリリカを包み込む。
「リリカ!!」
理久は彼女を突き飛ばそうとしたが、間に合わない。 だが、リリカは胞子の霧の中で、あくびをしながら目をこすっていた。
「……ん? なんか煙たいけど、これ、ただの埃じゃないの?」
彼女の肺に、確実に胞子は吸い込まれている。普通なら一秒で脳が植物ネットワークに上書きされ、人樹化が始まるはずの濃度だ。 しかし、リリカの瞳には「同期中」の光も、虚ろな陶酔も現れない。
「……間違いない。こいつ、**『デジタルの受容体』**が欠落してやがる」
理久は戦慄した。 進化か、あるいは退化か。現代の高度な情報社会に適応しすぎていない彼女の脳は、植物側から見れば「非対応」な旧式ハードウェアなのだ。
「りくさん、それよりあそこ! お父さんの言ってたこと、マジかも!」
リリカが指差したトランシーバーのインジケーター。 親父の通信が途絶えた瞬間、そこには一つの「座標」が刻まれていた。 墨田区、押上。 世界樹と化したスカイツリーの真下。
「……バックアップ、か。人類をデータ化して保存しようなんて、ふざけた親切心だな」
理久は軍用チップを握りしめた。 親父が生きているかもしれない。そして、この「全人類強制アップデート」を停止させるコード(解毒剤)がそこにある。
「リリカ、行くぞ。次は地下迷路じゃない。……樹の上だ」
「えぇーっ!? 私、高いところ苦手なんだけど! スカイツリーとか、デートで行く場所でしょ普通!?」
「これはデートじゃない。世界最悪のバグを取り除く、緊急メンテナンスだ」
二人は倉庫を飛び出し、夜の闇に包まれた秋葉原の地上へと駆け出した。 遠く、スカイツリーの先端が、まるで何かの「送信準備」を始めるかのように、怪しく紫色に輝き始めていた。
(第10話 完)




