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『デジタルデトックス・オンライン 〜SNS依存の皆様、強制的に「土」へ還っていただきます〜』  作者: 比呂石 凪


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第1話:通知音は絶滅のファンファーレ

西暦二〇二X年、東京。  人類は核兵器でも、ウイルスでも、ましてや宇宙人の侵略でもなく――たった一通の「通知」によって滅びかけた。


 午前八時十二分。都内某所、地下鉄東西線、通勤ラッシュ。  車内は、死んだように静かだった。  酸素濃度よりも二酸化炭素濃度の方が高いんじゃないかと思えるほどの寿司詰め状態。だが、誰も口を開かない。全員が首を四十五度下に傾け、掌の中にある小さな長方形の発光体――スマートフォンを崇めている。  青白い光が、生気のないサラリーマンや学生の顔を照らしている。まるで死人の顔合わせだ。


「……狂ってやがる」


 車内の隅、連結部のドアに背中を預けていた俺――**九条くじょう理久りく**は、あくびを噛み殺しながら独りごちた。  俺の耳には、化石のような有線イヤホン。ポケットに入っているのはスマホではない。十年前に生産終了した音楽プレイヤーと、自身で改造した通話専用のガラケー(通信機能は物理的に切断済み)だ。


 俺は「ジャンク屋」だ。  秋葉原の路地裏で、壊れた基板や過去の遺物を修理して売りさばく、時代遅れのエンジニア。  クラウド? IoT? クソ食らえだ。俺は自分の手で触れて、構造が理解できるモノしか信用しない。  だから、この異変に気付けたのは、この車両で俺一人だった。


 異変は、音から始まった。


 『ピロリン』


 誰かのLINE通知音ではない。  『ブブブッ、ブブブッ』  バイブレーションの振動音でもない。


 『キィイイイイイイイイイイ――ン!!』


 それは、ガラスを爪で引っ掻いた音を数万倍に増幅し、そこにソプラノ歌手の断末魔をリミックスしたような、脳髄を直接レイプする不協和音だった。


「ぐ、あ……ッ!?」


 俺は反射的に有線イヤホンを耳の奥へ押し込んだ。アナログな遮音性が鼓膜を守る。  だが、周囲の連中は違った。  全員が一斉に、ビクンッ! と魚のように跳ねたのだ。


「な、なんだ今の音……」 「私のスマホ、画面が消えない……っ!」 「おい、なんか熱いぞこれ! 熱いッ!」


 静寂は一瞬で崩壊した。  全員がスマホを見つめている。いや、見つめざるを得ないようだった。画面が、異常な光量で発光している。  その光は、通常のバックライトではない。毒々しい紫と、血管のような脈動を伴う緑色。


「おい、離せ! スマホを捨てろ!」


 俺は叫んだ。エンジニアの勘が警鐘を鳴らしている。あれはバッテリーの発熱じゃない。エネルギーの逆流だ。  だが、遅かった。


 目の前にいたOLの悲鳴が、車内を切り裂く。


「いやぁああ! 指が、指がぁあああ!」


 彼女の指先が、スマホの画面に沈んでいた。  いや、融合している。  液晶ガラスの表面から、細い「根」のようなものが無数に伸び、彼女の滑らかな指の皮膚を突き破り、肉の中へと侵入していたのだ。  血管を、神経を、骨を、デジタル信号のような幾何学模様の根が侵食していく。


「あ、あが、ギ、ギギ……」


 隣の男子高校生は、もっと悲惨だった。  スマホを顔に近づけて動画を見ていたのだろう。  彼の眼球から、花が咲いていた。  文字通りの花だ。眼窩から溢れ出したのは血液ではなく、青白く発光する樹液。視神経を苗床にして、金属光沢を放つ美しい大輪の花が、ボコォッと開花したのだ。


 パンッ。  パパンッ、メキメキメキ……。


 連鎖は止まらない。  車内の至る所で、乾いた破裂音が響く。それは人体が内側から植物に突き破られる音だ。  スマホを持っていた手は樹皮に覆われ、腕は太い枝となり、叫ぼうとした口からは葉が溢れ出す。  衣服が裂け、人間という有機物が、急速に「植物」へと置換されていく。


「嘘だろ……、B級パニック映画の撮影かよ……!」


 俺は咄嗟に持っていたカバン(中身は修理用のハンダごてやドライバー等の工具類)を盾にした。  目の前で、さっきまでくたびれた顔をしていたサラリーマンが、急速に成長する「樹木」へと変わり果てていく。彼のスマホには、こんな通知が表示されていた。


 【システム警告:同期率100%。これより、あなたの身体を『自然』へ還付します】


「ふざけんな! 強制アップデートにも程があるだろ!」


 俺は悪態をつきながら、周囲を観察する。  思考を止めるな。パニックになるな。状況を分解デバッグしろ。    事実1:スマホを持っている人間が発症している。  事実2:物理的な接触、あるいは至近距離での画面凝視がトリガーだ。  事実3:あの植物は、人間の生体エネルギーを養分に、デジタルデータを設計図として成長している。


 つまり、今のこの車両は、人間を苗床にした巨大なプランターだ。


「ガァ……ア……」


 樹木化した人間――いや、**『人樹インジュ』**たちが、ゆらりと動いた。  完全に植物になったわけじゃない。脳の機能の一部は残っているのか、あるいは植物としての防衛本能か。  彼らは、まだ「人間」である俺の方へ、枝と化した腕を向けてきた。  その枝先には、鋭利な棘が生えている。


未接続オフラインユーザーは排除対象ってか? 最近のアプリは排他的すぎて嫌になるぜ」


 逃げ場はない。  電車は走行中。前も後ろも人樹で埋め尽くされている。  俺の手元にあるのは、重たい工具カバンと、何の通信機能もない改造ガラケー。そして、一本のマイナスドライバー。


 絶体絶命?  いや、そうでもない。


「……よく見りゃ、お前ら、隙だらけだぞ」


 俺はニヤリと笑った。  恐怖で震えそうな膝を、好奇心がねじ伏せる。  目の前の人樹の胸元。ワイシャツが破れたその奥に、融合したスマホが埋め込まれているのが見えた。  そこが心臓部コア。植物にとっての球根。  そして、あいつらの動きは鈍い。急激な進化に肉体ハードウェアが追いついていない証拠だ。


「悪いが、俺はまだ土に還るつもりはない。積みゲーも残ってるし、来週発売の限定パーツも予約してあるんだよ」


 俺はドライバーを逆手に持ち、構える。  足元の床が、植物の根によって突き破られ、電車が激しく揺れた。  金属と植物が軋む轟音の中、俺は一番近くにいた「元・中年サラリーマン」だった樹木へ向かって、地を蹴った。


 デジタルに汚染された森で、最後のアナログ人間による、生存競争ログインが始まる。


「さあ、剪定デバッグの時間だ」


 ドライバーの先端が、光るスマホの画面を粉砕した。


(第1話 完)

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