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第八局 訓練開始

 早鳥翼変態発覚事件から数日後、悠と丈は職員室で翼に入部届を提出していた。翼はそれからは変態行為をすることもなく、何事もなかったかのように落ち着いていた。


 「永澤悠君と、吉野丈君ね。はい、了解です。ようこそチェス部へ」

 翼が軽く微笑むと、近くの机の女性教師が頬を赤らめていた。全く、チェスの才能に加えて美貌もあるだなんて、天は二物を与えちゃったか。どこかにいるであろう、自分に与えられるはずの才能を翼に掠め取られた可哀想な誰かに思いを馳せる。


 それにしても、チェス部に正式に入部し、晴れて本格的にチェスを始めることができる。しかも、FIDEマスターの指導つき!くぅうううう!悠は心の中でガッツポーズをする。


 「あ、永澤君だけちょっといいかな」

 「・・・・・・は、はい」


 「じゃあ悠、校門のとこで待ってるわ」

 「ありがとう、丈ちゃん」


 丈はなぜ悠がこれほどまでにチェスに執念を持っているのか、なんとなく察しているのだろう。でも、はっきり言わないところが、相棒のいいところだ。


 丈はチェスが好きだが、小学校のときの将棋ブームに逆張りをしてチェスを始めた丈には、そこまで必死にやる理由もない。彼も悠がいなければ、サッカー部か野球部に入って、青春を謳歌していただろう。


 翼についていって人気のない階段の踊り場に行く。


 数日前の翼との会話を思い出す。「僕にチェスを教えてください!」と勢いで行ってしまったが、そもそもFIDEマスターにチェスを教えてくれなんて、初対面なのに失礼じゃなかっただろうか。入学してから早一週間、目の前に早鳥翼がいる世界に慣れつつある自分が恐ろしい。


 「僕は考えたんだ。君を世界一のプレイヤーにする方法をね」

 「もう、考えてくれたんですか」


 ありがたいやら申し訳ないやらで顔が熱くなる。でも、顧問が早鳥翼というこの幸運を前に、何もしないなんて勿体なすぎる。


 「うん、僕はチェス部に関してはたまに練習を見る程度だし、あまり指導の経験はないんだ。でも、本気で君を世界の舞台に連れていくつもりだ」


 翼の目に宿る真剣な光を前に、悠は覚悟を決めた。この先生のもとで、この先生と、最強になる!


 「よろしくお願いします!」

 悠は九十度の礼をする。これから共に階段を駆け上がる、師匠へ。


 「よし、じゃあまずこの問題集やってねー」

 どさっ。翼はどこからか七冊の問題集を取り出し、悠の前に笑顔で突き出す。「易しいチェスタクティクス」「チェス問題集」などの分厚い本の山に、悠は、空いた口がふさがらなかった。


 「んっ」

 翼が両腕を突き出し、悠に受け取らせようとする。

 「え」


 「んっ!」

 「ええええ!」


 「君は何を言っているんだ?このくらいやらなければ最強になれないぞ?」

 翼は眉根を寄せ、整った唇を尖らせる。


 「い、いえ・・・・・・ちょっとびっくりして・・・・・・」

 「甘い!いいか、確かに実戦は選手の実力を大きく伸ばすが、その前に基礎がしっかりしていなければ自分がどこで手を間違えたのかもわからないままだ!『チェスは99%タクティクス(詰めチェスのこと)だ』という格言もあるとおり、ある程度量で攻めていく必要がある!」


 翼が少し目を伏せる。その美しさに目が釘付けになる。


 「・・・・・・それに、君には何か事情があるのだろう。将棋界でも期待の実力者だった君が、うちみたいな将棋の強豪に入って、チェスを始めた事情が。僕、いや私が言えることは、覚悟を決めろ、ということだ。人の百倍やったものにしか、君が望む結果は訪れない」


 悠の心音が、バクン!と悠の脳に響く。そうだ、復讐。僕は、チェスで最強になって、復讐しなければいけないんだ!


 「やります、やらせてください!人の百倍やって、僕は最強になります!」

 悠は翼から問題集の山を受け取る。両腕にのしかかる重さに、崩れ落ちそうになるも、必死に耐えた。


 「それ一週間後までにやっといて。あ、あとチェスの試合一日五十局ねー。全ての反省点をノートにまとめて、毎週提出すること!」

 翼はついでのようにやばい課題を出してくる。一日五十局ってそんな時間あるか?でも、やるしかなかった。最強にならなくちゃいけないから!


 「はい、やります!・・・・・・あっ」

 どさどさっ。悠が礼をするのと同時に問題集が両腕から滑り落ちる。慌てて拾い、校門まで駆け抜ける。うおおおおおお!やるぞおおおおお!


 「んえ?悠、鞄にめっちゃ荷物入ってんじゃん。補習課題?」

 「ち、違う・・・・・・」

 大荷物を抱えてダッシュした悠には、まともな返事はできなかった。


 「なんだなんだー?」

 丈は勝手に悠のリュックサックのファスナーをあけ、中身を覗き込む。


 「うわっ、早鳥先生スパルタだなー」

 丈はリュックの中身を見ると顔をしかめる。丈に特訓のことは言っていないはずだ。あまりにも驚かなかった丈に驚く。


 「なんで驚かないの?」

 「何年幼馴染やってると思ってんだ。あれだろ?秘密の特訓ってやつだろ?」

 「うん」


 「俺も参加しようと思ったけどさ、そこまでできる自信はないな。悠はすごいよ」

 「そんなことないよ。僕も、事情がなければ、こんな大変なこと、ごめんだったよ」


 「でも、チェスの対局には付き合って。1日五十局やれって言われたから」

 「ごじゅっ、まじか。ってか時間足りるか?はやく帰んないと間に合わないぞ!」


 悠は腕時計を覗き込む。

 「ほんとだ!やば!」

 「走るぞ、悠!」


 悠と丈は走り出す。息が上がっても、それを楽しいと思えた。夕焼けの空に二人の笑い声が溶けていった。


 

 




 


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