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第五局 目標を決める

 「これで、今日のチェス部の活動は終わりです。みなさん気をつけて帰ってくださいね」

 早鳥FIDEマスター、いや、早鳥先生というのが正しいだろうか。彼が部活終了を宣言すると同時に、女子たちも彼に群がっていく。


 しばらくして、彼のファンたちがいなくなった後、悠は決意を固めた。

 「丈ちゃん、ちょっと待っててくれない?」

 「おう、いいけど・・・・・・?」


 怪訝そうな相棒を無視して、早鳥先生の元にいく。


 「早鳥先生、ちょっといいですか」

 「どうしたの?」


 悠の真剣な表情を察したのか、翼は「場所を変えようか」と二人で廊下に移動する。


 「先生、僕は、チェスで最強になりたいんです!どうすればいいですか」

 「ああ、君は僕が何者なのかわかっているんだ」


 「はい!日本で五人いるFIDEマスターの一人で日本ランキング三位のプロチェスプレイヤーですよね!レーティングは2330、今期の全日本選手権の優勝候補で、丁寧で、隙のないチェスをされる方だと聞きました!」


 悠の頬が紅潮し、驚いた翼は少し顔をのけぞらせる。


 チェスにおいて、性別関係なく取得できるタイトルは四つある。そのうちのFIDEマスターは三番目に高位の称号だ。


 そして、最高位のグランドマスターの称号を獲得した日本人はいない。


 「君の情熱のまま突っ走るスタイルでは、無理だね」

 「え・・・・・・?」


 「そもそも目標が曖昧すぎるんだ。最強、というのは日本でか、はたまた世界か。世界ランキング上位の選手の実力差は本当に僅差で、世界ランキング一位の選手でも、コンディションや運によって二位に負けることがざらにある世界だ。君のいう最強は、どう定義された最強なのか」


 答えられなかった。そうだ、悠はずっと父への復讐心だけで突っ走っている。なんて愚かなのだろう。


 「君が最強になりたいと思うのは、何か君を突き動かす情熱があるのかもしれないが、曖昧な目標で最強になれる世界だと、君は本気で思っているのか?このままだと、がむしゃらに頑張った挙句、どれだけ努力しても近づかない目標に疲弊し、ひたすらやる気の消費期限を待つだけの、ただの、「チェスを頑張るいい子」に成り下がるだろう」


 「ぼ、ぼくは、誰もを圧倒するような、誰にも負けることのない、世界チャンピオンになりたいです!」

 自分でも、目が見開かれ、涙目で叫んでいるのがわかった。心底、ここが誰もいない廊下でよかったと思う。


 「そうか。つまり、世界選手権優勝、という認識であっているかな。大きな目標が決まったら、そこから逆算し、中目標、小目標を決めていこう。世界選手権は2年ごとに行われるが、今年の世界選手権に参加するのは流石に無理だ。そう考えると、最短で2年後、ということになる」


 「2年後、ですか」


 「ああ、できるかはわからない。それに、そんな天才は多分どこにもいたことはない。しかし、前例がないということは、前にやったものがいないだけに過ぎないんだよ。成し遂げればいいだけだ」


 「逆算すると、少なくとも一年後にグランドマスターになる必要があるね。並大抵のことではないよ。そのためには人の十倍、いや、百倍の努力がなければできない。私という類まれな才能の持ち主ですら、できなかったことだ。もちろん、2年後でなくても、4年後6年後があるが、悠長な心持ちでいれば、努力を怠るだろう。中学生なんてそんなもんだ」


 目にみえる。ただでさえ父の死から五ヶ月ほどしか経っていないのに、人間の構造とは残酷なもので、悠の中にある父の姿はだんだんと薄くなっていくのを感じている。その自分の奥底にある記憶を掘り起こし続けたとしても、何年気力が持つだろうか。


 「さらに逆算してみると、全日本チェス選手権、または全日本ユースチェス選手権は最低限優勝しなければいけないね。そうなれば、君と私はライバルになる」


 行くのか。今まで羨望の目で見てきた早鳥翼や、日本チャンピオンと戦わなければいけない世界に。彼らと同じ土俵に立つために、どれだけの努力が必要かは、全く想像がつかない。それでも、やりたい、やらなければと思った。


 「やります!誰よりも努力して、誰よりも高い場所に立ちたいんです!だから、だから、僕にチェスを教えてください!」


 「もちろんだ。だが、手加減はしない。覚悟しておくように。あと、古典で赤点取ったら殺す」


 やっべ。絶対この先生の授業で寝れないな。



 「チェス部、楽しかったね、丈ちゃん」

 チェス部の体験が終了した後、悠は丈と一緒に帰っていた。藤野先輩には「大丈夫?ちゃんと帰れる?」と心配されたが、まあ大丈夫だろう。


 「うん・・・・・・」

 なんだか丈の返事のテンションが低い。上の空というか、心ここにあらずというか。


 「なあ、悠、一目惚れって存在すると思う?」

 「なんだよ急に。したことはないけど、存在はするんじゃない?」


 「俺は今まで一目惚れ反対論者だったんだ」

 「興味ない。あと何で過去形なんだよ」


 「恋してしまったんだ!日向さんに!」

 今まで嫌というほど見てきた相棒の顔が初恋をした少年のように純粋に見えて、違和感しかない。


 「・・・・・・誰?」

 「ほら、お前も今日試合しただろ?チェス部に体験にきてた女子だよ」


 ああ、あの地味な感じの子か。

 「ははーん。ああいうのがタイプだったんだな」

 悠の顔が親戚の野次馬おばちゃんの顔になったのは言うまでもない。


 「ああ、雷に打たれたような恋とはこのことか!あの美しさ!駒を持つ時に見える白魚の手!悠にはあの日向さんの素晴らしさがわからないのか!」


 その後帰宅するまで、電車の中でも、近所の細道でも、相棒はひたすら自分の恋について語りまくり、悠が解散しようとしても引き留め、やっと解放されたのは三時間後だった。



 

 

※作者注※

 日本出身のグランドマスターにはヒカル・ナカムラさんがいらっしゃいますが、チェス国籍がアメリカにあり、また、この物語はフィクションであるので、日本人のグランドマスターは誕生していない、という設定になっています。ご承知おきください。

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