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第十四局 一条文

 第一試合で勝利を収めた後、少し休憩してから第二試合の席に着いた。まだ対戦相手の一条文《あや》は席に着いていなかった。


 しばらくぼうっと盤を見つめ、さっきの試合を振り返る。なんとか勝利を収めることができたが、最後のあの一手を閃いていなかったらかなりまずかった。そして、試合終盤の風間翁の表情を思い出す。あの微笑の裏に隠れた憂いは、一体何を意味していたのだろうか。


 しばらくして、コツ、コツ、と足音がして、悠は見上げる。そこには、ロビーで見かけたアルビノの少女がいた。美しい銀髪がサラサラと揺れ、わずかに赤みがかかった双眸が、悠を捉える。悠はその類まれな色彩と、瞳に吸い寄せられた。


 席に着くと、一条文は微笑し、「よろしくお願いします」といったのち、悠と握手をかわす。柔らかく、美しいその手は、悠の手を、ガシッと、思いがけない力で握ってきた。


 再び席につき、深呼吸をする。きっと大丈夫だ。ここまで積み上げてきたのだから。


 悠は白のポーンを動かす。チェスでは基本的に選考が有利だ。一つずつ、着実に積み上げていけば必ず勝てる。


 悠がポーンを動かし、手を戻した次の瞬間、文は即座にポーンを動かした。普通、チェスでは定石手であっても、一瞬の逡巡が入る。そのため決定的なひらめきの一手でもない限り、ここまでの反応速度で駒を動かすことはない。


 文が駒を指から離した瞬間、その手はすぐに盤上を横切り、パアアン!!!という強い音と共に、チェスクロックを押した。


 あまりの轟音に悠は身じろぐ。文の双眸はまっすぐに悠を見つめ、「さあ、お前はどうする?」と高圧的に語りかけてくる。


 その後の数手で流石に悠も彼女の圧に慣れていき、自然な状態で落ち着いてチェスが指せるようになった。悠が胸を撫で下ろしたのも束の間、文はナイトを動かした。なんて突拍子もない手なんだ!悠は目を見開く。


 確かに、考えてみれば今ナイトを動かしていくことで、デコイ戦略をとった後、フォークを狙うことができる。これを短い思考時間で即座に思いつける彼女の閃きの力と才能に素直に脱帽する。


 その後、なんとかフォークを防いだが、悠は防戦一辺倒の危うい状態になっていた。形勢では悠がポーン得をしているが、文のクイーンが果敢に攻める。センターに出ているというのに、全く攻める手段が見つからない、美しすぎる配置だ。


 なぜ、彼女はこの短時間でここまで完成度の高い手を指せるのか。彼女がほとんど悩まないのに対して、悠は一方的に考慮時間を減らされ、時間差は5分にまで広がっている。悠は少しずつ焦り出した。


 落ち着くんだ、悠。もう一度深呼吸をし、心を落ち着かせる。そして、もう一度考えてみる。彼女のチェスは、何かに導かれているような、一切迷いのない、自分が絶対的に正しいと、信じ切っているような、そんなチェスだった。


 目を閉じて、考えてみる。迷いを持たず、自分を信じる。今までやってきた内容が、ものすごい速さで脳内を駆け巡り、反芻していく。


 ゆっくりと目を開いた瞬間、悠は、一筋の、盤上の光の道を見た。ビショップから放たれたその光は、盤のあるマスで止まっている。これが天啓というやつか。悠は、それを検討することもせず、ゆっくりと、導かれるように駒を動かした。


 文の目がわずかに見開かれる。気付いたのか。この手が、黒のクイーンをとることにつながることを。


 ここから彼女はどうするだろうか。クイーンを守るためにルークを動かすか。それとも・・・・・・


 しかし、彼女が指した手は、悠が予想した数手のどれにも当てはまらないものだった。クイーンの守り駒をわざと外すように、ビショップを動かす。


 なぜだ?気付いていないのか?それとも何かの罠なのか?いくつかの可能性を検討したが、何もしっくりこなかった。少々不安だが、きっと気付いていないのだろう。


 悠はビショップを動かし、フォークする。


 文はまた、クイーンを丸腰にするような手を指した。


 やった!クイーンとった!悠はぱああ、と顔を輝かせる。悠は気づかなかった。その瞬間、文の唇の両端が、にぃ、とあがったことを。


 文が駒を動かし、鋭い音を響かせてチェスクロックをおす。チェックだ。なぜ、なぜ気が付かなかった!クイーンを攻めることに夢中で、キングの守りが浅かった!


 キングを動かし、チェックから逃す。しかし、文のルークがこれを許さなかった。即座に悠の陣の間合いに入り込み、二度目のチェックをする。


 まずい!メイトを防がなければ!と思った瞬間、駒を動かそうとしたが、手を文に掴まれる。文は冷たい目で言い放った。


 「もう、メイトだよ」


 その瞬間、やっと自分にはもう逃げ場がないことに気がついた。悠の目からは光が消え、ただなすすべのない自分のキングを見つめていた。


 我に返り、対戦相手への礼を欠いていたことに思い当たる。絶望しかない。ここで終わりたくない。でも、負けは負けだ。悠は込み上げそうな涙を堪えながら、消え入るような声で、「ありがとうございました」といった。


 文の返事を聞いた後のことはあまり覚えていない。気持ちがぐちゃぐちゃになって、会場を飛び出し、建物の隅の、暗い自販機置き場の中、ただ泣きじゃくるしかできなかった。

 


 

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