第十一局 地獄の一週間 後編
金曜日
朝六時。悠は眠い目を擦りながら机につくと、問題集を解き始める。今回の終盤専用の問題集はすごく難しいが、解答と解説を見ると、一手一手がとても整っていて美しいことがわかる。
一体誰がこの本を書いたんだろう?と思って最後のページをめくってみると、「早鳥翼」と書かれていた。まじか・・・・・・。翼の著書だったとは。他の問題集も見てみたが、翼の著書はこの一冊だけらしい。
普段担任として一緒に過ごしているので忘れがちだけど、翼は日本ランキング三位の実力者だ。今年の全日本選手権でも、間違いなく上位に入るだろう。
ふと問題集を解き進める悠の手が止まる。自分は勢いで最強になるなんて宣言してしまったけれど、自分がその土俵に立てるのか。何度か翼と対局したことがあるが、惨敗した。ふっと気持ちが暗くなりそうなところを、自ら奮い立たせる。
「できるかどうかじゃない、やるんだ」
悠は自分の両頬をパン!と叩く。痛みと同時に、決意が胸に広がっていく。
登校してからも、出来うる限り全ての時間をチェスに費やした。悠がライバルのために埋めなければいけない差は、あまりにも大きい。彼らと同じ場所に立つことは、最強になるための最低ラインだ。
何度も何度も間違えては、ノートに書き留めておく。前日のノートは、風呂の中でノートをジップロックに入れて反芻する。そうすると、少しずつ、少しずつ、習ってきた内容が悠の血肉になり、似た局面で、自然に正しい手をさせるようになるのが、手に取るようにわかる。
オンライン対戦は学ぶことが多い。対面の対戦と違って、相手の表情や呼吸の感じがわかりづらいからか、普段なら勝てる相手でも負けやすい。普段はチェス部の部員としかチェスをしないので、新鮮な体験になるし、突拍子もない手を指す人もたくさんいて、何度でも対戦したくなる。
今日は夢中になってしまって、気がつけば夜の十一時を回っていた。成長期の身からすればかなり不健康だ。一刻も早く寝なければ。
今日の勝敗。二十二勝十二分十六敗
土曜日
「休日ってサイコー」
朝八時。遅起きした悠は軽く伸びをしたあと、母と朝食をとる。いつも通り顔を洗っていると、鼻のあたりに小さな、できもののようなものができていた。
何か病気だったらどうしよう。でも見た目に関することは恥ずかしくて母には相談できない。慌てて自室に戻り、丈に電話して事情を伝える。
「十中八九ニキビだろ」
「にきびってなに」
「正気で言ってるのか?」
丈がこめかみを抑えている姿が脳裏に浮かぶ。
「肌荒れのひとつだよ。小学校高学年か中学生くらいによくできるやつ」
「丈ちゃんもなったことある?」
「おん。多分悠ができ始めたのが遅いだけだと思うけど。最近根を詰めすぎて寝不足だったろ。そういうのでも増えるらしい」
「そっか・・・・・・治し方はわかる?」
「悠の場合睡眠をしっかり取れば大丈夫だと思うけど、これからきっと増えていくし、ひどくなるようだったら皮膚科に行ったらいいんじゃね?」
「ありがとう、丈ちゃん」
「どうってことねえよ。にきび以外の可能性もあるから後で自分で調べな」
ぷつっと電話がきられる。友達の話を鵜呑みにしすぎるのっも良くないと思って、いろいろネットを漁ってみたら、確かにこの忌々しいものはニキビ、というらしいとわかった。とりあえず早寝早起きをしておけばしばらくは問題ないかな。
チェスの問題集の三冊目が終わり、四冊目に突入した。土曜日ということもあって、時間はたっぷりとある。一度散歩に出てみたり、充実した休日になった。
今日の勝敗。二十五勝九分十六敗
日曜日
朝七時。昨日たっぷり寝たおかげで休日にしては少し早く起きられた。あのニキビも、少し小さくなった気がする。
朝からチェスの問題集に取り組んだ。昨日二冊終わらせておいたおかげで、今日は薄めの問題集一冊で済みそうだ。
問題集を半分ほど終わらせた後、少しゲームをし、昼食をとり、問題集の残りとネットでチェス対戦をする。
勝てない・・・・・・なんでだ?悠は今日もいつも通りいくつか対局をしたが、なんだが全然勝てない。ここ数日で、悠のレベルは格段に上がった。ネットでは実力の近いものが試合をする。積み上げた経験がまだ足りない悠は、急に上がった対戦相手のレベルに対応できず、スランプを迎えた。
このままじゃだめだ!ここで止まってちゃ一生そのままだ!悠は今までつけてきたノート類を取り出す。何度も反芻してきた内容が、また悠の脳内に鮮やかに蘇った。大切なのは、基礎と、タクティクスだ。奇抜な一手なんて必要ない。積み重ねたものを信じて一手一手さしていけば、必ず勝てる!
次の試合で、丁寧に一手一手指してみると、圧勝することができた。嬉しかった。
今日の勝敗。十一勝五分三十四敗




