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英霊が来る 〜記憶無き青年の冒険譚〜  作者: 大和あゆむ
第1章  『シル』

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第2話  「ここに」

 

 白馬に乗馬した巨躯(きょく)の男が、戦場を掻き回す。


「相手は反乱軍、元国民とはいえいずれは脅威になる存在。情は無用だ、殲滅しろ!」

「「「はっ!」」」


 光翼団(こうよくだん)は、真然術(しんねんじゅつ)を扱いながら狂気的に士気を上げた反乱軍へと襲撃を仕掛ける。

 対極、地に足を付けた長身の男が、戦場を駆け抜ける。


「相手は光翼団! あの馬鹿げた王家に従う天術(てんじゅつ)兵団(へいだん)や! このまま突っ込むで」

「待て!」

「なんや! エバンじゃなくて大将」

「一旦退くで、あいつは危ない……」


 撤退の命令に不満を抱いた長身の男は、自身に向けられる火式を華麗に避けながら後ろを振り向く。


「あいつは危ない? 何やねん弱気やな、オレらはずっと勝ち続けてきたやろ?」

「今回に関してはそうもいかへん……」

「そないにヤバいのか?」

「ああ、あいつは光翼団第三分団長オーラグレイ・ジアーツ。イスタルク南部において最強を誇る男や」


 その言葉を聞いた長身の男は、件の存在に視線を向けようとする。刹那、視界が白い毛並みに染まり、その正体が馬だと分かった時、馬特有の咆哮(ほうこう)が耳を劈く。

 自身をここまで導いてきた運が瓦解する、そんな音が聞こえた。

 白馬の上に、彼が乗っている。


「王家に不満を持つ気持ちは正直わかる。だが悪いな。これは家族を守るためなんだ」


 首に苛烈な痛みを感じた瞬間、視界が反転した。球体のようにコロコロと転がっていく。そして漸く気づく、自分は首を()ねられたのだと。

 途絶える寸前のその声で男は呟いた。


「これが……オーラグレイ……」


 エバン率いる反乱軍は快進撃を続けるも、南部最強オーラグレイ・ジアーツ率いる光翼団第三分団と対戦し敗走。反乱軍総勢二千に対して、第三分団はたったの百だったという。




「誰なんだよ、自分は」


 嘆息と同時に心の内を流す。

 薄々感づいていた事だが、自分は記憶を無くしていた。これまで生きてきた生涯全ての記憶を。

 しかし、逆に何もかも知らないこの世界で自分がどう生きてきたのか分からない以上、酷く厭う理由もなかった。少しだけ過去に興味が湧くとそのくらい、のはずだ。


「本当に何も覚えてないのよね?」

「はい……家族も……自分の名前も……全て」

「じゃあ落雷を受けてから記憶を失ったって事? やっぱり雷の衝撃で記憶を失ったのかな?」

「雷による衝撃の可能性もあるが……断定はできないな。雷を受けるのと記憶喪失に因果関係があるのかどうか。まぁひとまずは無事を喜ぶべきだろ。命の危機に瀕していたんだからな」


 自分と同い年くらいの少年少女は、記憶に対する疑念と存命に対する安堵を示した。

 モナさんが急に抜け出して連れてきた二人だが、どうにも気を失っていた自分の状態を幾らか知っているようだった。


「紹介するわ。こちらが長女のホルンに長男のカルガ。あなたをここまで連れてきたのも二人なのよ」


 最初に見つけてくれたのは姉弟二人らしく、自らの判断でここまで運んできたくれたらしい。命の恩人はモナさんだけではなかった。


「本当にありがとうございました」

「良いの良いの」


 両手を大仰に振るホルンさんは、茶色の髪を肩にかからない程度に揃えた可憐な容姿をしていた。当たり障りが無く気さくでとても喋りやすい印象だ。


「記憶を失っているのに随分喋れるな。そこらは支障がないってわけか」

「ええ、日常会話は普通に出来るようです」

「そうか、良かったな」


 一方弟のカルガさんは、聡明な立ち振る舞いをし、年相応には思えないほど落ち着きがある。そのためか姉と同じ茶色の眼と髪をしていても、何処か少しだけ影がかかっているように感じた。


「あのさー、何かを見て思い出す事とかないの? 例えば身に着けていた物とか」

「あ。包帯を巻く時にちょうど見つけたんだけど、ポケットの中にネックレスが入っていたわ」


 顎に手を当てて疑問を投げかけるホルンさんに、モナさんが掌を拳でぽんっと叩き、ネックレスの所在地を左右見渡し探し始める。あったと小さく口にしてネックレスを掴み、期待と不安が混沌した様子で自分に見せてくれた。


「どう?」


 ネックレスは、菱形の蒼白な水晶で出来ており、中々の値打ちがあると一目見てわかる。

 自分は、一縷の望みにかけて痛む身体を無視して覗いてみるが、


「何も……思い出せません」


 少しの希望さえ現れてはくれなかった。記憶を失っているのは前々から分かっていたこと。でも、何処かすぐに思い出すだろうという甘い考えがあった。自身が所持していたネックレスの思い出一つも見せてくれない。淡い期待は罪深く心の傷が残るほどに鋭利な物だと感じる。

 目を落として考え込む。


「ん? あれ?」


 これからどうすれば良いのだろうか。


「ここに何か書かれてない? 『ライ』って?」


 過去の自分はどうやって生きてきたのか。一体何処に住んでいたのか。


「ホントだわ。しっかり書いてあるわね」


 自分に家族は居るのか。居たとして再会できるのか。


「『ライ』って人名かな?」


 過去の自分が存在したことすら証明できない自分は何者なのか。


「そうねー、聞いたことはないけれど居てもおかしくはないわね」


 ここで漸く自分が拳を強く握っている事に気づく。ゆっくりと力を抜き、嘆息を零す。

 本当にこれからどうすれば良いのだろうか。


「君さー、名前『ライ』って言うんじゃない?」

「え?」


 急に話しかけられたことで、喫驚し憐れな声音が漏れてしまう。同時に心臓がドキリと跳ねた。心が異様にざわつく。だが、靄がかかった心に問いかけても返事は返ってこない。


「『ライ』ですか……。ごめんなさい、覚えがないです」

「そう」


 明白に落胆するホルンさんを見て申し訳無さが際立つ。しかし、どうしようもないのだ。


「名前が分からないのだし、いっその事『ライ』と名乗るのはどうかしら? 記憶を失っているからって名前なしとはいかないでしょ?」

「確かにな。半端な名前よりは自分に何かしら関与している名前のほうがよっぽどマシだ」

「それ賛成ー!」


 『ライ』か。別に馴染みがあるわけでもなく、違和感もあまり無い。だが、『ライ』という名前にざわめく心は賛成の意を示しているようだった。自分は、運命に導かれるままに決然とした言葉を発する。


「そうですね、これから自分を『ライ』と名乗りたいと思います!」


 そう口にすると三人からの柔和な眼差しで包まれた。ずっと三人に救われてる。感謝の許容を超えている。考える前に言葉が出ていた。


「何から何までありがとうございました」


 精一杯の感謝を込めて深く頭を下げる。


「私は、子どもたちの手伝いをしただけよ」

「いや、僕も良いんだよ。姉さんがたまたま城の外で修行しようと馬鹿な事を口にしたからすぐ助けに行けたんだ。礼は姉さんにだけ言ってくれ」

「馬鹿は余計!」

「いってぇー」


 躊躇なく弟の頭に拳骨を振り下ろすホルンさん。轟音が鳴り響くもやはり殴られ慣れしているのか、カルガさんは頭を手で押さえ涙目になるだけに収まる。というか、あれに慣れるってどうかしている……。


「くー、本当のことを言ったまでだろ? 何が悪いんだよ」

「あのね、言って良いことと悪いことがあるでしょ? もっと姉さんを敬ってよ……」

「姉さんが敬うことをしていたらの話だろ、それって」

「してるでしょ? 特に今日なんて【(げん)(へん)】を成功させたんだし」

「あ、確かに。姉さんが修行で燃え尽くした大樹に向けて【源変】を放ってい――」

「――ダメダメ……褒めすぎだよ。恥ずかしいからもう言わないで。ね?」

「燃え尽くした大樹? まさか父が大事にした大樹を燃やした訳じゃないでしょうね」


 眼光を光らせて詰め寄るモナさんにホルンさんは両手を振る。


「いや、ママ。そうだけど、そうじゃないの。これはカルガと一緒に燃やしたの」

「どうせ、貴方が無理矢理やらせたんでしょう。ね?」


 大仰に頷くカルガさんと、その様子に対して睨み付けるホルンさん。ほらと一言、娘の下へ一歩一歩重く歩み寄るモナさん。

 握った両手を胸に押し付け、あわあわと震える彼女は、扉に体が当たるまで後退った。


「ホルン、ちょっと来なさい!」

「ママ、服を掴まないで……自分で歩きますから」

「いってらっしゃい」


 二人の背中を見送る。

 静寂は似合わない、そう思う程に喧騒でいて愉快だった。自分が憂う時間を与えないよう気を使って明るくしている、自分にはそう見えた。素直に有り難かった。何かに集中しなければ思慮に思慮を重ね、悪い方向に行ってしまいそうだったから。


「ライ」


 二人がよく分からない大樹の件で退出したあと、カルガさんは一人真剣な面持ちで自分を見据えていた。


「どうしました? カルガさん」

「カルガでいい」

「どうしました? カルガ」

「タメ口でいい」


 カルガは苦笑を挟む。


「……どうした? カルガ」

「ご飯……食うか? 僕が作ってやる」

「いいのか? じゃあ有り難く頂きます」

「そうするといい」


 踵を返すカルガだったが、立ち止まり神妙にこちらを振り向いた。


「記憶なんて元から曖昧だ。失ったのなら仕方ない。これから幸せな日々を送って、過去の自分に嫉妬させてやれ。そうしたら勝手に思い出すさ」

「ありがとう。カルガ」

「ライの最初の友達は僕だな。その事は忘れるなよ?」

「あぁ、忘れないよ……」


 カルガの美味しくて温かいご飯を頂いた。理由は分からない。だけど、目尻が熱くなった。これから先は考えられない。どうするべきで何が自分にとって正しいのかが不明だ。

 生きたいと思わせる希望の光は、眩むほど爛々としていて今の自分では見ることは出来ない。しかし、いつか拝めるその時を願って今は瞼を閉じた。




 夢を見た。

 闇に飲み込まれた世界の中、眼前で四十歳に近い凛々しい男が鷹揚(おうよう)と佇んでいる、そんな夢を。青髪に、頬に一閃の傷。右手に弓を持ち、左手では白き炎を放っていた。自分と目が合うと優しく笑い、口を開けて空気を震わせた。


「ライ――」


 刹那、霧のように漂う闇が彼を襲い、命をいや言葉を奪おうとする。

 しかし、彼はそれを見越していたかのように、左手で放つ白き炎を更に増大させ、闇を押し退けた。それは彼の体を包み込み、ついには目の前の自分までも包み込んだ。


「生きろ。僕はそれだけを望むよ」


 彼はそう口にして最後、世界を眩しいほどの白光に変えて、姿を暗ました。

 だけで終われば良かった。

 靄のかかった者が自分の首を絞めたのだ。息の出来ない苦しさで藻掻く中、忌避する瞳は自分だけを襲った。


「死ねよ」


 ぽつり。


「お前死ねよ」


 ぽつりと。


「生きる価値なんてない! 死んで詫びろ‼」


 強く、激しく。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねしねしねしねしねシネシネシネシネシネシネシネシネ……――」


 逃避した自分は、汗を垂らして目を覚ます。

 夢によって記憶が刻まれる。

 完全な足枷となり、自分はこれから悩むのだった。

『生きて良いのか』と。




「もう宜しいですよ」

「ありがとうございます」


 赤髪の女性が優しい微笑みを見せて包帯を外してくれる。

 彼女の名はキジ。ジアーツ家専属の従者であり、本部まで来て自分の看病をしてくれていた。

 そして、二日を経て自分は完治に至った訳だが。


「あの……これからどうすれば良いでしょうか?」

「この街シルにお住みになられてはいかがでしょう。お失礼ですが、帰る場所は……」

「はい、ありません」

「では尚更です」 


 顔を近づけ、自分しか聞こえぬ小さな声で。


「シルにいらっしゃえば、ホルン様という暇人が遊んで下さいますし」


 ね、と同時に破顔した彼女。

 自分はその時に笑えていたのだろうか。 

 



 本部を出て振り返る。


「困った事がありましたら、いつでもお声を掛けて下さい。私で良ければ力になりますから」

「はい、ありがとうございました」


 深く頭を下げ、振り向いた。

 賑わい尽くす街、これが城塞都市シルの街並みか。

 一本道に並べられた店を眺めた時、自然と感嘆の息が零れた。

 静謐とは程遠いその活気に圧倒され、少しだけ己の興味を引く。

 左右に視線を行き来させつつ、民と品を見て回る。所持金を持たない自分でも見ているだけで楽しい気分にはなるな。

 刹那、視界が防がれ、気付けば自分は尻餅をついていた。


「痛てえな」


 眼前には剣を担いだ巨漢が傲慢と立ち尽くす。濡れた服、中身の少ないコップ、地面の泥濘を見てあの人にぶつかり倒れたのだと今更ながらに理解した。


「なんだ、てめぇ」

「え、いや。ごめんなさい」


 胸倉を掴まれたため、慌てて謝罪を申し立てる。しかし、怒りを漂わせる彼には通用するはずもなく。


「こぼしちまったじゃねえか」

「すみません」

「俺はここらでは有名なんだ。もうちっとあるだろ、な?」

「今、お金持ってなくて……」

「そうか、じゃあ。他で代償を払わなきゃだな」


 木製のコップを手だけで割り、木片が舞う中で、彼は拳を振り上げた。

 殴られる。そう受け入れた思考の狭間、何処か遅いと感じる。

 二つの足で立ち直した後、拳の軌道を読んだ。

 不可思議にもその通りに拳が移動する。

 掌を出して。

 皮膚が激しく衝突し合い、周辺の注目を掻っ攫うまでに至った。

 

「なに?」


 ざわめきが広がる。

 理由は一目瞭然。

 巨漢の拳を自分は掌で収めたからだろう。


「嘘だろ?」


 怪訝な様子を見せた男は、引いた拳の反動を上手く利用し、自身の頭目掛けて蹴り上げた。

 怒りが垣間見せるその攻撃を、上腕で防いだ。


「何やってんだよ! オーリー」

「黙ってろ‼ 何故止めれる?」

 

 オーリーという男は、知り合いから煽りを受けるも一蹴し、自分と向き直した。

 苦悶の表情を浮かべる彼からの純粋な疑問。自分が答える術を持っていないことも理解しての素振りだった。

 口ごもる自分を余所に、後方から更に騒がしさを増した。


「ライ! やっと見つけたぞ」

「探したんだよ?」


 茶髪の少年少女、あれはカルガとホルンだ。

 彼らが走る道は、民が退けて必然と作られている。尊敬の眼差しを向けられている事が多かった。


「カルガ様! ホルン様!」


 自身の驚きよりも先に、オーリーは声を出していた。

 駆け寄る二人の目線が自分から彼に移っていく。


「何やってんの? オーリー」


 眉を寄せたホルンがオーリーに詰め寄り、自分との距離を離した。カルガは無事か、と優しく問い掛けてくれている。


「いえ、こいつが本部にも滞在し優遇を受けておりましたので気に食わず……つい」

「ちょっと隊長になったからって調子乗ってるんじゃない? 二度こんな事しないでよ!」


 しなやかなに回した髪と共に踵を返した彼女は、自分の手を引いてこの場を去った。カルガもその後をついてくるが、呆れと納得を混ざっていたように感じる。

 本部まで戻り、ホルンはようやく口を開いた。


「うちの者がごめんね」

「いや良いんだ、自分が悪いんだから」


 口に空気を溜めたホルンは、「もうっ」と言ってそっぽを向いてしまう。そして優しすぎるよ、と一言彼女は呟いた。

 静寂に包まれる数刻、カルガはホルンに茶々を入れ始める。


「姉さんがトイレ行きたいって言うからだぞ、こうなったのは」

「いや我慢できなかったの!」

「計画が台無しだろ」

「もとはと言えば――」


 年は同じくらいなのに二人を見ると、どうしても疎外感を感じてしまう。これは、二人の間柄が姉弟だからとかそういう訳じゃない。同年代で見ても、彼らは異質で別格なのだと思う。

 明確に生きる次元が違う。

 それと、単純に姉弟が羨ましい。

 家族という関係が非常に。


「じゃあ自分は住む場所を探しに行くよ。また」


 もう助けを求めに行ってはダメだ。

 二人が眩しいくらいに輝いている。夢は……あれくらいで良い。

 悪夢で良いんだ。


「その必要はないんじゃないか?」


 気付きを与えようとするカルガ。


「いや、だって……」

「もうあるじゃん、住む場所」


 当然かのように振る舞うホルン。


「え……どこ?」


 この瞬間からだろうか。

 良くか悪くか、二人を頼るようになってしまったのは。

 閉ざされた未来がゆっくりと開かれた、そんな幻聴を聞きながら。

 凝然と佇む。

 本部の横、傲然と屹立したその城の前で二人は口を揃えて言い張った――、


「「ここに」」


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― 新着の感想 ―
最初の設定を詰め込んだのは、目が滑りやすくていまいちでした。その後のストーリーは良いと思います。
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