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第17話 「花火の如く」


 あの夜は、確か花火が上がっていた。

 この国初めての、儚くて綺麗な花火が。


「セイム婆様が言ってただろ? 『時の人』が来るまで耐えるんだって! それまで耐えなければいけないんだって!」


 ドォォォォーーーーン。


「生きなきゃダメだァ‼」


 大事な人を失ったその夜だったから鮮明に覚えている。

 昨日のような感覚と共に。

 別れは唐突だと、思い知らされた年だった。

 これはジロック・ビテンだけが知っている過去、その断面。




 あれは三つ巴戦争が終わった後だった。

 三つ巴戦争とは、文字通り三陣営が当時首都だったサフェンスで戦い合った事を指す。

 王家の護衛兼監視を目的とした特別近衛部隊、通称『六波羅(ろくはら)』部隊の隊長リリィが堕天軍(だてんぐん)へ寝返ったのが事の発端である。裏切りのリリィを率いた堕天軍、桃源郷の副大将ルイレース・ファースト、そして首都を防衛しようとする光翼団の三者がぶつかり合い、大きな戦いとなった。

 その被害は尋常ではなく、首都サフェンスが荒れた地と化す。それらの責任が全て祖母のセイム・ビテン第二十二代団長に圧し掛かり、権威は見事に失墜した。

 それからだ、祖母セイムと父サルビアの顔に焦りが募っていったのは。

 当然、イスタルクの衰退も避けられない。他国が隙を見て攻め入ろうという目論みを、祖母と父が阻止するため奔走していたのを今でも覚えている。

 必死に頑張ろうとして無茶な作戦に走ったのもこの頃だった。


「近々隣の敵国が攻めてくる。だから当分帰ってこないわ」

「セイム御婆様、行っちゃうの?」

「そう。ごめんね、二人とも」


 屈んで僕と兄に目線を行き来する祖母の顔は、とても優しかった。小さかった僕でも分かる疲労を映そうとも笑いに溢れている。そんな祖母が好きだった。


「気を付けて行ってきてください。ジロックの事はこの僕にお任せを」


 兄のタイガは、僕の頭に手を置いてそう伝えた。八つ年上の彼を見上げようとしても、背が高く大きな手が邪魔して見えない。その代わりに水滴が落ちてきた。


「うん。任せたわ、タイガ。『時の人』が来るまで耐えるのよ」


 いつも言う『時の人』に実際会った事はないし、心当たりもない。空想の人物であるとあの時の僕ですら思いついていた。ただセイム婆様がその人について語る時、必ず笑顔になる事を知っている。

 祖母セイム・ビテンこと光翼団第二十二代目団長は、このキャスリングの戦いで戦死するのだが、当時の僕にはそれは分からない。




 当分の間、僕たちは父と母、祖母のいない生活が始まった。祖父ルークは祖母セイムと同じ零世代であり、未来の団長と謳われる実力者だったらしいが、王宮事変で戦死したらしい。

 母もどっかの英雄の姉らしいし、血族は皆が引くぐらい良かった。

 僕にもその血が繋がってると思うと、闘争心が騒いだ。

 だから、自然に強くなりたいと思った。


「おらっ」

「ぐへっ!」


 頬を殴られて倒れた僕は、目の前の少年に見やった。


「よそ見してんじゃねえよ、雑魚」


 身長は団栗の背比べ、実力は僕の方が圧倒的で、性格も自分の方が断然いい。

 だから別に怒る必要もない。

 だけど、やられたらやり返す。


「倍返しだぁ‼」


 相手は幼馴染のヨミ。家が近く、高貴な家庭で生まれた僕らは何かと一緒に行動する事が多かった。仲が良い関係なく。まあ不仲だったが。

 そしてこう対立するのは、決まってどちらが強いかを判定する時。

 子供のころから憧れていた。

 あれ程までに輝く兄さまのような人に。


「「こらっ!」」


 頭に衝撃。


「「いたいよ! 兄さま!」」


 後方から拳骨を貰い、影が伸びた。振り返ると、背の高い兄が怒って立っている。

 それはヨミも同じだ。

 こうして必ず間に入るのが、互いの兄だった。


「ごめんな、うちのジロックが」

「タイガが謝るのは違うぜ。俺のヨミが悪いんだ」


 彼らの声が重なる。


「「ほらっ! 謝りなさい」」


 二人は、同い年で十三歳。年相応とは思えないほどに大人びていた。五歳の僕らからすれば、兄というよりかもう一人の父親のような感覚だ。


「「ごめんなさい」」


 そう言い終わると、首を横に振る。ヨミとは仲が悪いんだ、喧嘩はまだ続いているんだ。

 でも、兄さまが言うから謝っただけで。


「まあ、許してやってもいいよ」

「俺も……」

「二人とも仲良くやれよな」

「ほんとだぜ、てかタイガ付き合ってくれよ。【源変(げんへん)】を習得したんだ」

「ようやくだな」

「うるせぇ、いくぞ!」

「「【源変】……――」」


 サフェンスではこう言われていた。水式ではヨミの兄ノース、火式では僕の兄タイガだと。同年代では抜きん出た実力を誇る二人は、家系も血族も相まって期待を十分受けていた。

 それが、長男と僕ら次男とは違う部分だった。

 ヨミと共に僕は凡庸な人間、のちに轟くカルガという少年のようにもなれなかった。

 天才じゃなかったんだ。




 早朝、セミが鳴く前に起きて外に出る。

 それが僕の習慣だ。


「ジロック様、また遊びに行きなさるのですか?」

「遊びじゃないよ、修行! じゃあ」


 僕は知っている。

 扉を閉めた後に従者が言う言葉を。


「どうしてタイガ様のようにならないのでしょう?」

「外に行ってばかりでお家の事は気にならないのですよ」

「努力すれば才能なんて超えられますのに」


 違う。

 兄さまのようにならないじゃなくてなれないんだ。

 違う。

 お家の事を気にしているから修行をしているんだ。

 違う。

 努力しても足りないから、また努力するんだ。

 あの人たちは何も分かってない。


 そして、知っている。

 この後、兄さまが、


「ジロックなら大丈夫です。見守ってやりましょうよ」


 助けてくれていることを。




 サフェンスの街中から外れた草原に二人。生温い夏の風を肌で感じつつ、土を蹴った。

 指を丸め込み、握り拳にして構える。

 ここだと思う瞬間に動き出す腕。

 拳が肌とその先の歯に当たる感覚、頬が他人の拳に当たった感覚を同時に受けて、体は揺らぐ。

 呼吸を整えてヨミを見た。

 こうして僕たちは懲りずに喧嘩をするんだ。

 そうするしかなかったから。


「どうして僕らは強くなれないんだと思う?」


 僕は蹴った。


「才能がねえからだろ」


 ヨミも蹴り返す。


「努力は才能を超えるって言うじゃんか」


 腹を殴った。


「それに納得した事なんてねえよ‼」


 ヨミも殴り返す。


「兄さまの影として生きていくしかないのかな」

「そうしないために今修行してんだろ!」


 悶える僕らには、交える拳が、傷つく肌がまだあった。

 二人が目指すところは同じ。

 胸中には、兄と肩を並べたいという強い気持ちがあった。しかし、強い気持ちだけじゃ現実は動かない。届かない理想を見上げて、ただ悶々と体を鍛え上げる日々を送った。


「こっち寄んな」

「お前がだろ」


 いつものような掛け合いをしていた帰り道、喧騒と人混みに包まれている場所を発見する。

 僕らは目を合わせて、駆け寄った。

 瓦礫が転がり、焼け落ちた家が散在する道の上を二頭の馬が通る。それを皆が見つめる光景は、まさに凱旋に近いものがあった。

 周辺の声に耳を傾ける。


「あれ、南部最強オーラグレイじゃない?」

「モナさんまで」

「じゃああの娘は、長女のホルンちゃんか」

「カルガくん、可愛い~」


 この渦中の中、団長が空けたサフェンスの防衛を第三分団が請け負ったのだ。

 確かにあの人たちは大物だ。だが、周りが出すその言葉は、皮肉というに相応しかった。

 皆が知る人、南部最強オーラグレイ・ジアーツ第三分団長。しかし、それは祖母のセイム・ビテン団長までとはいかないはず。なのに、その人気と言ったらもう。

 青天の霹靂だった。

 祖母は、父は頑張っているのに。汚名を食らって、それでも命を懸けて皆を守っているのに。そう叫びたくなる気持ちを持ちながらも、それがまた家に泥を塗る行為だと自覚して止めた事を覚えている。

 僕は、すぐに立ち去ろうとした。

 しかし、


「ホルンか、可愛いな」

「げっ」


 ヨミは一目ぼれしていた。

 五歳のガキが何言ってんだと正直思った。


「ヨミには姉ちゃんがいるだろ?」

「姉ちゃんとはまた別なんだよ」

「ご飯とお菓子は別みたいな言い方すんな」


 居心地の悪いここから早く離れたくて足を進めた。こんなどうでもいい話をしていたのは、彼らを目に映さないため。

 僕らはいつからこんな複雑な生き方をしていたのだろう。

 普通に生きたかったのに。


「じゃあ、姉の様子見てくる」

「また明日の朝」

「おう」


 病院へ向かうヨミは、特段小さく見えた。

 ヨミの姉は、体が悪かった。姉の事を好いているヨミだが、病院だけは一層嫌った。

 優れない体調を面倒してやれるのは、次男のヨミしかいない。それを分かっているからこそだったのだろう。長男みたく期待されないヨミは、姉と共に過ごす毎日だけを与えられた。決して看病を嫌がっているわけではない。姉が生きてほしいという気持ちに偽りはなく、傍にいてやりたいという気概は伝わってくる。でも、父様に放置された事実を痛感される病院が嫌いだったのだ。

 長男ノースさんは、奴の父親と共にすることが多かったから。実際、何度も見かけた事がある。

 そこは素直に同情した。


「ただいま」

「お、ジロックお帰り。お前知ってるか? 花火が見られるって」


 帰宅して早々兄にそう告げられて反応を困らせる。まず、はなびが如何なる物か知らなかったからだ。


「はなび?」

「ヒノモトという島国から取り寄せたらしい、復興支援の一環らしくてな。見に行こう」


 微妙にずれる会話を兄弟と言う関係だけで切り抜ける。

 そこに二人は疑問を落とさない。


「でも、兄さまにはノースさんがいるじゃん」

「お前と見に行きたいんだよ」


 兄のその言葉が嬉しかった。多忙を極める彼からの誘いを無駄にしたくない、学校へ向かう年になればもう構ってくれることすらないかもしれないから。

 その時、兄さまの笑顔と共に成長したいという願望が一層強くなった。


「じゃあ、いく!」

「綺麗らしいぞ、夜空一面に花が咲いたように見えるって」

「へー、いつ?」

「一週間後だな」


 久しぶりのお出かけに胸を躍らせながら、兄と作戦会議をする。何の食べ物を買うか、どこで花火を見るか、高揚感に身を任せて話を進めた。

 兄と行くのが堪らなく嬉しい。


「ジロック様、勉強はどうなさっているのです。タイガ様はいつも頑張ってらして漸くの休日ですのに、貴方様は何をなさいましたか? もう少し勉学に励んだらどうです?」


 だから、我慢してられた。

 お盆を持って食事を運ぶ従者に厳しく言いつけれても、僕は俯くだけ。何の反論もなくやり過ごそうとした時。


「良いんですよ」


 兄は食い気味にそう言い放った。


「ですが」

「まだこいつは子供ですよ、勉強なんてまだこれから先の事だ」

「そんなのまかり通りません。タイガ様一人が頑張るなんて」

「それは長男の責務だから。次男のジロックには自由になってもらいたい。ビテン家の跡継ぎは僕です。弟にはそんな重り背負わなくてもいい」

「万が一があるのです、この世の中」

「貴方は一体何を見て来たんです。ジロックは万が一にも対応できますよ、だってこの家の誰よりも努力家じゃないですか。この家の誰よりも立派になる才能を持ってるじゃないですか」


 潤んだのは瞳だけじゃなかった。

 こんなに救われたと思えたのはいつぶりだろう。

 兄が睥睨した事で従者は怯み、後退った。


「うちの弟を舐めないでもらいたい」


 そう言い終えた後、兄が咳き込むほどに声を張り上げてくれた事へ感謝した。

 僕はもっと立派にならなければ。

 僕は兄の補佐を出来るように強くならねば。

 そう強く願った一週間。

 花火の約束の日、一足先に来ていた僕の下へ兄が来ることはなかった。




 心と喧嘩しながら、帰る僕。

 兄はビテン家の長男で家督、僕が想像するよりも忙しいのだ。

 仕方ない、仕方ない。

 一緒に行こうと誘ってくれただけでもありがたいと思わないと。

 何を高望みをしてるんだ。

 僕は馬鹿な奴だ。

 人の流れに逆らって、帰途につく僕の足元には涙の一つでは足りないほど零れ落ちていた。


「兄ちゃんの馬鹿……」


 しかし、家の扉を開けた時、心が騒めくような感覚を覚える。誰もいないように錯覚する程に暗く、物音も奥から一つだけ。

 『ただいま』と言うに少し躊躇いを感じて、奥を覗いた。

 さすれば、もの凄い剣幕で従者が駆け寄り、肩を強く掴む。


「行ってください! すぐに‼」

「どこに」

「病院にです‼ タイガ様が倒れました!」


 愕然とした。

 息がもう荒くなりつつ、踵を返す。

 肩が当たる、戻される、人混みを掻き分けて進み続けた。

『ずっとタイガ様は体調が優れなかったのです。それでも弟には知らすなと秘匿を命じられておりました。元気な姿で花火が見たいから……と』

 邪魔だ。

 どけ。

『必ず、必ず逢ってください! もう二度と逢えないかもしれません!』

 兄さまが。

 兄さまが病院に。


「兄さま‼」


 病室を覗けば、兄さまは白いベッドで寝ていた。

 顔は真っ青で、明らかに衰弱している。あれ程健康で強かった兄さまが。

 ゆっくりと瞼が開かれたが、第一声は遠いモノだった。

 花弁のように長い睫毛が動いて、まるで一輪の花が咲き誇ったかのよう。


「……じ、ジロック……」

「兄さま」


 唇が幾数の往復をする。

 あとから聴こえる声。


「逃げろ……」


 僕を突き放したその行動からとれる危険度。

 体勢を崩しつつ、窓に映る影を見た。

 ガラスを割る音と共に、一人の青年が病室に降り立つ。

 その正体は、二人から織り成す関係で突き止めるに至った。

 この人は。

 兄が先に口を開く。


「殺しに来たか、ノース」


 ヨミの兄、ノース。

 底へ足が縫い付けられたように動かなかった。それは奥底から来る恐怖と戦慄によるもの。

 ノースさんが兄さまを殺しに来た? 嘘を言え。仲の良いあの二人が殺し合いなど。


「残念だぜ、病気で死んでくれれば手間が省けたんだがな」

「ど、どうして……どうしてノースさんが、」


 冷徹に向ける眼差しから彼が正気であると察する。

 彼は本気だ。


「どうして? それが父様の任務だからだ」


 確かヨミの父親は王家の使いの者だったな。

 だからと言って兄さまを殺すとは、何とも傲慢で極悪非道。

 脳天に怒りが上がり、正常な行動が出来るか不安になる。


「理由になってませんよ、それ」

「話す気はない。順番に殺すからそこで待っておけ」

「お前、イカレてんのか?」


 その言葉を聞いて、口の端を吊り上げたノースは掌に水式を出す。

 笑いをこらえる仕草を見せた後、


「イカレてなきゃ、親友を殺そうとは思えねえだろ。【(げん)(へん)】」


 こちらへ手を向ける。少し震えた腕を抑えながら。


「【水毒(すいどく)】」


 巨大な水の塊が瞬き一つも許さない速度で迫りくる。間に合うか。いや間に合ったとして、不利な水式に対してどう返すか。

 冷や汗が体を辿る中で、自分の芯が震えあがる。

 交錯する理由を延々と考えたって無駄だ。間に合わくても、不利であっても【火式】を撃ってもがき続けなけ――。


「【源変】――【灯爆(とうばく)】」


 横からの衝撃で水の塊は、方向転換を余儀なくされ、挙句には爆ぜる炎によって霧散した。

 的確なる対処を、己から離れた場所にもやってのける才能と思考能力。

 視界にもう一人の青年の背中を捉える。

 やはり。

 やはり、そうだ。

 ――兄さまは別格なんだ。

 死のやり取りで場違いにも固唾を呑む。


「タイガ、よく動けるな」


 膝を着いて咳き込む兄のひ弱な格好を見て、駆け寄った。ノースの言う通り。病弱した体をこんなにも動かせること自体おかしい。


「生きている間は……俺がジロックの事を守るんだ」


 手を横にして、僕を守るような体勢を取る。

 もう良いんだよ、兄さま。

 後ろからの足音で我らが包囲されている事を知った。が、それは病院関係者の殺害を意味し、入院患者の命も危険に晒すという事。


「立派なことだぜ。お前の敵は幾らでもいる」

「囲まれているのか」

「一応言っておくが、医者は全員殺してある。だから、お前を殺し損ねても安心って訳だ」


 立ち上がり、二人はもう一度殺し合いを始める。

 しかし、僕はそれ所ではなかった。

 医者が殺されているだと、そんな事。じゃあ兄さま、そしてここにいる患者全員が。

 あれ、ここって。

 息が荒くなる。

 まさか。

 そんな事ないよな。

 現実に戻りて、最悪に気付く。やはり、ここは……。

 死闘を繰り広げる二人なんてお構いなしに問い掛けた疑問。


「ここって貴方(ノースさん)の妹が入院している病院ですか?」

「ああ、そうだ。あいつはお前らを殺すために死んでもらった」


 後方の見知らぬ二人から殴り込まれて、どちらも火式の掌底を食らわす。


「もっと方法があっただろ! 死なす意味なんて」

「妹だけ退院させれば、怪し込まれる。体調が優れないことを知っているお前が居るのだしな」


 粛然に見据えた事により、自覚した。確かに僕は異変に気付くだろう。

 でも、作戦として不備が多すぎるように感じてしまう。


「まあ、というのも建前で病院の人達を殺すという命令が下されている」

「な、なんで?」

「それは王家に訊いてくれ」


 居ても立っても居られない、怒りの衝動が全身に憑依していた。

 本当にイカレてやがる。


「何で悲しい顔してんだよ」


 それは兄さまの声だった。未だ聞いたの事のない冷徹な声音。


「悲しい顔なんて……」


 答えるのは、俯き気味のノース。


「していたさ。病院の皆を殺して罪悪感湧いてるのか? 殺しておいて?」

「命令だから‼」

「命令、命令。他人の命令は聞く癖に自分の命令は聞かないんだな。お前の人生はお前のものだ、他人に譲らすなよ」

「知った口を叩きやがって! タイガには一生分からねえよ」

「分かって堪るか」


 喧嘩の延長上のように戦い合う二人。

 僕では分かり切れない程に関係性は深く、思い出も沢山積んできただろう。

 同時に駆けて、技を繰り出す。

 最終局面を見た。


「〈(めい)(すい)()〉」


 肩から水平に両手を構えたタイガが放つ技。

 彼を囲む小さな炎の円に【揺灯】がなぞるよう移動する。

 手元だけで起きた小規模の爆破とは一線を画す程の高威力が保証されたこの技。

 兄さまが爆弾の如く、一瞬光る。そして僕の瞳には映っていたのだ、奥で咲き誇った花火というモノが。

 終焉の合図はいとも容易く指し示られた。




 肩を貸して歩く僕と兄さま。

 兄の息が普通ではあり得ないほど上がっていて、己の対処に不安が募る。


「はぁはぁ、もう俺はここまでのようだな……」

「まだいける!」


 追っ手を確認しつつ、自宅へと歩き続ける。


「もういい、置いて行ってくれ」

「置いて行かない」

「お前にだけは死んでほしくないんだ」

「それでも――」


 カラッ。

 屋根の上に視界を巡らした時、愕然とした。


「ノースは失敗したのか。もう少し厳しく鍛えるべきだったな」


 大刀を肩に担ぐ巨漢が、座った屋根の上で独り言を話す。

 目線は僕ら二人に注ぎながら。


「いつの間に」

「お前は……ノースの父、リーク」


 不敵な笑みを浮かべて、それっきり――。

 僕らは奴の姿を追えなかった。


「弱いな、団長のお孫さんがこの程度とは」


 横たわる僕は、土が舞いつつも前を見た。

 うつ伏せで倒れる兄さまに歩み寄ったリーク。

 剣先を首に突き付けて、横柄と見下す。

 兄さまは、もう限界だ。

 僕が何とかするしかない。

 動かせるんだ、この体を。


「まずは、一人目」


 振り下ろした大刀。だが、それよりも視界が捉えたのは、地面へ刺さった氷の矢だった。

 あれは何だ。

 そして、驚くことに矢の上から人間が出現した。

 キィィィーン。


「見た事ねえ顔だな」


 驚愕を隠せないリークの剣は、謎の男の刀によって止められている。兄さまの首元で異様な鍔迫り合いが行われた。


「カロス」

「はい」


 掛け声一つで、抱えられた兄さまが僕の下へ送られる。途轍もなく足の速い青年のお陰で。


「二人とも逃げろ」


 金髪の若人は、そう告げる。

 それを許すまいと軒並み現れる刺客たち。これら全員と相手をするその強さと目的に少しの不信感を抱きつつも。

 向けられた真剣な眼差しで甘える事にした。


「ありがとうございます」


 自身の痛みなど忘れ、兄さまを抱えてこの場を去ろうとした。

 しかし、彼らが黙ってみているはずもなく。


「逃げる事は俺が許してねえぞ」


 リークが怒鳴れば、一斉に刺客たちは襲い掛かってきた。


「僕の許可だけで」


 凍り付く程に無情な響き。


「十分だと思うけど」


 肺が凍えるほどに寒さを感じて、全身の震えが止まらなくなる。視界の隅々には、鏡の如く玲瓏な氷の壁が作られていた。

 これは【(げん)(へん)】か、【(よう)(とう)】も全く見えなかった。

 ただ彼が腕を動かした刹那、周辺の刺客は氷と化したのだ。


「何者だ、てめぇ」

「アザー、とでも名乗ろうか」


 靡かせる白き外套へ視線が釘付けとなった。

 一瞥したアザーの眼で我に返った僕は、急ぎ足で南へと逃げた。




 エスケープ山脈の麓を登る。

 後方からは花火の轟音が鳴り響いていた。

 疲れ果てた僕は、そっと兄を降ろし、真横に倒れ込んだ。


「ここまで来れば大丈夫だろ」

「ありがとな……ジロック」

「兄さまを守るのが弟の務めなんだから」


 吐いた笑いからは、以前の覇気は感じられない。

 体も限界に近いのだろう。


「お前は、この国を背負う人物になる」

「急に何を」

「特別なんだ、ジロックは」

「兄さまだって――」

「聞け‼」


 怒号が耳に届いた。限界に近いからこそ僕へ託そうとするその気持ちが気に食わなかった。


「食事はしっかりとれ、健康でいつも戦えるようにな」

「……う、うん」

「従者の言う事も聞いてやれ、怒るのもお前の事を思ってだ」

「……うん」

「家族とは仲良くしろ、特に気難しい父様だが、会話は大事だ。毎日欠かさぬようにな」

「うん」

「友達とも上手く付き合っていけ、自分を大きく成長させてくれる存在だ。大切にしろ」

「うん!」

「そして努力を続けろ、お前をどんどん高みへ連れていく」

「うん‼」


 双眸には収まらない涙が、頬を伝った。


「『努力は才能を超える』と皆が口にするがな、本当は誰一人納得していないんだ。それでも、俺はそうであると願ってるよ。じゃなきゃ俺がお前の先を走れないだろ?」

「いや兄さまの方が……」


 今まで溜めていた全てを吐き出すように吐露した。


「俺は天才じゃない」


 これが兄さまの本音。


「兄としてお前を守るために強くなっただけさ。何事もお前の助けになれるようにな。存分に物事に走れ、ぶつかってみせろ。間違えた時には俺が責任を取ってやる」


 兄さまが泣いている姿を初めて見た気がする。

 いつも長男として完璧でいた彼への幻想は、もう捨てなければならない。


「と言えたら良かったんだけどな……」


 生きてよ。

 死なないでよ。


「ジロック、お前はもう一人で頂へ行けるだろ?」

「行けないよ」

「一緒に行くことは出来ないが……見てやる事は出来る。いつでも応援しているよ」

「セイム婆様が言ってただろ? 『時の人』が来るまで耐えるんだって! それまで耐えなければいけないんだって!」


 ドォォォォーーーーン。


「生きなきゃダメだァ‼」


 ゆっくりと瞼を落とす。


「花火、一緒に見れなくてごめんな」


 花火の音よりも長く耳に滞在した最後の言葉。

 そうして兄は息を引き取った。

 滂沱の涙が兄の整った顔へ襲う。

 もう受け入れない。

 この事実を本物だと思いたくない。

 後方には無傷のアザーさんが佇んでいた。


「受け入れるんだ、それが強さへの道となる」


 それだけを言い残し、この場を去った。

 だが、己を変えるには十分だった。

 追いかける目標は高い方がいい、アザーさんのような高みが。

 その時は、彼が光翼団団員であり、副団長へ就任するとは思いもしなかった。


 花火を見た。

 頂に辿り着いた光は、爆発して散り散りとなる。

 それからは火花は、落ちてゆくばかりだ。爆ぜた光はもう頂を越せない。

 だから、僕はそうは成りたくないと思ったんだ。

 ――花火の如く。


 更新が遅くなりました、すみません。

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