第15話 「自覚が」
「過去に過ちを犯した自分への復讐とも言えましょうか」
『その優しさに何の意味があるの』
この問いへの回答を口にした後に気付く。
暗い景色の中で表す、呆気に取られた表情。
何言ってんだ、オレ。先輩は、何もそこまでの事聞いてねえよ。
「あ、いや、別にあの子に何かした訳じゃないですよ。なんていうか、優しくした方が人のためになるから。前、店の人に酷い事したので、人に優しくしようとかそういう事で」
狼狽したオレは、両手をあわあわと彷徨わせて、苦し紛れの嘘をついた。
言葉を繋げれば繋げるほどに意味不明な内容へと変わり果てる。
不器用な笑みが張り付いた。それに釣られて顔を歪ませる彼女。
しかし、連鎖した笑いは随分浄化されたものだった。
「そっか」
そう一言。
「ホルンも優しい子だった」
「え?」
自然と声が出た。
俯くメディオーサに、ホルンとの思い出があっただなんて。
「小さい頃に何回か会った事があるんだ、うちの父が結構偉くて、ホルンの父親とも仲が良かったから。まあ親同士の繋がりってやつ。それで遊んだこともあったけ」
一点を見るような黒い瞳にはきっと過去が映っている。
彼女らが築いてきた関係性と共に。
「皆のために尽くす子って感じ。小さい時から自己犠牲の塊だったよ。そうしていつからか私の憧れになった。強くて優しくて可愛くて、少し馬鹿なところもあったけど」
「そこもある意味では長所」
「そう! 私にとっては理想の人。そんな子とこれから戦っていくのだと嬉しくなった。だから、死んだと聞いた時はショックで落ち込んだよ」
何とも言えない。
彼女の前で、オレの所為だと言ってしまいそうで口を噤む。
「でもその時に知ったんだ。ホルンが守った人物がいる……それが君だと」
潤む目が細く伸び、口角が上がる。
「君はよく頑張ったよ、ほんと……私は、頑張れなかった。あの時もそう……弱いままで」
「弱くなんて」
「やめて、弱いの! 私は何も変わってない。ただ弱いだけ……あれから何にも」
糾弾する言動が己をも突き刺さる勢いで放たれた。
まるで自分を見ている気分になる。烏滸がましいのを承知で、彼女も同じなのだなと静謐に感じた。
だが、踏み入れない領域。彼女が経験した過去にはどうしても踏み入れないものがある。
閑散とした空気が絶妙に漂う。
怒ってしまったか。
どうすれば良いだろう。ここは謝罪を、
「ごめんね、カッとしちゃった」
座る彼女は、膝に当たる程度に頭を下げる。
自嘲している声音にオレは強く反発を抱いた。
「先輩が謝る事じゃないですって。オレが勝手な事言っただけですから」
「……うん」
まだ顔を若干下げている。お互い納得がいかない。
「でも、これだけは言わせて下さい。先輩は弱くなんかありませんよ。だって、不変を恐れるのは強者の条件であり証拠ですから。弱くありません、絶対に」
目を合わせる代償に乱れた長髪が顔へかかる。耳に髪をかける仕草の過程で、苦笑から笑みへと変化した。
少し童顔、子供に戻ったような本来の可愛い笑顔に。
「……抱っこして」
顔を赤らませ、甘える声で言う。
「お姫様抱っこ」
「何でですか」
急な懇願。ただいまオレは試験中なんだが。この人、完全にその事忘れてるよな。
「歩けないから」
「いや、そうじゃなくて……おんぶで良いじゃないですか」
「言ってなかったけど、おんぶだと腹の傷が痛むんだよ」
「あ」
「気付いてなかったの」
「はい」
「学校までお願い」
もう何言っても聞きそうにない自分勝手なお人。そこが何だが懐かしさを感じ、心地良く感じてしまう。
歩み寄り、屈んだ。
「はいはい、分かりましたよ」
膝の裏と小さな腰に手を回して持ち上げる。
それから夜の道を南に進んだ。鼓動が聴こえてしまいそうで、何処か緊張してしまう。
オレがお姫様抱っこなんて性に合ってないな。恥ずかしいですね、なんて口にしようとした瞬間。
突然、彼女はオレの胸を掴み、縮こまった。
弱音を吐く体勢で『黙って聞いて』と言う。
「私の父は今、堕天軍にいる。理由はどうであれ、この国を裏切った不法者。殺さなくちゃならない。だから、誰かに殺されるなら私の手で殺したいの。愛していたからこそ、私の手で」
どうして今、話そうと思ったのか分からない。
ただ、オレはこの話を聞いて不思議とこう思った。
――他人事ではないと。
何故か、頭に過ったのだ。
未来で大事な人と戦う自分の姿が。
あれは誰だ……。
「……分かる気が、します」
「堕天軍に大事な人がいるの?」
「居ませんよ、まずオレに大事な人なんか……」
大事な人を思い浮かべた。
でも、最初に浮かべた人々は消えて。
銀髪の少女が、金髪の若人が、白髪交じりの老人が、赤髪の女性が長く映り込んだ。記憶は塗り替わっていく。過ごした時間は更新される。ならば、大事な人も。
変わってはいくのだろうか。
「居るんだね」
「そうだと良いです」
心に問うた。本当に居るのかと。
答えは勿論、帰っては来ない。
気配が騒がしくなる。
近くに誰かが居ると分かったが、先輩を担いでいるため戦闘は避けた。敵意も感じられないし、大丈夫だろう。
「ねぇねぇ、どうした?」
「いや、何でもないです」
そう返事する頃には、寝息を立てていた。
それからは物音立てず、移動することを心掛けたためか、到着時間は少し押してしまった。
まだ日の出していない夜中、しかし森の奥から光が見える。
進んでみると、それは松明の明かりだった。円錐型の天幕が並び、多くの人が寝泊まりをしている。見覚えがあるため、あの人たちは学校関係者だろう。
と言う事は、ここは橋の前。
「着きましたよ」
「むにゃむにゃ」
口をパクパクするメディオーサ先輩は、絶賛睡眠の途中だ。起こすのも悪いし、誰かに預けてここを去ろう。
そう思った矢先、貫禄のある声で呼び止められる。
「何用ですか?」
椅子に座っていた老人が近づいて疑問を呈した。疲労など見えもしない溌剌な表情には、流石だと感心するしかない。
「エディオーク校長。あの、メディオーサ先輩を連れてきました」
「貴方がですか……感謝します」
虚を突かれたような反応に多少なりとも高揚感と達成感が上がる。一人でなくとも先輩を倒したんだ。それも去年次席合格のメディオーサ先輩に。
騒めく周辺の先生を眺めていく。さすれば、多くの受験者が横たわり、治療を受けていた。
「これは?」
「リタイアした者たちです。受験続行を不可能とした損傷などで殺到している。まあ半分はこの娘の所為でしょう」
緑の揺らぎが各所で光り輝く。
ざっと七十人近くの負傷者。【戦復】を持つ天術者が彼らに対応しているが、如何せんそう使える者はいない。今も悶え苦しみながら、その時を待っている状態だ。
半分は刀傷や細かい傷。そして、もう半分は重度の火傷や生々しい欠損が見られる。前者はメディオーサ先輩で間違いないとして、後者もまた一人による仕業と感じ取れる。火式の天術者であろうが、これは相当な手練れだ。
「もしかして、もう半分は」
「ええ、ジロック・ビテン。彼でしょうな」
やはりか。
今年の首席候補であり、サルビア団長の息子。当然と言えば、当然。
だが、ここまで暴れているとは。
オレも、うかうかしてられない。
「先輩をあげます」
「はい」
先輩を校長先生に渡す時、綺麗な瞼が開かれた。
数回の瞬きのあと、言葉を発する。
「君、首席合格するつもり?」
「はい」
先輩はいつも話が飛躍する。しかし、返事はすぐに。
慣れてしまうのも悪くないなと正直思った。
迷いのない返事に、彼女は目を細めて。
「じゃあ次席合格を願ってる」
「理由を訊いても」
「君と学校生活を過ごしてみたいから」
「悪くなさそうだ」
「それは良かった」
背を向けた瞬間に掌で押し出され、その拍子で数歩前へ。
謝罪、感謝、応援、彼女なりの気持ちが伝わってくるようだった。
一人の足音が夜に響いた。
「ライくん‼」
「レイン! 起きてたんだ」
息が荒いレインは、寝癖を直すかのように手を頭に置いている。飛び起きたのだと推測容易いが、そんな事を彼女には言わない。
「うん、頑張って!」
いつまでも健気に手だけを振って。
『居ませんよ、まずオレに大事な人なんか……』
言葉が頭を過る中で、事実を突きつけられる。
レインだけは、いつもオレの傍にいてくれた。それはきっとお願いしたからだろう。
『なら、一生傍にいてくれ。もう嫌なんだ。誰かが居なくなるのが』
去年、オレが彼女と首席合格祝いでデートへ行った時に放った言葉。こんなにも重い語をレインに乗せてしまった事へ悔やむと同時。それを今まで守って、ずっと同じ空間に身を置いてくれたレインには感謝しかなかった。
本当は歩幅を合わせていた彼女。
前だけを必死に歩いたオレ。
もう甘えてはいられないだろ。
「オレ、レインの横に居たい」
「そう、いつでも空いてるわ」
踵を返す。
『私も同じよ』と聴こえたのは幻聴なのかもしれない。
でも、同じ瞬間に同じように笑ったのは長年の付き合いで分かった。
二日目の朝、北東寄りの森。
茶髪の少女は、圧倒的強さで複数の受験者を打ち倒した。
「ふぅ」
額の汗を拭う彼女、フルートは宝石の数に目を輝かせた。
現状、白が十五個、青が十五個、茶色が十三個、赤が七個。風式であるため赤の宝石の価値が二倍となり、点数は570。
しかし、彼女は馬鹿なので宝石を食料や寝床に費やし、挙句の果て赤の宝石を対価で支払うという完全に脳みそが足りない行動をしたのだが、未だ首席合格圏内だ。
メディオーサという誤算の戦いもあり疲労は溜まりつつも、順調すぎるほどの躍進を彼女は遂げている。
奴に会うまでは。
枝の折れた音でフルートは振り返る。
睥睨するのは、試験前から奴の態度を忌み嫌っていたからだ。
「ここで会うなんて偶然じゃねえか」
「……ヨミ」
空笑いを挟み、悠然と距離を近づけた。
「こっち来ないで」
「ほんと顔が似てるぜ、本人じゃねえのか?」
「誰の事? ずっと言ってるけど……」
「まぁいい、ちょっと俺と来てもらおうか」
「嫌」
真面な会話になり得ない彼へ不信感と嫌悪感が増すのは当然であり、戦闘態勢を取るのも頷ける。
それは、ヨミも理解を示す所だった。
「そうだよな、簡単には行かねえよな」
なら、と掌から水が湧き出る。
「戦うしかねえよな」
お得意の不敵な笑みを浮かべたヨミは、【揺灯】を見せるフルートへ襲い掛かった。
冷涼な風と波打つ水が相対する。
この戦いが後々の波乱を巻き起こす結果になろうとは彼らさえも分かりはしなかった。
太陽が真上を通り過ぎる少し前、オレは南端の村へ辿り着いた。
スタート地点からひたすらに歩き、ようやくといった所だ。任務内容である『騎士の剣』を作るために、鍛冶屋がある南端の村へ赴いた。
訳だが、もし鍛冶屋がなかったら、もし作ることができなかったら、もし宝石が足りなかったらと様々な悪い考えを思い浮かべてしまう。
しかし、それは杞憂だった。
「『騎士の剣』? 作れるぜ」
「本当ですか」
「ああ。少し時間はかかるが、それでいいか?」
「はい、お願いします」
「じゃあ対価として宝石は、八個だ」
唾を吞んだオレは、すぐさま宝石袋を漁った。
第一に感じた事、それは安いだった。刀が宝石四個だった手前、二桁であろうと身構えていたのだが、嬉しい誤算だ。
途中、二つの宝箱と四人の受験者から略奪した事により、宝石は十分にあった。白が十六個、青が十個、茶が十一個、赤が六個。合計四十三個の点数490点。
皆の点数は推測できないが、特段悪くないとも思っている。
鍛冶屋の男が宝石を受け取るよう掌を差し出した。
これから火式のジロックと戦うとなれば、火式の不利属性である水式の青は奴にとって価値が二倍になる。
なればと、青色の宝石を八個手渡した。
これで合計三十五個、点数410点。
任務にはもう思考を削がなくて良いとなると、今からは宝石集めが主軸。
現状、首席合格には程遠いと分かっているが、焦る必要もない。なんせオレに適した試験内容だ。
頭で気配を探り、敵の強さを見極めれば、容易に宝石を集める事が出来るだろう。
だが、考えは甘かった。
『騎士の剣』を背に担ぐオレは、炎の海に中で膝を着き、刀だけを握り締めていた。
簡単な勘違いから導かれる決定的な失敗。
オレは彼が、
彼が脅威であると分かっていたのに。
「よぉ」
足跡から灯が燃え上がる。
「なぜ……」
それは何故オレに会えたのかという問い。
彼は問いには答えず、しかしながらオレとの邂逅で何かを得たようだった。
「やはりそうか」
当初の雰囲気とは全く違う。
物凄い剣幕の彼は、激昂しているようだ。
言葉を繋げる。
「なぜと聞き返したいのは俺の方なんだがな」
「は……?」
意味不明の発言に疑問を抱きつつも、自分とどうやって出会ったのか。そこに思考を費やした。
頭に休憩を与えたつもりはない。
気配を感じる事もなかった。
そう、オレは奴との交戦を望んだ訳じゃない。
この対戦を可能にしようものなら、オレの頭が察知できる範囲外から有り得ない速度でここまで来るしかない。
いや、彼なら出来る。
ジロックなら。
「決着をつけようか」
炎が渦巻く空間を広げつつ、ジロックは水平に持った薙刀で地面を叩いた。
「その選択肢しかなさそうだな」
震える足を立ち上がらせて、刀を構える。
だが、ジロックは首を傾げていた。
「お前に勝利という選択もないだろ」
鈍る思考の下、オレは腹へ食らった炎の拳によって一瞬だけ意識を刈り取られた。
それは、ジロックとオレとの実力差を語るには十分すぎるほどだった。
「どうしてだ……」
その問いの答えをオレは生憎と持っていなかった。
立ち尽くす彼にはただ哀愁が漂っている。
俺は、奴が憎い。
気付いてしまった、彼の本当の姿を。
だから、憎い。
なぜアザーさんは、あいつのような者と居るのか、不思議で堪らなかった。
「ライ、お前のような者がアザーさんと行動を共にしていいはずがない」
「は、なんで?」
「言葉で言っても無駄か」
俺の願いはアザー部隊への入隊。恩人アザーさんの隣で戦ってみたい、ただそれだけ。
それだけだった。
ライ、お前は罪だ。倒さなければならない対象だ。
信じていたのに。
お前とは上手くやっていけると思った。
だが、事実は事実。
俺にはこうするしか思いつかない。
「【源変】」
手に火と【揺灯】を灯して。
「【灯爆】」
白光に包まれるその場所が、いとも簡単に破壊される。激震を走らせる炎が円状に進んだ結果だ。
俺の源変は、火式を爆発させる。広範囲かつ高威力、移動や防御にも使えるため、火式において最強格の源変と言えるだろう。
それを直撃したライだが、何とか体勢を整えた。
ただ俺から言わせてみれば、奴はもう満身創痍。
「殺す気で来い、でなきゃ死ぬぞ」
「殺さない」
「じゃあ死ね」
「死にもしない」
怒りが募る。
まだ甘えるのか、こいつは。
薙刀を振って感情を露にした。
「お前自身も分かっているんだろ? 本当は自分が何者なのか!」
「ああ、分かっているさ! 共通点を繋いでいけば嫌でも分かってくる」
「じゃあ何で」
「無理なんだ! 足りないんだ! 己の強さが! 己の」
真っ直ぐ向けられた眼差しを受け止める事は敵わなかった。
救いを求めるような、弱く揺れた瞳。
「――自覚が」