第9話 「笑った」
朝日を背にオレは、ジアーツ家の墓から離れる。
もう肌寒くないな、と他人事のように思う。
もう涙を終わなければならない。
生きた証になると約束したんだ。
平和が一番似合うとも言われた。
でも、オレは戦いたい。
平和な時代を作って、生きた証を後世まで残したい。
それが、オレの初めての夢だった。
墓はアザー邸の庭に造ってもらった。
アザー邸は、光翼団総本部を構えるサフェンスにあるとて中心街にある訳ではない。人気のない森、シルよりも栄えた街並みが見える高台の上にあるのだ。
高台、いやエスケープ山脈の上に。
そう、英雄が眠る墓があったあの山脈。シルとサフェンスの距離は想像以上に近かった。
だが、この山脈を越えてシルに行こう、と思えるほど甘くはない。
天空を衝く程の尾根が東西に断絶するよう広がる、別名『天空の壁』。一度、頂上に辿り着けば、何にも逃げられるとされている程に高い。
間近で見るエスケープ山脈は、傲然と屹立し、生命と自然との力量を思い知らされる気分だった。
光翼団がシルを断固として死守したかった理由がようやく分かる。
そんな訳で、英雄が眠る墓と同じく、アザー邸もまた低地に位置する。ここら全てがアザーさんの私有地らしいが、褒美で与えられたのか、買い取ったのかは定かではない。
思考を巡らして歩くと、朝食の匂いを打ち薫った。
ああ、これはキジさんの料理だ。そう思って扉を開ける。
「おはようございます、ライ様。墓参りですか」
竈の炎を調節するため、薪を入れていたキジさんが振り向く。火式ではなく自然の炎へ拘るキジさんに少し笑いが込み上げてきながらも、質問を投げかけた。
「はい、アザー副団長は?」
「自室で新聞を読んでらっしゃいます。朝食はどうされますか?」
「話があるので今は大丈夫です」
「そうですか、ちょうどコーヒーを届けにいくつもりだったので一緒に参りましょう」
盆にカップを置いたキジさんと、廊下を並列になって歩く。
今しかないのかもしれない。
キジさんの謎を解くのは、今しか。
内に秘めた問いが頭を巡回し、やはり躊躇ってしまう。
「キジさん……」
出来たのは名前を呼ぶことだけ。
「怒ってもいいのですよ」
だけど、キジさんはその行動を見透かしたように言葉を繋げて来た。
それがオレの心に火をつける。
「怒りませんよ、だけど確認させてください」
俯く目線を上げて、キジと合わせる。
「キジさん、あなたはアザー部隊の隊員だった。そうですよね」
「ええ……理由は聞かないのですか?」
「聞いても多分オレじゃ理解できない。シルはイスタルクの中でも重要拠点でしょうし、アザー部隊は少し特殊だとも分かっている。それに、理由なんて無くてもオレはキジさんを信じてますから」
フフフっと擽るような笑いに少し安堵した。
口に手を当てて肩を揺らす彼女は、とても清廉な人を思わせ、ジアーツ家でも度々見せていた姿だった。内面までは偽っていなかったのだと、ただ安心したのだ。
「私はアザー部隊に入隊したのち、死んだ者とされています。本名はテイク。これは私がライ様を信頼する証です」
立ち止まり真っ直ぐ向ける目。
二人からは、シルの枷は外れかけていた。
新しい関係性に、新しい景色に辿り着こうと、更にまた歩みを進める。
正面の机、椅子に座って肘をつき、合わせた手に顎を乗せるアザーへ、オレは決心を告げた。アザーは、眉を寄せて自身の言葉を繰り返す。
「やれやれ、光翼団に入りたい、か……」
「ライ様が危険を冒す必要などないのでは」
コーヒーを机に置いたキジは、盆を抱える。自分が入団するのを厭う様子だった。
「今のままじゃオレのために死んでいった人に面目が立ちません。どうか光翼団に入れてください」
お願いします、と言うと共に深く頭を下げる。
後ろで手を組むレインの難しい顔が、視界の端で捉える。
「ライくん。光翼団ってのは、いきなり入れるものでもないのよ」
「え、そうなの?」
「まず、一般的に天術学校を三年間在籍したのち卒業してようやく光翼団団員となれる。だが、その天術学校に入学するにも試験がある。簡単には団員にはなれんだろうのう」
端の椅子で刀を杖替わりにして座るムシャドーが説明してくれる。
というか、レインとムシャドーさんが平然な顔してアザー副団長の部屋にいるの何なんだ。
「それに君は十四歳、十五歳しか試験は受けられないのよ」
「「「え?」」」
その言葉に納得すると同時に驚嘆の声が出た。他の人達も同じようだった。
「なんでオレの歳を?」
「分かるのですか、レイン」
「え、言ってなかったかしら。私、人の年齢が分かるんです」
そんな特技あるのかよ。
自分へ指差し、僕の歳を当ててみろと挑発気味に笑うアザー。
「副団長、二十九歳」
「合ってる」
「わしは?」
「ムシャドーさん、六十歳」
「そうだったかのう」
いや覚えてないのかよ。
「私は?」
「キジさん、三十五歳」
「ワザとですよね」
キジさんの見た事のない顔にレインは怯み、もう一度言い直す。
「副団長と同い年の二十九歳です」
「はい、合ってます」
「じゃあ」
オレは、
「ライくん、十四歳」
オレはカルガと同い年だったのか。生きていれば一緒に……。一緒に天術学校へ迎えれたのに。
そう言えば、レインは何歳なのだろう。大人びて見えるいつも恰好からでは想像も推測もたたなかった。
「レインは何歳なんだよ」
「それ聞くかしら……君の一つ上よ」
目を眇めたレインは、恥じらい逡巡した間合いで答えた。女性に年齢を訊くのは、禁止されているとかホルンも言ってたような。
凝視していると、レインが何よ、と体を守るような姿勢を取ってきた。
彼女とは上手く距離を縮めれており、今は一緒にいる事が多い。
そういう面でも、レインがホルンと同い年なのは存外だった。多分、幼くみえるホルンが対照だからだろうな、と独り笑っていた。
「私は今年、天術学校の入試試験。絶対首席合格するわ」
「言い忘れていたが、首席合格をすれば、天術学校を入学せず最短の十五歳で光翼団に入団出来る。まあ簡単じゃなかろうがな」
「因みにその制度を作ったのは、こちらのアザー副団長です」
レインは決意を、ムシャドーは首席合格に拘る理由と術を、キジはアザーの功績を、各々語り出す。
レインが今年十五歳で光翼団に入るつもりなのが何とも意外だ。戦うのを好まない性格のようだったし、実際戦っている様子も見たことがない。しかし、副団長の近くにいるという事はおそらく強いのだろう。首席を狙える位置に必ずいる。
首席か。
首席合格で光翼団入団、これを叶えれる事が出来れば……。
確か、公平新聞にもホルンが首席候補になったと書いてあった。少なくともホルン同等の力を得なければ、首席にはなれない。何とも厳しい世界だ。
それをオレが叶えれるのか。
いや、叶えるんだ。
キジさんの発言に、よせ、と手をひらひらとさせるアザーは、粛然と自身を見据えた。
「まあ、今ここで話していても始まらない。ライ、君の実力を見せてもらうよ」
「はい!」
精一杯の声でオレは返事をした。
緑の葉が日差しに当てられ光り輝く。頬に汗を流す程の暑さが今襲来した。
夏間近。オレにとっては少し過ごしにくい。寒い方が好きだと最近知った。
雑草が足首を擽るそんな場所で、アザー、キジ、ムシャドー、レイン、そしてオレが佇む。
「実力を測るのでしょ、なら私が適任だと思うのだけれど」
レインは、副団長に一瞥し確認を取った。
それは、この中で一番弱いからなのか。それとも何か他に理由があるのか。そんな甲斐のない事を考えてしまう。
「そうだね、レインと戦ってもらおう」
同意を貰ったレインは愉悦を零して、オレの視線を受け止めた。
「だが、レインは天術なしだ」
「わかったわ」
オレは、正当なハンデと解釈した。ホルンに対して歯が立たなかった自身が、レインと同じ条件で戦っても実力など測ることすらままならないだろう。
だが、オレが確実に強くなったのもまた事実。
目を伏せる。
頭を空にする。
右手を胸に当てて、風を吹き荒らせる。
髪が浮き上がり、白き外套がはためいた。
体の中で風を靡かせる感覚。
風よ、巡れ。
「【巡鎧纏】」
発光する拳を開閉して、精度を確かめる。
よっし問題ない。
「ほう、まぐれではなかったか」
「やれやれ、こうも簡単に出来てもらうと困るなぁ」
「ライ様も成長なさって……」
皆々が感想を口にする中で、レインは顔色一つ変えない。
平然とした面持ちで、戦闘態勢を取った。
「私が美しいからって情けはかけちゃダメよ。ライくん」
『情けはかけちゃダメ。可愛いあたしにもね』そんな言葉が頭を過る。
「かけないよ、二度と」
彼女はオレの実力を認めてくれているようで嬉しかった。
レインに本気をぶつける。
鳥が鳴く。それが合図だった。
人並外れた力で地面を蹴ったオレは、早速攻撃を仕掛ける。真然術風式を纏った拳を彼女の腹へ押し込もうとした。
彼女の眼が瞬時に動く。
無駄のない動きで掌をオレの拳と衝突させ、打撃の音が響き渡らせる。
反応速度が異常だ、多分ホルンよりもずっといい。
風で加速させた蹴りも、上腕で軽く弾かれた。
だが、反撃を行ってこない彼女。
オレの一発を警戒しての事だろうか。確かに相打ちとなった場合、威力を同等としても身体の硬度が上昇しているオレの方が有利だ。確実なる隙を見せない限り、オレが指導権を握ってられる。
左右に殴る、蹴ると多種多様な攻撃をオレは繰り出した。
しかし、彼女は何食わぬ顔で防御する。
何処か寂しそうな雰囲気も漂わせながら。
だったら。
拳の連撃のあと、上段蹴りを敢行する。
思惑通り、防がれた。
だが、オレの作戦はこれからだ。
オレの足とレインの腕が触れている今。
「【風式・改】」
「そんなの今更――」
足先から風が放たれた。
そして、舞った。
レインの身体が。
「え?」
驚愕するのも無理はない。
普通、オレ程度が出せる風式などで人間の身体を浮かせる事なんて不可能だ。
だが、オレは真然術をシルの時から鍛えてきた。
毎日、欠かさず。諦念する心に負けずに。
そして、いつしか体の端に風式を溜める事が出来るようになっていた。
これにより、溜めた風式を一気に放出し、莫大なる威力と衝撃を繰り出せるようになったのだ。彼女にも防げない理不尽な風を。
体一個分飛び上がる彼女を追う。
もう一発、拳に用意してある。
あとは彼女の着地を待たずに放つだけ。
「【風式・改】」
傲然としたオレの風が、レインを襲う。
空気が波動し、レインを飛ばそうと更に力は動いた。
あ。
だが、彼女の眼が動く。
まずい。
肌が触れ合う音。
吹き上がる体に無理を言わせ、レインはオレの手首を掴んだ。
間髪入れずに、オレの体を横へ投げる。
流石の身のこなし。宙にいながらも、攻撃を往なすのか。
数回転がりつつも、手をついて態勢を整わせる。
やはり、首席合格を狙うだけはあ――、
頭に針が刺さったような痛みを伴う。
異変を感じ、前を向いた。
眼前、ひらりと布のような物が舞う。それがスカートの裾だと分かった時、オレは後方に飛ばされていた。
レインの飛び蹴りを食らったのだった。
咄嗟に腕で防御していたが、苛烈な衝撃が体を襲う。そのまま、受け身を取れず樹木に激突した。歯を食いしばりながら、痛みと反省で眉を寄せる。
「油断したわね」
そう油断した。
反撃を仕掛けない彼女を見て、決定打がないのだと錯覚していた。こちらが攻撃、あちらが防御だと思い込みをしていたんだ。
「しかし、よく反応したわ」
「異変を感じてな」
「……そう」
何度か経験のある頭の異変。何が何だが自分でも分からないのだが……。
いや、そんな事どうでもいい。
まず、天術を使ってないからって彼女を侮るな。
速くて重い蹴り。二度は食らえない。
そう警戒を強め、痙攣する左手を抑え込んだ。
立ち上がる。
深呼吸をして雑念を払った。
「行くぞ、レイン」
「いつでもどうぞ」
そうしてオレらは、再び戦闘へと戻った。
「大丈夫ですか?」
キジさんが駆け寄る中で、悠然とレインは立ち尽くていた。
「いや、まだ。まだ……いけます」
「いや、もういいよ」
アザー副団長は、冷厳な眼差しで己を捉え、手で制する。
いつもとは面影が違う。殺伐とした空気がすぐに充満した。
「副団長、オレ……」
「実力は測れたかのう、レイン」
「ええ」
あの後、結局三度も蹴りを食らい、立ち上がる事すら不可能な状態に陥った。
散々な結果に終わり、高い評価を得られないことは自身でも分かっている。
それでも、光翼団に入りたい。今すぐにでも。
だから、何としてでも説得して修行をつけてもらう。
乾く喉を潤し、レインの言葉を待った。
粛然とした態度でレインは、アザー副団長とムシャドーさんに向き合う。
「――ライくんは、素晴らしい実力を持っている」
こんな言葉が吐かれようとは微塵も思わず。
「首席合格も不可能ではありません」
口が塞がらないとは事ことだろう。
心が躍り、今にも叫びたくなった。
「しかし、問題点もいくつかあります。まず、巡鎧纏が荒い。身体と風式が完璧に合致しているとは言い難く、本来の力を引き出せていません。次に、防御が疎か。天術を使用していない私の攻撃を防ぎきれないようでは後々厳しいと思われます。最後に決め手がない。風式を溜めて私を浮かせた時は驚きましたが、仕留め損ねいますし、到底決定打にはなり得ないです。以上三つの観点を修正すれば、首席も夢ではないかと」
これを聞き、自身の力に落胆したというより、レインの力に驚愕したという方が近かった。レインの指摘は、烏滸がましいかもしれないが、的確だった。
顎を擦りながら、考えを巡らすアザー副団長。淡々と独り言のように口走った。
「確かに、身体能力は非常に高いし、機転も効く」
「諦めの悪さも良いとこかのう」
続け様にムシャドーさんが、自身の詳細を補足した。
「ムシャドー任せられるか」
副団長は、ムシャドーへ一瞥し、何かを頼んだ。
「それしかわしもないと思っておった」
その何かは、もう明白だ。
「わしがお主の師匠となろうぞ」
ムシャドーさんは、はっきりオレを見て、そう口にした。
喜びを鎮めて、表情を嚙み殺し、これからの挨拶を行う。
「よ、よろしくお願いします。ムシャドーさん」
「いや師匠と呼べ」
意外と名称を気にする人なんだと、可笑しく思いながら命令に応える。
「いや師匠、よろしくお願いします!」
「『いや』はいらん」
「師匠」
レインが口に手を当てて、くすくすと笑っている。
「明日から修行を始める、レインも付き合ってあげてくれ」
「了解です」
すぐに切り替え、レインは透き通る声で返事をした。
アザー副団長とムシャドーさんは踵を返す。
厳然な背には、権威を指し示しており、強さが滲み出るようだった。
まじまじと見る二人は、異様な気配が漂っている。
そんな人たちの下で、修行を受けられる事。そしてホルンの念願だったアザー部隊の入隊が現実を帯びてきた事に、喜々としないのは難しかった。
拳を握って、心の中で叫ぶ。
『よっっっっっっっっっし‼』
波打つ髪を下に降ろし、頭を下げていたレインは、二人が通り過ぎたと同時にこちらへ目線を合わせた。そして、すぐさま駆け寄る。
未だ体を自由に動かせないオレの周りに、キジさんとレインが集まった。
風が吹く。
まだまだ道のりは長いかもしれない。
だが、一歩前進した。
今はそれでいいのだと、成長の実感に触れて思う。
これから、オレは強くなっていく。
口が動いた。
ああ、久しぶりかもしれない。
今ある光景に心から――、
笑った。