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ある日、ルーシャが国政について勉強をしていると、何やら離宮内が騒がしくなった。使用人たちが掃除をするときでもこんなに騒がしくなったりしない。
しきりにドアを開け閉めするようなバタン、バタンという音がして、廊下へとつながる扉を見た。しばらく音が続いてから、ついにルーシャの自室の扉が乱暴に開いた。
外にいた人間を見てルーシャは目を丸くした。
そこにいたのは、何やらこわばった表情をしているアンジェリカだ。彼女の目の下にはお化粧の上からでもわかる隈があり少しやつれている様子だった。
指についていた宝石の数も前回会った時より減っている。
「貴方! あたくしのクリフ殿下に何をしたのですか!」
開口一番そういってルーシャの部屋にずかずかと入ってくる。
生活スペースに勝手に入られたことにルーシャも少し機嫌が悪くなったが、そんなことは興味もないとばかりに勉強机から振り返ったルーシャの目の前に立った。
「それに何よ、気持ち悪いですわ! 何なのこの、離宮。使用人に声をかけてもみんなそそくさと俯いてどこかに行くってどういうことですの?! クリフが来るときだけのパフォーマンスのはずでしょう?!」
心底理解できない、そんな顔をしてアンジェリカはルーシャを見下ろした。
言うことは決めていたが、自分の意志で初めてこの離宮に入って、異常さに気がつき口に出さずにはいられなかった。そんなところだろうかとルーシャは考えた。
この離宮以外の事をルーシャはあまり覚えていないので比較対象がないのだが、普通ではないということは知っている。
そしてその状況をクリフも正しく知っていたはずなのにアンジェリカにそんな風に説明していたなんて酷い話だ。
「クリフが心の底からそう思っていたのなら、勝手にそう思いこんだんでしょうね。私と婚約破棄をしたいという自己中心的な願いを正当化するために」
「何よそれ、ありえないことですわ。きっと何かの勘違いよ! 知らなかったのですのよ!」
アンジェリカはいまだにクリフの非を認める気はないらしく、庇うように言う。
それに対して、彼女がどう思っていようとルーシャには関係がないので特に何も言わずに本題に戻そうと口を開く。
「……そんなことより、何の御用でしょうか。連絡もなく勝手に離宮に上がり込み私の私室に入って、それが社交界に参加できる立派な貴族のマナーなんですか?」
たっぷりと嫌味を込めて言う。
ここ最近ずっと彼女たちの事を考えていたのだ。何度も何度も酷い事を言われた時の気持ちを反芻しては恨んで、どんな風にひどい目にあってほしいか想像して祈る。
何かやらなければならないことをやっているとき以外は、そうして過ごしている。
幸い、この離宮には新しく何か起こるということもない。
ずっと盲目にクリフを愛せたように、今度は何もないこの場所で彼らを呪い続けることが出来る。
「はっ、貴方に礼儀など尽くす必要もないもの、このごく潰し聖女」
軽蔑しているような冷たい目線、そんなものを浴びせられようともあの日のルーシャとはもう違う、突然の事に困惑して弱い部分を見せてしまった自分ではない。
今は覚悟が決まっている。
ルーシャも同じように彼女に冷たい目線を返して、そんな言葉ではまるで傷ついていないみたいな顔をした。
「腹の立つ顔ですわ、いい加減にしなさいよ!」
何か挑発を口にしたわけでもないのに、アンジェリカは声をあげて怒りだし、その熱量を保ったままルーシャに言う。
「クリフ殿下に何をしたの?! 素直に言いなさい、何か工作しているとしか思えないですわ! 聖女の力を信じさせるためにここまでするなんて愚かでなんて醜い!」
「……」
「人としての道徳心すらないのだわ! 本当に許せない! 愛されなかったからと言って逆恨みにもほどがあるのよ!」
彼女の言い分に、ルーシャは自分との価値観のずれを感じた。
ルーシャはそんな可愛い感情で動いていない。愛されなかったから許せないのではないし、そんな価値観持ってない。
ただ、人生を奪われた復讐を人生をかけて行っているだけだ、そこに愛も情もない。
しかしそんなことを言ってもアンジェリカには伝わらないだろう。早々に思考を止めて気になった点だけ指摘する。
「工作などしていません、私はずっとここにいましたし、サイラス様以外の誰にも会っていませんから」
「そんなはずないわ! そもそもそんな生活できるわけがないでしょう! 言いなさい実家と連絡でも取って工作をしたのでしょう! それとも教会!?」
「……」
彼女の言葉に本当に何も知らないのだと思ってルーシャは立ち上がって不幸自慢でもしてやろうという気分になった。
上から物を言ってくる彼女の顔がどんな風に変わるのか楽しみで距離を詰める。
「この離宮、どうして天井がガラス張りなのか知っていますか?」
「知らないわよ! そんなこと!」
「窓を横に作ってしまったら、私がそこを通った人を見てしまうでしょう? それを防ぐためです」
「は?」
「離宮の外には兵士が二人立っているでしょう? あの人たちどこを向いてましたか?」
「何言って……」
アンジェリカは困惑したような表情になる。
ルーシャは魔術は持っているけれど、人殺しなどしたことがない普通の女の子だ。もちろん人に向かって魔法は使わない。
そうなるとルーシャが使える唯一の出入り口に、ああして大人の男を二人置いているだけで、簡単にルーシャを監禁できる。
昔は天窓に鉄格子がはめられていて、魔法で吹き飛ばすことへの対策をされていたが、サイラスに日々説得されて、泣く泣くこの場所に留まることを決意してからは綺麗な空だけは拝めるようになった。
しかし、それでも出来心で一目だけでも両親に会いたくて離宮から出ようと玄関扉を開いたことがある。
離宮の前にいる二人の兵士はじっと離宮の扉の方を見て佇んでいた。彼らは、外からの侵入者を拒むためにいるのではない。
アンジェリカはルーシャの言葉を少し考えて、ここまで入ってきた道のりを想像したのだと思う。そしてたしかに彼らは約束のないアンジェリカが勝手に離宮に入るのを止めなかったと理解した。
「……」
彼女の眉間にぐっと皺が寄った。
「手紙ですらも決められた相手以外には送ってもらえません。どうやって私が何か工作をするというのですか? ……それに、工作してできる様な事だったんですか?」
自然と笑みがこぼれた。クリフとアンジェリカがこうしてルーシャを責めに来たらこう返そうとずっと考えていたのだ。