プロキシマ・ケンタウリ
プロキシマ・ケンタウリとは地球がある太陽系から1番近い恒星で、ケンタウルス座の方向に4・2光年離れている。この恒星の周囲をプロキシマ・ケンタウリbと呼ばれる惑星が回っている。公転周期は約11・2日。地球から最も近い太陽系外惑星だ。質量は地球の約1・3倍ある。
最初に発見されたのは西暦2013年。ハートフォードシャー大学のミッコ・ツオミによる観測データの分析の結果だった。この惑星はその後の調査でハビタブル・ゾーン内にあるのが確認される。ハビタブル・ゾーンとは地球に生息するのと似た生命が存在できる天文学上の領域の意味だ。
西暦2016年10月6日フランス国立科学研究センター(CNRS)等の研究チームが、この惑星に海がある可能性があるのを明らかにした。この惑星の軌道は主星から750万キロメートル離れている。
これは太陽系の最も内側にある惑星の水星と太陽との距離の10分の1程度だが主星のプロキシマ・ケンタウリは太陽より小さく、放出するエネルギーも太陽の1000分の1程しかない。
そのためCNRSは主星に近くてもプロキシマbの表面が高温過ぎて、水が液体の状態で存在できないとは限らず、生命の存在も考えられると発表していた。
22世紀になると、プロキシマ・ケンタウリ周辺に無人探査機が送りこまれるプロジェクトが発動した。その計画は小型カメラや通信機器が内蔵されたスターチップという切手サイズの探査機を、メートルサイズの帆に光の圧力を受けて推進するライトセイルというタイプの宇宙船に搭載。
この宇宙船を打ち上げた後ライトセイルの帆に地球から強力なレーザーを当て光速の20%まで加速し、30年かけてプロキシマ・ケンタウリへ飛ばすという計画だ。元々ロシア出身の資産家ユーリ・ミルナーによって2015年立ち上げられた「ブレークスルー・スターショット」計画をベースにしたミッションだった。
故障したり何かに衝突する可能性を考慮して全部で千個打ちあげられ、30年後プロキシマbヘ予定通り到達したのだ。すると早速遥かなる航行を終えた無人探査機達の群れは、動画撮影や大気の分析等の情報収集を開始する。
収集されたデータは光速で送信され、4年以上かけて地球に届いたのである。送信されたプロキシマbの大気圏内を映した動画にはフランス国立科学研究センターの『予言』通り、海も映っていたのである。海には魚やクラゲのような生物の姿もあった。
その結果この惑星は人類の居住が可能という結論に達したのだ。プロキシマbへの移住目的の宇宙船が地球の軌道上の宇宙空間に建造された。建造に必要な資源は、月面や小惑星から送りこまれる。また地球上からも必要な物資が軌道エレベーターでスターシップに積みこまれた。
宇宙船には核融合エンジンが搭載され、およそ30年かけて、目的地に到達予定だ。この、恒星間航行可能なスターシップを建造したのは日本、アメリカ、ロシア、中国、韓国、インド、ヨーロッパ宇宙機構の、計7つの国や地域である。
それぞれの宇宙船は大きさや乗員の数が違うが、日本の船は全長1200メートル。総員五万人が乗る手筈になった。名前は未来号である。この船は巨大な円筒で、回転して地球と同じ重力を作りだす。貝瀬はそんな、未来号の乗員だ。
乗りこんだ時の記憶はない。まだ赤ん坊だったから。自分が30歳になる頃にはプロキシマbの大地を踏みしめるだろうと、両親や周囲の大人に聞かされてきた。
今彼は二九歳。来年は目的の星に到着すると信じ、その日を心待ちにしていたのだ。貝瀬だけではない。彼と同じ年齢以下の者達は、この金属製の巨大な容器から出たことがなかった。いつかは閉ざされた空間を出て新天地に降りるのだと、子供の頃から願っていたのだ。
ところが突然ここへ来て、未来号の奥本司令から全乗員に通達があった。電気系統のトラブルがあり、修理はできたが到着が一〇年遅れる事になったのだ。
「ぼくはショックですよ。叔父さん」
貝瀬は3Dフォンで、ホログラムの船長に向かってぼやいた。奥本船長は、貝瀬の母の弟に当たる人だったので名字は違う。現在50歳である。
「なんで電気系統のトラブルごときで到着が10年も遅れるんです」
「部外秘だから言えんのだが、色々あってな」
奥本は、困った顔をした。
「楽しみが先になったと思えばいいじゃないか。あちこちから責められて、俺も弱ってるんだから、お前までそう怒るなよ。宇宙船で別の恒星系に行くなんて、人類初のケースなんだ。思わぬアクシデントもあるさ。お前は赤ん坊だったからわからんだろうが、そりゃあ出発する時は、本当不安だったんだぞ。そもそもちゃんと出発できるのか。途中で隕石だか小惑星だかにぶつかって大破しないだろうかって色々な」
「それもわかるけどさ……親父やお袋が、よく冷静でいられるもんだよ」
「大人なのさ。まあ、情熱に任せて怒るのも、君達若者の特権だ」
「もう若くないですよ。子供扱いしないでください」
貝瀬は思わず大声をあげた。そして、ひとしきり愚痴った後で別れのあいさつをして電源を切る。
甥との通話を終えた後、奴が憤るのも無理はないと奥本は思った。夕食の時、彼は妻にその件を話す。
「しかたないわよ」
妻が答えた。
「30歳以下の若い人達は、ここが本当は宇宙船の中じゃないって知らないもの」
「そうだよな。ここが地球の地下都市と知ったら、若いやつらは驚くだろう」
「30年あれば放射能除去装置が上手く働いて、また地上に住めると思ったけど残念ね」
心の底からがっかりした口調で妻が話した。
「確かにな。核戦争さえ起こらなければよかったんだが」
不穏な空気が地球全体を支配するようになったのは40年前の話である。核保有国同士の対立が激化したのだ。自国の防衛を理由に核保有する国が増え、日本も核ミサイルを開発した。日本も含めて世界中で、外国との戦争を主張する人達の声が大きくなった。
核戦争の危機が叫ばれ日本、アメリカ、ロシア、中国、韓国、イギリス、フランス、スイス、インド等は、地下に大規模な核シェルター都市を建設。来たるべき核戦争に備えたのだ。
そしてついに核戦争が世界中で勃発し、事前に選ばれた者達だけが、地下都市に逃れた。
全世界にたくさんの、核ミサイルの雨が降りそそぎ、一瞬にして多くの都市が壊滅し、美しかった田園地帯は黒焦げになり、何十億もの人々が同時に死に、拡散した放射能が地球の隅々を汚染する。
地下都市に逃れた人達も絶望から自殺したり犯罪に走ったり、精神を患うケースが増えたのだ。この状態から脱するため日本の地下都市政府は、幼い子らに嘘を教える決定をする。ここが地下都市でなく、プロキシマbに向かう恒星間宇宙船と偽ったのだ。
大人でも希望を失い精神を病んだ人達には、ここが地下でなく未来号にいるという架空の記憶を植えつけた。これにより自殺者やうつ病患者や犯罪者が減り、日本以外の地下都市でも採用される。
地上でさんざん殺しあった人類は、地下に逃れてようやく協調できたのだ。そして30年が経過したが、地上に設置した放射能除去装置は未だに、全ての放射能を除去できずにいた。地上で再び暮らせるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだったのである。
そこでとりあえず地下都市政府は、若者達に真実を伝えるのを10年延ばす事にしたのだ。10年後に、状況が好転してるかはわからない。が、試みるしかないのである。奥本は、人類の未来を信じていた。