第7話 悪魔の所業
レフィは本物の悪魔のようだった。
怒りに歪んでいても、彼を美しいと思う。けれど、たぶん、わたしが彼に惹かれたのはそこではない。そこも確かに魅力のひとつではあるのだけれど。
ガギン! と、まともに剣と剣がぶつかった。火花が散ったように見えたのは気のせいだろうか。低く唸って、クレマンは剣を滑らせるようにしながら後ろへ飛び退いた。それを追うように踏み出したレフィは横一線に剣を振って、クレマンをさらに下がらせる。剣を構え直した時には、わたしを背にかばう位置に立っていた。
「リラを連れ出しておきながら、彼女を護りもしないとは、呆れた根性だ」
「お前に彼女を呼び捨てにする権利など無い! 二年半の間にずいぶん都合のいいことを吹き込んだんだな? 国を裏切っておきながら、どの口が!!」
「国を裏切ったのではない。領地を守ったんだ。目先の利益しか見えない浅慮な輩には解らないでしょうね」
鼻で笑うレフィにクレマンは乗ってこなかった。少し眉をひそめたけれども、彼も口元に笑みを浮かべる。
「リラ、この男は君の父上を懐柔しようとして失敗して、刃物を向けて脅したそうだよ? 君を手懐けようとしたのも――」
レフィの口から、ふっと呆れたような息がこぼれた。
そっと身を起こしてレフィを見上げる。彼はクレマンから目を逸らさなかった。
「懐柔などする意味がありませんよ。お嬢様、足を捻ったりしていませんか? 歩けるようでしたら、家に戻って鍵をかけて」
「でも、下には……」
「貴族のボンボンの私兵など、何人いても彼の敵ではありません。現にこちらに応援は来ないでしょう?」
「リラ、わかっただろう? 話を逸らして自分のことに目を向けさせないようにしてる。君と結婚できれば、彼の地位は約束されるはずだったんだ。俺と、帰ろう」
こちらを向かないレフィと、差し伸べられるクレマンの手を見比べる。結婚など、仄めかされたこともない。どちらかと言えば、立場を明確にしていたのは彼の方だ。
わたしはレフィを信じていいの、よね?
「レフィはどうしてわたしをここに連れてきたの?」
「お屋敷より安全だと思ったからですよ」
「うちは、どうして安全じゃないの?」
今度は即答されなかった。レフィはにやにやと笑うクレマンを睨みつけ、深くひと呼吸する。
「私たちが、現王をその椅子から引きずり下ろしたから、ですよ」
言い終えると同時にレフィはクレマンに向かっていく。
ぐわん、とひどい眩暈がしたような気がした。心臓が勝手に早鐘を打って、酸素が足りなくなっていく。近くでしているはずの剣戟の音は、膜がかかったように遠く聞こえていた。
本物の斬り合いは、服や肌を掠めてはお互いの傷を増やしていく。
わたしはどちらを応援することもできずに、ただその場で置物のように座り込んでいた。
「はっ! 口ほどにもないな。どれだけ強いのかと思っていたら」
「……全くです。自分が情けないですね」
一度二人が距離を取った瞬間、背後から鋭い声が飛んできた。
「お嬢さんっ!! レフィ!!」
振り返ろうとしたわたしの口を誰かが塞いで、身体ごと引きずられそうになる。
「リラ!!」
素早く反応したレフィが駆け戻ってきて剣を突き出す。その前にぐいと押し出されそうになって、思わず目をつぶった。男のうめき声と同時に拘束は解かれる。崩れ落ちそうな身体を、誰かが支えた。少し埃っぽいけれど、確かにレフィの香り。
「お前も、死ねよ」
興奮に上ずった声に恐怖を感じる。わたしを支えていた身体が離れて、金属のこすれ合う音と肉を切る鈍い響きがすぐ傍でした。
レフィの口から痛みをこらえる声が上がる。
「レフィ……!」
「お怪我は、ございませんか?」
「この期に及んで、すかしてんじゃねぇ!」
何にイラついているのか、クレマンは柄尻でレフィのこめかみの辺りを打ち付けた。反動で倒れかかってきたレフィを思わず抱き込む。皮膚が切れて血が流れ出すのを見て哀しくなった。
「やめて!」
「リラ、そういう連中に情けは無用だよ。さあ、彼をこちらに」
彼が罪を犯したというのなら、然るべき機関で裁きを受ければいい。
「もう動けないわ。乱暴はやめて……お願い」
「……恋した男が大罪人だったのだものね。混乱はわかるよ。でも、彼は許されない。すぐに忘れられるさ」
抱き留めているレフィの手が、背中を支えるわたしの袖を引いた。クレマンは、まだ坂の下の方で仲間を足止めしているエルチェの方をちらちらと気にしている。
「私は罪に問われないよ。王は斃れた。その弟が王に立つ。戦争は起こらない」
ゆっくりと開かれたアイスブルーの瞳は、腕を切られ、こめかみから血を流していても凛と彼を睨みつける。切られた腕でまだ剣を握り、わたしを押しやるようにして彼はふらりと立ち上がった。
青ざめたクレマンが剣を構え直す。
「レフィ!」
下から、エルチェの声が近づいてきた。
「それと」
レフィは冷たい笑みを浮かべて、少しだけ首を傾げた。
「今の衝撃で思い出した。我が父の仇をとるのに、何の遠慮もいらなかったね? 相打ちでは不名誉と言っていい」
「だ、まれぇぇぇぇ!!」
色を失くして、クレマンは斬りかかる。レフィは動かない。どちらが正しいのかもわからないけれど、レフィがわたしを信用しているということだけはわかった。レフィが立ち上がる時、わたしにそっと押し付けた短剣を両手でしっかりと握りしめる。大きく一歩踏み込んだクレマンの横から、わたしは身体ごとぶつかるようにして彼の腿を刺した。
体勢を崩し、大きく見開かれたクレマンの目と視線が交わる。すぐに、誰かの手のひらが私の目を塞いだ。そのまま頭を胸に押し付けられ、しっかりと抱き締められる。
背後から近付いたもう一つの気配が、声を上げる間も与えず、ひとつの命を消した。