第6話 冷たい夕景
レフィの友人も悪魔なのかしら。
秋にも訪れた丸太小屋の中は、あの日よりももう少し整っていた。寝室にはクローゼットがあり、一通りの洋服が揃っている。刺繍やレース編みの道具が一揃い用意されていたり、そのための資料や小説なんかが本棚に並んでいたりする。エルチェが暖炉に火を入れている間にそれらを見て回ったわたしは、ソファの端に身を落ち着けて彼の作業が終わるのを待った。
「ここは本当は誰の家なの?」
「誰のでもない」
手を払いながら立ち上がったエルチェは、淡々と答えながら振り返った。
「クローゼットの中身も本も、レフィが見立てたお嬢さんのためのものだ。間違いはないと思うが、気に入らないものは捨ててしまえ」
「レフィが……じゃあ、レフィは……!」
エルチェは少しだけ表情を曇らせ、軽く首を振る。そのまま黙って上着を脱ぐと、わたしに放ってよこした。
「ここにはいない。ほとぼりが冷めるまで、おとなしくそれでも繕っててくれ」
「ほとぼりって……」
「すぐ終わる……はずなんだがなぁ」
腕を組み、ぽつぽつと伸びた髭を撫でながら、エルチェは窓の外へ視線を流す。
つられてわたしも外を見たけれど、ようやく芽吹きだした若い緑が、暮れ始めた空に揺れているのが見えるだけだった。
*
ごちゃごちゃと外が騒がしくなったのは、数日後の夕凪の頃だった。
届けてもらったスープの他にサラダでもつけようかと野菜を洗っていたら、遠くで金属を叩いたような音がした。なんの音だろうと不思議に思いながらも作業を続ける。しばらくして、入り口を急かすようにノックする音が響いた。
「エルチェ? なにか忘れ物?」
彼は鍋いっぱいのスープを届けに来て、周囲を見回った後、坂下の家に戻っているはずだった。
時々海風が強く吹き付ける他は、あまりにものどかな時間が過ぎるので、ついついわたしは確認を怠った。訪ねてくるのは彼しかいなかったのだ。
扉を開けて、簡素なシャツではなく高級そうな生地のコートが目に入り、わたしは瞬いた。
「こんなところに……!」
その声に相手の顔を見て、思わず数歩後退る。それは相手に隙を与えたようだった。許可もなく家に上がり込み、距離を詰める相手に不快感を感じる。それでも、知った顔だったから、あるいは父の使いなのかもとわたしは踏み止まった。
「突然いなくなって、心配していたんだよ。お父上も気をもんでいる。さあ、帰ろう」
差し出されるクレマンの手のひらを、呆けたように見つめてしまう。
「どういうこと? レフィは?」
「あの裏切り者の名など出さないでおくれ。何も知らないのは、幸いだけれど」
冷ややかな笑みは、以前のレフィへの意趣返しなのだろうか。
「こんな場所に侍女もつけずに監禁するなんて、もうそのくらいしか手が残っていなかったということだろうね」
「……監禁?」
確かに、どこにも出かけるなとは言われたけれど、エルチェの家を越えなければ、丘の上にも散歩に行けた。でも、思えばそれも広義の監禁なのか。
「お嬢さん!!」
エルチェの声と共に剣のぶつかり合う音がする。びくついたわたしと、クレマンの舌打ちが重なって、彼は私の腕を取って家から連れ出した。
「ここは危ない。行こう」
何が何だかわからない。首を巡らせれば、エルチェが二人を相手に剣を合わせているのが見えた。
「エルチェ!」
「彼も奴の仲間だろう?」
「待って。ちゃんと説明して。レフィは何をしたの? お父様は……」
「安全なところまで行ってからね」
止まる気のないクレマンに引かれる腕が痛む。
「ねえ、クレマン、痛いわ。離して」
急ぎ足で坂を下るクレマンは聞いているのかいないのか、きょろきょろと辺りを窺っていた。かと思うと突然立ち止まり、耳を澄ます。舌打ちをすると、今度は踵を返して坂を上り始めた。
「クレマン?」
呼ぶ私の耳にも、遠くから近付いてくる蹄の音が聞こえてくる。
早足だったクレマンは、すぐに駆け足になった。蹄の音はどんどん近づいてくるけれど、振り返って確認する余裕がない。息が上がり、何故逃げているのかもわからない状況に、足がもつれそうになる。馬の息遣いも感じ始めた時、ずっと聞きたかった声が降ってきた。
「リラ……!」
反射的に振り返り、おかげで足がもつれた。倒れゆく私に手を伸ばしながら、レフィが馬から飛び降りる。クレマンはわたしの手を振り払い、腰に佩いた剣を抜いてレフィを待ち受けた。
地面に身体を打ち付けながら見たのは、燃えるような夕日を背に髪を振り乱し、凍てついたアイスブルーの瞳を怒りに滾らせる、美しい悪魔の姿だった。