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獣王VS忠犬


「にひひ♪ ボクの勝ちだね。ねぇ、アタランテも信長様のもとへおいでよ。信長様のところは楽しいんだよ♪ それに、君好みの強い男だしさ♪」


 遠くへ転がった弓を一瞥してから、無邪気なアタランテは無表情になった。


「……悪いけど、それはできない相談だゾ。だって……」


 アタランテの髪と瞳が、金色に輝いた。艶やかな髪からは、獅子の耳がぴょっこりを自己主張し、両手両足の爪はナイフのように鋭く伸びる。可愛らしい犬歯は牙となり、セクシーなヒップラインからは長い尾が鞭のようにしなる。


 狼の半獣人コボルトの軍勢にあって、アタランテはいま、百獣の王ライオンの半獣人と化していた。


 神話によれば、とある男の策略にはまって結婚させられたアタランテは、純潔を汚されそうになる。しかし場所は神殿。怒った女神は二人をライオンに変えたらしい。


 純潔を守り抜いたアタランテは、同時に百獣の王の力も手に入れたのだ。


 もとより熊に育てられたアタランテ。熊の剛力とライオンの瞬発力。自然界では有り得ない、怪物の世界でもありえない。人と熊とライオンのキメラがそこにいた。


 アタランテが咆哮をあげた。


 周囲のコボルト兵が、本能的に武器を捨てその場に膝を屈した。


 獣王が利家を見下ろす。


「さぁ忠犬。狩りの時間だ!」


 凄味を含んだ唸り声と同時に、アタランテの爪が閃いた。


 獣王と化したアタランテの戦闘スタイルは猛獣そのものだ。爪で薙ぎ、牙で噛みかかる。そんな単純な攻撃ながら、規格外の筋力と瞬発力が生み出す破壊力は、アウの斬撃すら越えている。


 利家は槍の穂先で獣王の爪を受け止める。鋼の刃のほうが削られた。


 余りの威力に、利家の顔から少女らしさが抜け落ちる。


 かくして、アタランテVS前田利家の戦いはセカンドステージへと突入。


 戦闘はさらに苛烈さを増して、コボルト兵たちは戦慄した。


 アタランテの爪と牙は、利家の槍を削り、へし折り、利家はすぐに新しい槍を拾って戦う。利家が倒したコボルト歩兵は槍兵が多めだったので、槍はまだまだ落ちている。それでも、槍聖たる利家ですら、槍の消耗は避けられない。


 いまのアタランテは、それほどの怪物と化している。


 神熊に育てられ、神にライオンとへ変えられたアタランテは、それでも人間だ。獣王の身体能力に、人間の頭脳も加わり、一見乱暴に見える戦いには、クレバーな戦術も見える。


 利家よりも、明らかにアタランテのほうがレベルは上だ。


 信長は戦力をはかり間違ったのか。利家では、ギリシャ神話に名を刻む英雄アタランテに勝てないのか。違う。信長はなにもはかり間違ってなどいない。


 むしろ、信長は相手があのアタランテだからこそ、利家を向かわせたのだ。


 忠犬前田利家、幼名を犬千代。信長に仕える、可愛い愛犬だ。


 対するアタランテは称号でも愛称でもない。正真正銘、掛け値なしの獣王。その力は戦象すら越えて、この戦場最強の獣だろう。


 だからこそ利家なのだ。人間に飼いならされた犬はライオンより弱いか?


 否、否、否。答えは否だ。


 アタランテは戸惑っていた。利家がいまだ立っていることに。


「何故だ! 何故、何故獣王たる我が勝てぬ! こんな、犬ころごときにぃいいい!」


 嵐のような爪撃が利家を包囲する。利家は極限まで研ぎ澄まされた時間のなかで、的確に槍で爪をさばいていく。


 すべてにおいて自分のが勝っているというアタランテの自信は、忠犬の肌には届かない。


 利家は、信長の忠犬だ。狼ではなく、飼いならされ、信長に忠義を誓うが故に、その本領は信長のために戦うときこそ発揮される。


 獣へ退化したアタランテにはわからないだろう。山犬(おおかみ)から忠犬へと進化し、獣を脱却した利家の強さを理解できないだろう。


 信長への想いが、利家に無尽蔵の体力を与える。信長への愛が、利家に無限の集中力を与える。自分のためではなく、ただあの人のために。


「はぁっあああああああああああああああああああああ!」


 利家の槍が加速する。


 利家は、生前の自分を悔いていた。その後悔が利家の五体に力を与える。


 本能寺の変が起こったとき、利家は遠く離れた上杉を攻めていたため、信長を守れなかった。弔い合戦である光秀討伐にも参加できなかった。


 そして子供のように泣きじゃくった。でもいま、流したの涙に比例した力が利家を突き動かす。アタランテの渾身の薙ぎ払い。受け流そうとした槍が砕ける直前、利家は蹴りあげておいた槍へと持ち替えた。


 利家は熱く、冷たい炎で魂を滾らせる。


 ――信長様。イヌめは、このアガルタで――


「喝ッ!」


 五つの閃きがアタランテを襲う。正中線五連突き。


 喉、首の付け根、胸骨、みぞおち、へそ、人体の軸五か所を鋭利な穂先が襲う。


 出血は僅か、だが、これは隙を作る為の当て身。空を仰ぎ、四肢の動きが止まったアタランテへ、利家が狙うトドメの奥義が炸裂した。


「四肢縛落」


 冷静な口調でそう告げたとき、利家はすべてを終えていた。


 利家は、アタランテの四肢の腱を、ひと筆で書きのように断っていた。それも、コボルトたちの目には映らないまたたきのあいだに。


 仰向けに倒れたアタランテに痛みはなく、絶世の美貌が苦痛に歪むことはない。利家が、あえてそういう斬りかたをしたのだ。


 状況が吞みこめず、アタランテは瞳を震わせる。


 利家の顔に、少女らしいやわらかさが戻った。


「へへ、これでボクの勝ちだよね? じゃあアタランテ、行こ、信長様のところへ♪」


 観念したように、アタランテは息を吐いた。獣王化が解けて、ただの少女へと戻る。


「がーうー。すっごいくやしいだゾ。でもいいのかだゾ。まわりは敵だらけだゾ?」


 アタランテの言う通り、周りはコボルト兵でいっぱいだ。しかし、


「あーうん。だって、そろそろこの戦自体が終わりそうだしね」


 利家は背後を振り返る。戦象たちが邪魔で見えないが、その先では太陽王と魔王と決着がつくところだった。

  

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