太陽王の軍略
その頃、コボルト陣営にて。チャンドラグプタは戦象の上で、戦場の趨勢を監視しながら、頭のなかで盤上の駒を動かした。
「戦象部隊の一陣二陣に問題発生。思った通りだな。あの男なら、異臭以外にも戦象の対策をするのはわかっていた。だからこそ、先頭部隊はアウに任せた。あの女傑ならば、問題が起こってもすぐに立て直せるだろう。仮に猛将との一騎打ちになっても、アウなら負けることはない。状況は、悪くて足止めされている、か」
隣の戦象に乗る近衛兵が、チャンドラグプタへ視線をまわす。
「王よ。どうなされますか?」
「そうだな、歩兵部隊は騎兵隊に足止めされ、利家が裏切ったか」
「なっ!? そうなのですか!?」
「貴様らは相変わらず目が悪いな」
動揺するコボルトたちは、王の言葉で恥じいる。
コボルトは狼並の聴覚や嗅覚と身体能力を持つが、全てが人間より優れているわけではない。狼と同じで、聴覚と嗅覚に優れるかわりに、コボルトは目が悪い。弓などの飛び道具が発達していないのも、そもそもコボルトは目が悪いので、遠距離攻撃が苦手なのだ。
「だが問題はない。戦場は生き物。戦いのさなかに味方の離反ていどに対応できずなにが王か。利家の向かう先には、ふむ、姫殿がいるな。おい、姫殿へ裏切り者の利家を討ち取るよう伝令を出せ」
「御意! ですが、ルークに過ぎぬ姫様が、ポーンの勇者たる利家殿を討ち取れるでしょうか?」
近衛兵のもっともな不安に、チャンドラグプタは顔色を変えずに答える。
「逆だ。熊が犬ごときに負ける要素などない。まして姫殿は、熊であると同時に百獣の王。利家が獣である以上、姫殿にはかてるべくもないのだ。それは、貴公もわかっていよう?」
近衛兵は思い出す。
確かに、姫ルークである彼女はいつも寝てばかりで、戦闘方法も遠距離の弓術だ。なのに、狼の半獣人である近衛兵ならば全員が感じていた。
一切の警戒心を欠いただらしない寝姿は、愚鈍なソレではない。それは食物連鎖の頂点に君臨する、警戒する必要のない王者にのみ許された絶対者のソレなのだ。
利家とアウの激闘を目にした後も、姫ルークへの畏敬心は少しも揺らがない。
近衛兵が姫ルークへ伝令を飛ばすと、チャンドラは息を吐いた。
「残る問題は、あの男か」
チャンドラグプタが視線を投げた先には、騎兵隊に指示を出しながらコボルト歩兵隊と戦う信長の姿があった。
「ふむ、騎兵隊の後列の馬が藁束を背負っているな」
「なっ、ですが風上はこちらですぞ」
「いや、王が認めるあの男のことだ。風上へ異臭を流す方法を持っているのかもしれん」
「それか、戦象が全身できないようにするか。風下に煙を流せば、戦象は速度は落ちる」
鶴の一声。迷う近衛兵たちを、チャンドラグプタはひとことでいなした。
「ハッタリだ」
近衛兵たちは言葉を失う。
「人間兵が苦しまない程度に煙を焚き、風下の人間陣営へわざと煙を流す。確かに、戦象の足は遅くなる。だが見よ。あやつらは騎兵隊。馬に乗っているのだ」
近衛兵たちの口から『あっ』と声が漏れる。
「煙を焚けば、自らの馬が暴れかねん。歩兵隊ならともかく、騎兵隊であれは不自然だ。それに、一度使った異臭作戦の材料を隠さず、ああもう堂々と、見せつけるように運ぶはずがない。なるほど、藁束でこちらの警戒心を煽り、戦象出陣を渋らせる作戦か」
近衛兵たちは、人間国のキング、信長の計算高さに舌を巻いた。まさにいま、自分たちは藁束を警戒してしまった。チャンドラグプタの言葉がなければ、主力である戦象部隊第三陣の投入を渋っただろう。
しかし流石は我らがキング、チャンドラグプタ様だと、コボルトたちはあらためて自分たちの勇者王を尊敬しなおした。
「利家は姫殿が討ち取る。そのあいだに余が戦象部隊であの男と騎兵隊ごと踏みつぶし、前衛のアウと合流。しかるのちに人間軍本陣を叩く」
チャンドラグプタは、右手の平を戦場へと伸ばし、語気を強める。
「騎兵隊と戦う歩兵を下がらせよ。ワニの口を作る。待機している歩兵を戦象部隊の左右斜め前に展開。余の部隊を先頭に、戦象部隊は三陣から五陣まで前進する。この二ヶ月での調練を無駄にするな!」
『御意!』
近衛兵たちが伝令を飛ばすと、コボルト軍の陣形が形を変える。戦象部隊の左右に、歩兵隊がななめ前へ張り出して陣形を組む。
真上から見れば、V字の先端を平らにしたような形に見えるだろう。
これがチャンドラグプタ必勝の陣形、ワニの口。
戦国日本でいうところの、鶴翼の陣だ。
「前進せよ!」
チャンドラグプタの采配で、コボルトと戦象の軍勢が動き出す。
もっとも、チャンドラグプタはこれが上手くいくとは思っていない。
戦場も、そして敵も生き物だ。
その動きを完全に予測することはできない。
だから、信長が自分の予測を上回る可能性も、チャンドラグプタは考慮している。
信長が、有り得ない秘策を以ってワニの口陣形を突破する可能性はゼロではない。
だがチャンドラグプタは、そのときの策まで用意していた。否、対応できる勇者の力を、チャンドラグプタは持っていた。
万が一必勝のワニの口陣形が破られても、必勝の策はさらにある。必勝の策の二段構え。
そして、信長が必勝の策をふたつとも破るのは、ただの妄想だ。現実はフィクションの、戦記小説ではないのだ。この世界は、信長を主人公にした戦記小説ではない。これ以上信長を警戒するのは無用な警戒。警戒は自軍を縛る鎖。程良い警戒を見極めることこそが、王に必要な才だ。
太陽王チャンドラグプタ二世VS戦国魔王織田建勲信長。二人の勇者王が雌雄を決しようとしているとき。別の場所では両雄ならぬ、両雌が激突していた。




