汚物は消毒だぁ!
それから、信長と秀吉は三日で全ての仕込みを終えた。
そして四月二六日の朝。秀吉は一五〇〇の騎兵を引き連れ東へ、信長は五〇〇の騎兵を引き連れ西へと進軍した。ただし、信長の名目はあくまで、護衛兵を連れての隣領訪問。秀吉の名目は、コボルト軍との戦場への援軍だ。
秀吉が攻略すべき領土は全部で七つ。王族領ロマテナ州から極東のバルトラング州のあいだをジグザグに進み、戦場の風向きが変わる六月までに全領土を手にする必要がある。
一ヶ月で領土を七つ。常識で考えれば不可能だ。しかしながら、人類史において、秀吉と信長ほど常識をコケにした人間はいなかった。
戦国日本最速の二大総大将はいま、このアガルタ世界にて本領を発揮しようとしていた。
その日、王族領ロマテナ州の東隣に位置する州の州都(領主が住む屋敷と州庁が存在する都市)の空気は、おだやかではなかった。
街中で市民が領主への不平不満を噂し、役人や衛兵にそっけない態度を取る。
原因は、とある噂だった。
この国を救うべく、ガイア世界より降臨した勇者様がソフィア姫の商人を受け『交通網整備』や『税の撤廃』を領主に命令。なのに、領主は保身のために断った。そんな噂だ。
噂を流したのは、もちろん秀吉だ。
加えて、隣の王族ロマテナ州では、それらがすでに施行されている。市民たちは、行商人や旅の吟遊詩人からその話を聞いていたから、説得力は抜群だ。
前々から、隣の州がうらやましいと思っていた。なぜ自分たちの州はそうならないのか?
そして市民たちは知った。勇者様とお姫様は、ちゃんと市民のことを考えていた。ちゃんと領主に命令を出していた。なのに、それを領主が断っていたのだ。許せるはずがない。
そんな時、一五〇〇人もの兵が街に入ってきた。兵が掲げる旗印は、レッドハート王家の紋章。馬に乗った先頭の騎士が叫ぶ。
「二大勇者が一人、秀吉様のお通りである。皆の者、道を開けよ!」
列の中、ひときわ立派な馬に乗った美少女が、人懐っこい笑顔を振りまきながら、民衆に手を振る。
市民たちは『あの女の子が勇者?』と戸惑いながらも『でも綺麗。聖女様みたい』『あんな子が俺らのために、偉いなぁ』と好意的に見た。
民衆の知る勇者は、それこそ若い王子様を主人公にした、絵本や人形劇のソレだ。歴戦の猛者という雰囲気の筋肉ヒゲだるまよりも、美少女勇者のほうがマスコット的、キャラクター的人気が出るのかもしれない。
噂も後押しして、市民が思った。
きっと勇者様が、直接領主に話をつけにきてくれたんだ、と。
市民は秀吉と一五〇〇人の兵を歓迎し、領主の屋敷まで人垣で道を作ってくれた。
◆
秀吉は領主である伯爵の屋敷に到着すると、すぐエントランスに通された。やがて、落ち着き払った態度の伯爵が姿を見せた。
「これはこれは勇者殿。事前に言っていただければ、最高のおもてなしをさせていただきましたのに。随分と急なお越しですな」
三十九貴族のひとりである伯爵は、四〇過ぎの中肉男性だった。秀吉は上から目線に、
「気にするにゃ。ウチはただ、東方の戦場へ援軍に向かう途中に寄りかかっただけだみゃ。ちょいと確認したいことがあってにゃあ」
「確認したいことですか?」
伯爵は、しらじらしく首をかしげる。
「この前の書状。あれはどういうことだみゃ? 財政上の問題で税の撤廃はできないと言うが、通行税はお前のふところに入るものではにゃかろう?」
相手を試すような口調の秀吉に、伯爵は芝居がかった口調で応戦する。
「これは異なことを。どうやら勇者殿はこの世界に世情にうといと見えますな」
胸を張り、伯爵は語る。
「よいですかな勇者殿? 領内の秩序とは、明確な身分制度によって生まれるのです。平民が貴族をあがめ、貴族に従うことで秩序が生まれるのです。でなければ平民は、貴族の決めた法令をやぶり、納税を怠るでしょう。故に、我々貴族は体面を保つ義務と責任があるのです。通行税は役所に勤める下級貴族が体面を保つための、まぁ必要経費です。貴族たるもの、それなりのものを身につけ、食べ、品格を維持しなければならないのですよ」
もと農民の秀吉からすれば、耳が腐りそうな講釈だった。
秀吉は感情をひた隠し、ちょっと困った顔をする。
「う~ん、それは困ったのみゃあ。あの命令書には、正当な理由なく断る場合は反逆者とみなすと書いてあったはずなのにゃ。政策の施行は王の、厳密には王代理であるソフィア様の勅命にゃのに、逆らうのみゃ?」
伯爵は、毅然とした態度で、
「何と言われようと無理です。いかに姫様の命と言えどこればかりは聞けません。私の意志を姫様に伝えるならば好きにして下さい。そのうえで姫様がわたくしめを反逆者と言われなるならばそれも結構。伯爵家の名に賭け、そして領内の秩序のために戦う所存です」
秀吉にはすぐわかった。この男はナメているのだ。
見た目が少女の秀吉と一緒に、ソフィアのことを、王家のことを。
いまはコボルト国との大事な戦争中。王家には反逆者を粛清するだけの余力などないと、伯爵はタカをくくっている。
秀吉は一五〇〇人の兵を率いているが、それはコボルト軍と戦う防衛軍への援軍。
この場で伯爵の軍と戦って消耗させるわけにはいかないし、そもそも秀吉の一存で勝手に伯爵の粛清などできるはずもない。
何せ伯爵は、この国の象徴である三十九貴族の一員なのだから。伯爵の考えはおよそこんなところだろうと、秀吉はあたりをつける。
「お前の意志はわかったのにゃ。では、ウチはこれで。急いで東の戦場へ行かねばにゃらにゃいので」
秀吉は踵を返すと、そのまま伯爵の屋敷を出て行った。
そして五分後。伯爵が自室に戻った頃、それは起こった。
「全軍突撃ぃいいいいい! 逆らう者は皆殺しだみゃあああ!」
『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼』
秀吉は、一五〇〇の軍勢を率いて伯爵の屋敷に流れ込んだ。
屋敷の門は、客人である秀吉が『伯爵殿への贈り物があるので、待っていてくれ』と言えば、開けっ放しにしてくれたのだ。




