え? お前が鼻血ブァーするの?
秀吉の手拭の動きが、単調になっているのに気づく。見下ろすと、秀吉は俺の脚をこすりながら、真っ赤な顔で逡巡していた。
顔は耳から首筋までイチゴのように赤い。目は泳ぐことなく俺の股間を直視して硬直。額はびっしょりと汗をかいて頬や口元まで濡らす。唇は硬く引き結びつつも、
「いまウチは信長様のお体を洗うのが仕事なわけで、それはつまり全身をくまなく洗うということで例外はなく、だからこれはお務めの範囲で他意はなく、この場に色小姓だった利家がいない以上コレもウチがヤるのが当然で変な意味は決して――」
秀吉の鼻から、赤い鮮血が溢れた。
「はふぅ……」
秀吉は目をまわしながら背後に倒れ、床へ大の字になって動かなくなる。
「…………」
仰向けになって倒れる秀吉を眺めながら、俺は少し複雑な気分になる。
とある夜に聞いた。秀吉は、俺が死んでから十六年も生きたらしい。
十六年。人が変わるには十分過ぎる時間だ。
そのあいだ秀吉は、好きなだけ自分好みの美女美少女を侍らせていた。
なのに秀吉は、まったく何も変わらなかったらしい。
俺はためいきをはいて、残りは自分で自分の体を洗う。
「まったく、女好きのくせに……」
俺の死後、秀吉が天下を統一したのは、俺個人への想いが強過ぎたからだ。普通は織田家再興に尽力するのに、秀吉は自分が織田家にとってかわり、自分が天下人になった。
武士として織田家への忠誠心ではなく、個人的私情で俺についてきたこいつなら当然だ。
大切な人の夢を、自分の手で叶えてあげたいと思うのは、人として自然なことだ。誰よりも、俺がそうだったのだから。
体を洗い終えた俺は、かけ湯で米のとぎ汁を洗い流すと、湯船に体を沈めた。
すると、意識を取り戻した秀吉が跳び起きた。
「ハッ! 信長様! お体は!?」
湯に浸かる俺へと身を乗り出す秀吉。
「自分で洗った。早くお前も洗って入れ」
「はうっ!」
秀吉は、ガーン、という音が聞こえそうな顔で落ち込む。渋々と俺の前で体を洗い始める秀吉に、俺は問う。
「それよりサル。六大改革事業の件、大義であった。やはりクイーンの駒でお前を召喚した俺の目に狂いはなかったようだな」
「♪❤」
俺の一言で、秀吉は喜色満面だ。
両手を頬に当て、身をくねらせて喜ぶ。
「いえそんな♪ このサルめは信長様のお役に立つことこそが生きがいですので❤」
秀吉は上機嫌に鼻歌を歌いながら、手際よく自分の体を洗う。
その様子を見つめながら、俺は思う。
こいつはアガルタ世界でも、俺のために働くだろう。俺を疑うことなく、俺に尽くし、俺を支え続け、自分のためではなく、俺のために生きるだろう。
生前もそうだった。俺の家臣は、俺に忠誠を誓いながらも、自身の立身出世のために誰もが手柄を立てようと躍起になった。そんななか、俺は秀吉に手柄を立てさせてやろうと、中国地方の覇者、超大名毛利輝元を攻めさせた。
なのにこいつは、自身の勝利が確実になってから俺に手紙をよこしたのだ。
『天下に名を轟かせる覇王、毛利輝元の軍はウチの手には余ります。どうか信長様、手ずからの征伐を』
超大名毛利輝元を下せば、秀吉の名声は不動のものになるのだ。なのに秀吉は、そうは考えないのだ。あたり前のように『毛利ほどの大物なら信長様が倒したことにしたほうがよいのでは? そうだそうしよう♪』
……昔、吉乃が俺に秀吉を紹介した。役に立つ子だから雇ってあげて、と。
それから秀吉は、ただ俺の役に立とうと無欲に走り回り続けて、それで誰よりも手柄をあげ続けた。
そしていまも、俺にちょっと褒められただけで子供のように喜んでいる。
こいつ……本当に俺のことが大事なんだな……
生前、周囲には男だと偽っていた関係上、俺は秀吉の想いに気づかないフリを続けた。
それでも、こいつは城持ち大名にまで出世して、贅沢な暮らしができるようになった。だから、幸せになったと思っていたが……俺は、本当にこいつを幸せにできたのか?
「それじゃ信長様。おじゃましますのにゃ♪」
秀吉は俺のすぐ横に身を沈める。その表情は、高揚感を抑えられない乙女そのものだ。頬を染め、しきりに視線をチラチラと向けてくる。
どんだけ純情なんだよ。生娘かよ……まぁ実際、処女だけどさ。
俺が気づかないフリをしていると、秀吉はそーっと、戸惑いながら俺との距離を詰める。
やがて、俺と秀吉の肩が触れ合いそうになった瞬間、俺はくるっと体を秀吉に向けた。
「みゃう!」
びくっと、秀吉は肩を震わせ、後ろへ下がりながら体を沈める。お湯から鼻より上だけを覗かせ、秀吉は赤い顔で俺を見上げてくる。
その姿が可愛くて、なんだかほほえましかった。
「サル。俺は生前果たせなかった夢をこの世界で叶える。せっかく与えられた第二の人生だしな。だからサル、お前も好きに生きろ。お前はこの世界で、何がしたい?」
俺からは誘わない。提案しない。秀吉の幸せは、秀吉が決めるべきなのだから。
俺の問い掛けで、秀吉は顔の赤みを増させていく。口元でぶくぶくと泡をたて、視線を伏せる。そうして秀吉は、二度、三度を俺をうわめづかいにみつめてから、身を起こす。
「……確認なんですけど。ウチ、この世界では男のフリ、しなくていいんですよね?」




