お風呂へGO
俺が召喚された四月一日から、約三週間。
戦場の風向きが東から西へと変わるまであと五週間。
そうなれば、コボルト軍はまた、無双の戦象部隊で人間国に攻めてくるだろう。
いま、コボルト軍が戦象部隊を使えないのは、異臭が原因だからだ。
コボルト軍陣営は風下に位置する。だから人間軍陣営が煙を焚くと、煙はコボルト軍を直撃して、嗅覚の鋭い戦象は混乱して使いものにならないのだ。
だが五週間後、戦場の風向きは逆転する。
だから、俺らはそれまでに国力を強化し、コボルト軍の攻撃に備えなければならない。
俺が国力強化のために打ちだした政策は六つある。
①交通網の整備
②一部の税の撤廃
③商業の自由化
④単位の統一
⑤貨幣制度の整備
⑥金になる街を直轄地にする
の六つだ。
①②③は滞りなく進んでいる。俺らが次に目指すは④⑤⑥だ。
その為の種は撒き済み。
いまは種が芽吹くまで①②③をさらに進め続けている。
あと五週間で、④⑤⑥の政策も可能な限り進めなければならない。
そんな日の夜。
「おいサル。こっちに大浴場があるのか?」
「そのとおりですみゃ♪ ソフィア殿が教えてくれたので、信長様も行きましょう」
俺は秀吉に連れられ、王城の長い廊下を歩きながらあごに手をあてた。
「ふむ。普段は王族用の専用浴場だったが、城のものが使う浴場も確認しておくか」
下のものの生活を知るのは、主にとって非常に大切だ。
かくいう俺が天下を事実上統一できたのも、そのおかげだったりする。
人を使う立場の人間が、使われる人間のことを知らないまま使うなどありえない。
「それで秀吉、手拭と米のとぎ汁はあるか?」
「はい♪ 品種は違いますが、この世界にも米はあったので、この通り」
秀吉は笑顔で、小脇に抱えていた桶を俺に見せる。
桶には手拭が引っかけられ、中は米のとぎ汁で五分目まで満たされていた。
そのとき、かすかな温泉の匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
「これは、温泉か?」
「ええ。城の地下に湯脈があるそうで、お風呂にはいつでも入れるそうですにゃ♪」
「それは便利でよいな。では、アガルタ世界の湯加減を堪能させてもらおう」
俺がそう言うと、丁字路に突きあたる。
左側は青い戸へ、右側は赤い戸へと続いている。
「む? どちらからも湯の匂いがするが、どちらへ行けばよいのだ?」
「ソフィアはウチに、赤いドアから入るようにと言っていましたのにゃ」
「なんだ? 青いほうは工事中か? まぁよい、では行くぞ」
「はいにゃ♪ あぁ、信長様と湯を共にするのもひさしぶりだみゃあ❤」
秀吉は嬉しそうに頬を染め、俺にすりよる。
「お前と一緒に入ったのは飛騨の湯、以来だったな」
「そうそう。あのときは利家も一緒で、二人で信長様の体を流させていただき、いい思い出なのにゃ♪」
秀吉の口から出た利家とは、俺の家臣である前田利家のことだ。
俺がガキの頃から一緒に山野を駆けまわり、城下町をねり歩いた幼馴染連中のひとりで、俺が織田家を継いだあとは家臣として活躍してくれた。
利家と秀吉とは仲がよくて、いつも一緒にいた。利家の幼名は犬千代だったから、俺は秀吉をサルと呼ぶのに対して、利家のことはイヌと呼んで可愛がったものだ。
「ん? 脱衣所は誰もいないのか」
脱衣所に人の姿はなかった。けれど浴場へと続いているであろう、左右両開きの戸の奥からは物音がする。他の家臣たちは入浴中らしい。
脱衣所にはいくつもの棚が用意されていた。何人分もの装束が収納されている。どうやら脱いだ着物はこのなかに入れるらしい。
俺と秀吉は着物と六尺褌を脱ぎ、並んで浴場への戸を開けた。
アガルタ世界の浴場を前に、俺は感嘆の声を漏らした。
俺が利用していた王族専用の浴場は大理石で作られ、周囲を壁画に囲まれた、贅をこらした場だった。
しかしながら、家臣たち利用がする大浴場もなかなかに立派だ。
大理石こそ使っていないが、全面石造りである。模様が彫り込まれた石柱が天井を支え、何体もの女神像が華を添えている。壁画はないが、レンガ模様の壁は落ち着いた空気を出している。
入浴中の女たちは、となりの湯を共にする女たちと世間話に興じている。この世界でも、風呂は社交の場らしい。
しかし妙だ。なぜかこの浴場には若い女しかいない。
「おー、ここがアガルタ世界の大浴場ですか。なかなか立派なのにゃ♪」
秀吉が上機嫌に感想を漏らすと、女たちが一斉に俺らを振り返った。そして凍りつく。
俺と秀吉は大浴場内をきょろきょろと見まわしながら足を進める。




