太陽王
チャンドラグプタは手をかざすことで二人の戦い制し、満足そうに目を細めた。
少女と美女は、互いに得物を引き、姿勢を正す。
「勇者の名に恥じない武勇。二人とも、見事であった。特に、大名殿は『比類なき槍』を自称するだけはある」
「騎兵あいてに徒歩で勝ってもうれしくないよ」
大名殿と呼ばれた少女はひざを上げ、ぱしんと手で叩いた。
「それに『比類なき槍』は自称じゃなくて、ボクの御主人様に認められたものだよ」
「ふっ、そうであったな。なんにせよ、余のため、そしてこの狼神の末裔たちのために尽くすがよい。ナイトの勇者、ポーンの勇者としてな」
チャンドラグプタ達は地球の人間だ。しかし狼の半獣人であるコボルトの勇者として、人間を相手に戦うことに不服はない。
インド神話には象の頭をもつガネーシャや、手足が何本もあるクリシュナなど、異形の姿をした神が多い。そのため、普通ではない姿の子供が産まれると、神の生まれ変わりとして崇める習慣がある。
インド人であるチャンドラグプタもそれは同じ。狼の耳と尻尾を生やしたコボルトたちに召喚されたとき、チャンドラグプタの第一声は『貴殿らは狼神か? すると、ここは天上界か?』だった。
今でも、コボルトを狼神の末裔かなにかだと思い、受け入れている。
大名少女は朱槍を消して、頭をかく。
「まっ、他にやることないし、別にいいけどさ……それにしても死んだら山犬たちの国に転生するだなんて、ボクってばよほど犬と縁があるらしいね。ボクが犬年だから? それとも名前のせい?」
少女は可愛らしい顔でおどけてみせる。少女は元気のよい笑顔で後ろ髪も短いので、服装を変えれば少年に見えなくもない。
けれど、顔に似合わず胸元は形のよい丸みを帯びている。均整の取れたスレンダーボディで、中世的な、どこか美少年めいた少女だった。
続けて美女も戟を消して、凛とした声音でチャンドラグプタと対峙する。
「勘違いするなよインド王。私はただ、呉国の怨敵を討ち取りたいだけだ」
見たところアジア系の女性だが、中世の騎士然とした、気品のある表情と力強い声だった。勇者は勇者でも、ナイトの駒で召喚されただけのことはある。
「この乱世において、各国が地球の勇者を召喚するならば、呉国の武将と戦える機会があるかもしれん。それまでは貴殿の命に従おう。だが忘れないでもらいたい。我が怨敵とあいまみえたならば、そのときは我が愛騎を以って全力で殺させてもらう!」
将軍と呼ばれた美女が語気を強めると、反動で彼女の豊乳が揺れた。大き過ぎる乳房はまるで乳牛、大き過ぎる臀部はまるでスイカだ。
彼女の時代より未来の研究では、他の動物と違い人間の女性だけが乳房と臀部に脂肪と溜め、丸く大きく膨らませるのは、男性への性的アピール、母体能力の誇示であることが判明している。
原始時代は女性の乳房と臀部の大きさに比例した数の男が集まり、争い、女性は勝ち残った男と子を成したのだろう。
だが、いかに性的魅力の高い美女だとしても、それが抜き身の刃のような闘志を帯びているならば話は別だ。美しくも威圧感のある彼女を動物に例えると、獅子の類だろう。
「歩兵と騎兵が跳ね返りよるわ。まぁいい。じきに貴殿らも心から余に従えるであろう。して、そちの望みはなんだ? 西の姫よ」
チャンドラグプタは、視線を鷹揚に右へ逸らした。
玉座のすぐ右隣には、やや小さめの玉座、貴賓席が置かれている。おそらく、本来は王妃や王子が座るのだろう。
その席には今、猪の毛皮をまとった少女が眠そうに目をこすっている。
格好といい、仕草といい、貴賓席にはあまりにそぐわない少女だ。しかし、よく見ればその考えは変わるだろう。
確かに少女は、服装は猪の毛皮だし、貴賓席でだらしない顔で眠そうに目をこすっている。けれど、真珠のように艶やかで白い肌も、光沢を帯びた亜麻色の長い神は、お姫様を越えて、女神に近い神秘性を感じさせる。
顔立ちも美しく、ぱっちりとした大きな瞳はエメラルドグリーンのように輝き、眉は一切の手をくわえることなく、完璧なラインをひいている。
絶世の美少女とは彼女のことだ。けれど表情が幼く無邪気で、男性の目には、そのギャップがまた魅力的に映るだろう。そこまで想い到れば、多くの男性は貴賓席でうたたねをする彼女に『可愛い』という印象をもつにちがいない。
まるで、猫の女神様が人間の姿でこの世に降臨したようにも思える。
そんな彼女は眠そうにひとこと。
「がぁうぅ……ガウは強い男いがいには興味ないだゾ。でもまわりがコボルトだらけなのは森に返ったようでなつかしいから、居心地はわるくないゾ」
彼女はヨーロッパの、とある森で獣に育てられた。母親が獣である彼女が、狼の耳と尻尾をもつ人間を気にとめるはずもない。
「やれやれ。新しく召喚した勇者は自由過ぎるな。だがよい」
チャンドラグプタはふところから、神の駒を取り出す。駒の種類はキング。彼自身を召喚するのに使われた駒だ。今では金色の輝きを失い、かわりに銀色の輝きをまとっている。
「このアガルタ世界では、救国の勇者を召喚するのに、この神の駒を使う。そう、地球のボードゲーム、チェスの駒をな」
チャンドラグプタは、神の駒を視線の高さまで持ち上げ、白銀の中に自身の瞳を映す。
「貴殿らは知らぬかもしれないが、このチェスという疑似戦争ゲームは余の国、インドが発祥の地なのだ。かくいう余も、チェスを愛好しておる。最初の百戦以降は負けなしよ」
キングの駒を手の中で転がし、チャンドラグプタは悦に浸る。
「今や各国のキング達が、ビショップやルーク、ナイトやポーンの勇者を率い、雄大にして壮麗なる神のチェスを執り行っている。国も時代も越え、全ての王達による、世界の王を決めるチェスだ」
いつも冷静で、決して優雅さを崩さないチャンドラグプタの声に、僅かな興奮が混じる。
「運命を感じぬか? いかに規模を拡大しようと、ただの駒が勇者の格まで引きあげられようと、これがチェスならば、戦ならば余に負ける道理はない。インドを統一した余に、チェスで王格を示せとは出来レースもいいところよ。どうやら神は、余にこの世界も統一しろと命じているようだ」
チャンドラグプタは、玉座の左隣に用意させたチェス盤に、キングの駒を下ろす。すぐ近くには、ルーク、ナイト、ポーンの駒が配置されている。反対側の駒は、織田信長を示すキングの駒が一つきりだ。
人間国陣営は、まだチャンドラグプタが存在を知らないクイーンの勇者秀吉を含めても二人だけ。対するコボルト国陣営は、キングのチャンドラグプタ。姫と呼ばれたルーク。将軍と呼ばれたナイト。大名と呼ばれたポーンの四人だ。
これがチェスならば、戦力はコボルト国の圧倒的優勢だ。
圧倒的すぎる盤面を見下ろしながらも、チャンドラグプタは戦場で感じた信長の王気に酔いしれる。
同時に、チャンドラグプタ自身から溢れだす王気で、ルーク、ナイト、ポーンの三人はやや身構えてしまう。神話上の、伝説上の、歴史上の勇者三人が、吞まれないまでも意識せざるを得ない王気。
それがキングの駒で召喚された勇者王。そして、信長の言葉を借りるならば、努力や才能なんてチャチな話ではなく、最初からそういうモノとしてこの世に生を受けている。
チャンドラグプタと彼女達の差は、努力でも才能でもない。天運だ。
チャンドラグプタの美貌に、絶対零度の笑みが浮かんだ。
「さぁ、楽しみながら、世界の王になろうではないか」
三人の勇者は、勇者王を見上げて息を吞んだ。
そして勇者王の左手には、未だ使わずにいるクイーンの駒が握られていた。




